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誘えばいいじゃない、断ればいいじゃない

中高生時代に何度か、と言っても片手に収まるほどだが、親しいクラスメイトにトイレに誘われたことがある。
いわゆる連れションとかいうやつ。

「いや、行かない」

正直他人の用足しに一緒に行く意味がわからなかった。そもそも誘ってくることが謎。
生理現象なんだから、一人で行って当然だし勝手に行って来ればいいじゃないか。どうやら誘いに乗る人もこの世にはいるようで、私にはその人の気持ちは微塵も理解できないが、どのみち預かり知らぬこと。

大学に入って以降、流石にそんな誘いを受けることはなくなったが、周囲を見てだんだんわかってきたことがあった。

誰かと一緒じゃないと行動できない人がいる。

私は基本的に一人でどこへでも行けるタイプだ。一人で行きたいときには勝手に行くし、誰かと一緒に行った方が楽しそう、あの友達と行きたいと思ったら軽率に誘う。断られたら一人で行くか、別の人を誘うか、行くことをやめる。それは誘ってみて返事を聞いたあと、自分の意思で決める。逆に自分が誘われたときも、楽しそうだなと思ったら乗るし、魅力を感じなかったり別件があったりすれば平然と断る。
そうそう、私には「休む」ということも予定に含まれる。この日は休む、と決めていた日に遊びの誘いがあっても、よほどの魅力やメリットがない限りお断りである。

自分の行動は自分で決める。それだけのこと。簡単じゃないか。

だがしかし、駄菓子菓子。そうも行かない人も世間にはそれなりにいるらしい。
一人で行くなんて怖いし恥ずかしい。友達がいないと思われる。
友達からの誘いを断ったら嫌われるんじゃないか。関係を保つためには我慢する。

そんな話を聞いたり、会話から察したりするたびに、私にはない感覚だなあと思っていた。一人でいることが恥ずかしいという感覚がまずない。そりゃ周りにカップルしかいない場所に一人で来ていたら居心地は良くないということはあるが、カップル専用などとわざわざ書かれていないのなら自らを恥ずべきことではない。自分の行動や体験の価値を決めるのは自分であって、他人からどうみられているのかということは自分自身の価値観に比べればずっと瑣末なことだと思う。それから一度や二度の誘いを断ったことで悪化するような間柄は、そもそも友人関係とは言わないだろう。嫌われないために我慢するくらいならむしろこっちから願い下げである。

みんな、もっと気軽に誘って気軽に断ればいいのに。その方がずっと楽なのに。

そう思ったことは数知れず。仕事を筆頭に、そう気楽に単純に行かないことなんて世の中には山ほどあるのに、どうして気楽にできるはずのことすらそうしようとしないのだろう。なんでもっと自分自身のことを尊重しないのだろう。
その方がずっと、幸せに生きられると思うのに。

(画像:梅「思いのまま」。1本で複数の色に咲き分ける)

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