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「いつか使うもの(家庭用ノコギリ)」を捨てなくてよかった話

世は大断捨離時代。

ミニマリストが勢力を拡大し、最小限のもので生きる暮らしに憧れを抱く人が増え続けている……のか?

わたしの断捨離

私自身、人生で何度か断捨離をしたことがある。
と言っても暮らしのリセットみたいなことではなく、主に進学のタイミングで要らなくなった教科書や参考書をまとめて処分した程度のことが多い。

特に中学受験が終わったときは、受験当日夜にネットで合否が発表されるシステムだったため、合格を知った瞬間にパジャマ姿のまませっせと部屋から塾の参考書を運び出しリビングに巨大な山を築いた。
進学先が決まった安心感と喜びからアドレナリン全開だったらしく、このときのことは親から「あんなに機敏に片付けしているのは他に一度も見たことがない」と評されたほどである。

そんな私にも、少ないもので生きていきたいという願望がある。

ミニマリストになりたいというよりは、自分の持ち物は自分でコントロールしたい
必要なもの、愛着のあるものに囲まれたい。
物質的精神的に豊かに生きていくための必要十分なものだけを持ちたい。

捨てられないもの

断捨離の指南書によくあるのは、「現在の自分を基準にせよ」というもの。
二度と使わない思い出の品。いつか使うもの。
そんなのは手放してもなんとかなるし、邪魔なだけなんて書いてあることもある。

「いつか使うかも」の「いつか」は来ない。

本当だろうか。

うちでも一度も使ったことがないのに「いつか使うかも知れないから」と言って捨てずに取っておいたものがある。
もはやいつどこで買ったのかも覚えていないし、断捨離ブームに便乗していたら真っ先に捨てていたであろうアイテム。

そう、家庭用ノコギリである(やっとタイトル回収)

断捨離は正義か

先日その家庭用ノコギリがついに日の目を見た(夜だったけど)。

長年使われていなかった素敵な木製の道具箱を貰ってきて、細かい仕切りを切り取って使いやすくしてみた。
ついでに同じく眠っていたヤスリを使って断面を磨き、新しい用途に備えて現在準備万端である。

こんなもんいつ使うんだ、なんて思っていたものにも出番が来ることもあると知った出来事だった。

普通に生活していると、日常的に使わないものにはなかなか価値を見出しにくいものだ。スペースを食うだけで所有する意味がないように思えてきて、手放そうかと考える。
手放したら手放したで生活が大きく変わるわけでもなく、一見するとなんの不便もないけれど、ごくたまに「あれがあったら便利だったな」と思い出すことがある。
代用や工夫でなんとかなることもあれば、ならないこともある。
そのうち持っていたことすら忘れてしまうこともあれば、後になって結局買い直す羽目になることも。

何かを持つこと、捨てることに正解はないと思う。

現在の自分に必要ないから捨てることが正しい、なんて言い切れない。
全然使っていなくても手放すことが不安なら無理に捨てることはないし、なくても生きていけるけど自分が幸せになるために必要だと思うものは手に入れるべきだ。

多すぎる所有物が負担に感じるなら減らすのがいいし、不便を工夫で乗り越えていくことが快感ならものが少なくても楽しく暮らせるだろう。

現在の自分の所有物と暮らしに、現在の自分が満足していることが肝要なのだ。

その結果のライフスタイルがミニマリズムである人もいれば、そうでない人もいる。

決めるのは自分だ。

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