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カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタンとトルクメニスタン

(68番)  2013年 9月

中央アジア5か国(① カザフスタン、② キルギス、③ ウズベキスタン、④ タジキスタン、⑤ トルクメニスタン)へ行ってきました。

東西文明の十字路として様々な民族の興亡の地となったのが中央アジアです。
緑濃い天山山脈に佇む神秘の湖、遥かなる砂漠に点在する遺跡群、青いドームが目にも眩しい中世の街並み、アレキサンダー大王、チンギス・ハーン、マルコ・ポーロ、アムール・ティムールが駆け抜けたシルクロードの主舞台を訪ねます。

今回は20日間という長い旅程となります。
参加者は男性10名、女性8名で計18名、添乗員さんは知っている人で安心して出発できました。
尚、食事内容はスペースの関係で名物料理が出た場合のみの記載とさせていただきます。

国の位置関係
今回のルート

1日目 9月6日
✈ 13:30 発 成田: アシアナ航空 (767-300)
  16:00 着 ソウル

✈ 18:10 発 ソウル: 同上 (A330-300)
  21:55 着 アルマティ
時差マイナス3時間

①     {カザフスタンの説明
人口: 1,580万人
面積: 日本の7倍
首都: アスタナ(黒川紀章氏がデザインした都市で2030年に完成予定)
言語: カザフ語とロシア語
宗教: イスラム教とロシア正教
産業: 石油、天然ガス、農業など
特徴: 古くは突厥などの騎馬民族が活躍をした草原とステップの国

🛏 アルマティ泊

2日目 9月7日
🚌 午前中はアルマティの市内観光

アルマティ(リンゴの里という意味)はアラタウ山脈を望む町で、経済、学問と文化の中心地。1997年までカザフスタンの首都だったがアスタナに遷都された。

国立歴史博物館
入り口には「アルティン・アダム」という黄金人間と他4体のレプリカが出迎えてくれる。本物は大統領官邸付属博物館に保管されている。
この黄金人間(スキタイ族/サカ族)はアルマティから1時間半ほどのイシク村にある古墳から発見され、B.C.4世紀頃のもの。

ゼンコフ・ロシア正教会
1904年に釘の1本も使用しないで建築された木造の教会で耐震の技術が取り入れられたために、1911年に起きた大地震の際にも倒れなかった。

ロシアの木造教会というと材木がそのままとしかイメージしかなかったが、あにはからんや綺麗に色付けされていて、可愛らしい教会だった。ディズニーランドにあってもおかしくない。

パンフィロフ戦士公園
第2次世界大戦の対ドイツ戦で戦死した28名の戦士を記念して造られた公園。ロシアのモスクワを守るために彼らはカザフスタンから出兵をした。

戦士の像はいかにも社会主義国にありそうな彫刻で「勇ましい戦士」という言葉がぴったり。

→民族楽器博物館
→中央バザール

昼食:サラダ、スープ、マンティ(牛肉入りギョーザ)

バスで4時間(約240km)走り、キルギスへ
国境ではスーツケースをゴロゴロと150m運ぶ。

②     {キルギスの説明
人口: 560万人
面積: 日本の半分
首都: ビシュケク
言語: キルギス語とロシア語
宗教: イスラム教とロシア正教
産業: 農業、牧畜、鉱業など
特徴: 天山山脈とパミール高原に囲まれた高地にあり、美しい自然や動植物の宝庫。中央アジア屈指の親日国家

🛏 ビシケク泊

3日目 9月8日
🚌 「中央アジアの真珠」と称えられるイシククル湖北岸へ向かい、その後カラコルへ

朝一で飛び込んできたのは「Congratulations! Tokyo, Japan」という2020年の夏季オリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まったというニュース。

後記: 僭越ながら私は「東京オリンピックとパラリンピック」の両方でボランティアに携わることができました。

青空にくっきりと姿を現す天山山脈を車窓に眺めながらバスが進んでいくとイシククル湖が見えてきた。周囲約700km、琵琶湖の約9倍の大きさを誇る。天山山脈で一番高い山は7,439m(ポベータ山)で、万年雪や氷河もある。

イシククル湖

仏典を求めてインドを目指した玄奘三蔵が天山山脈の峠を越えた後に訪れたのはイシククル湖だったとか。

イシククル湖と天山山脈と青空のベストマッチの景色はバスでどこまで走っても続き、あの美しい光景は決して忘れることができないだろう。

岩絵野外博物館
チョルポン・アタ山の斜面には4千年前に描かれた大小900個もの岩絵が残っている。
スキタイ族/サカ族は狩猟をしていたことから山羊、鹿などの絵が多い。ユキヒョウの絵もあって、彼らは脚が早いために獲物を追わせたらしい。

食後に湖の周辺を散歩。
湖水浴をする人々がいたり、結婚式が行われていたり。日曜日ということもあり、人々はのんびりと過ごしていた。

プルジュワルスキー記念館
彼は中央アジア探検の父と呼ばれる。モンゴル、ロプノール、第一次チベット、第二次チベットの探検に出かけ、1888年の5回目の探検で生水を飲んだのが原因で腸チフスにかかり、この地で亡くなった。彼のお墓もあった。

カラコル(イシククル湖東岸の町で海抜1,690~1,990m到着

ドゥンガン・モスク
1911年に中国から移り住んだドゥンガン人達によって建築された。
ここも釘の1本も使用しない木造建築だが、カラフルに塗られていて装飾も独特。もちろん、女性はマントのようなものを借りて中に入る。

夕食: ヌードルスープ、プロフ(ピラフ)、アイスクリーム

🛏 カラコル泊

4日目 9月9日
🚌 トクマクを経由して再びビシュケクへ

三位一体教会
こぢんまりとしたロシア正教会でこちらも木造建築だが、屋根は緑色に塗られている。屋根の上にはもちろん、金色のネギ坊主が乗っている。

ガイドさんによるとロシアのエリツィン大統領がこの教会の為に送金すると言ったっきり約束を果たしてくれなかったとか。

ジェティ・オグズ渓谷
「7頭の牛」という意味で赤土の薄い岩が重なったミルフィーユのような形の山が7つ連なっている場所。海抜は2,200m。

本日は湖の南岸をドライブしてグルッと一周したことになった。

トクマク到着

ブラナの塔
9世紀にカラハン朝の首都であったバラサグンの町に唯一残っている建造物で何にもない野原にデ~ンと建っているミナレット。世界遺産に登録をされている。高さは24mで、昔は45mあったが15世紀の地震で崩壊した。

レンガ造りで模様がついている層と平べったい層が順に重なった縞模様となっている。中は暗かったが、何とか塔の上まで階段を上がってみた。
バラサグンはシルクロードに位置していたために人々や商品が行き交う十字路だった。
隣接する小さな博物館にはそれらの歴史や多様性が分かるような展示がされている。

ブラナの塔と天山山脈

アクベシム遺跡
あれ、何にもない・・・がシルクロードの貿易路として栄えたことが発掘物によって判明しており、2004年に世界遺産に登録をされている。
ここから発掘された大きな瓦片に書かれていた中国語から7世紀には唐の軍事拠点だったことが分かっている。発掘には日本の帝京大学が協力をして、引き続き発掘予定だそうだ。

629年にインドに向かう途中に三蔵法師がここに立ち寄り、歓迎を受けたとか。
その後、彼は無事インドに到達し645年に経典や仏像を持って帰国した。
中国の李白が生まれた場所としても有名らしく、ここは日本人と中国人に人気の観光地だとか。

🛏 ビシュケク泊

5日目 9月10日
🚌 午前はビシュケクの市内観光、その後カザフスタンのタラスへ

オシ・バザール
キルギス最大で、市民の台所。
トマト、葡萄、ドライフルーツ、チーズ、丸形のナン、数種類のベリーなど。

国立博物館
1925年、旧ソ連時代に建てられた3階建ての博物館。
2階はレーニンや革命家たち社会主義時代の展示物がほとんどで、今や他国では見られない貴重な物となっている。
3階はキルギスの歴史と遊牧民の伝統や習慣などスキタイ時代から現代までの展示がされている。

昼食: トマトサラダ、ラグマン(中央アジアのうどん)、クレープ

午後は日本人にそっくりと言われるキリギスとお別れをして国境を越えて再びカザフスタンへ入国

タラス到着

🛏 タラス泊

6日目 9月11日
🚌 午前、タラス近郊の観光後、午後はウズベキスタンのタシケントへ。

タラスはカラハン朝(10~12世紀)の首都で、シルクロードの要衝として栄えた町。

タラス古戦場
751年に中央アジアの覇権を巡って唐とアラブ軍(アッバース朝)が衝突した場所。
タラス川を挟んで対峙し、天下分け目の合戦となり、遊牧民だったカルクル族がアラブ軍に寝返った為に大勝利を収めた。これがきっかけで中央アジアのイスラム化が始まった。
アラブ軍の捕虜になった唐の紙すき職人が門外不出の製紙方法を教えた為に、西側に広まっていった。

今は穏やかな流れの川と緑豊かな木々が育っていてとても静かな雰囲気で、そんな大激戦(数十万人が戦った)があった場所とは信じられないほど。

アイシャ・ビビ廟
王様と商人の娘の悲恋伝説が残る。

昼食: サラダ、マントゥ、ケバブ

ガイドさんとここでお別れ。自分が大統領になってこの国を変えるんだと息巻いていた。頑張れ!

国境を越えてウズベキスタンへ入国

③     {ウズベキスタンの説明
人口: 2,780万人
面積: 日本の1.2倍
首都: タシケント
言語: ウズベク語とロシア語
宗教: イスラム教とロシア正教
産業: 繊維産業、食品加工、機械製作、石油、天然ガスなど
特徴: 14世紀に中央アジア一帯の覇者となったティムールの出身地

タシケント到着

🛏 タシケント泊

7日目 9月12日
🚌 タジキスタンとの国境へ

バスの車窓からはひまわり畑、綿花の木々、コウノトリの巣などが見え、次第に山がちになっていく風景を楽しんだ。

朝早かったこともあり、人も少なくて入国はスムースだった。ビザ代45ドル。
しかし、陸の国境越えはスーツケースを引きずりながらなので、長い距離は大変だ。もちろん、舗装などされていないので、ガタガタ道を歩く。

④     {タジキスタンの説明
人口: 710万人
面積: 日本の4倍
首都: ドゥシャンベ
言語: タジク語とロシア語
宗教: イスラム教
産業: 農業(綿花)、アルミニウム生産、水力発電など
特徴: 国土の90%が「世界の屋根」といわれるパミール高原が占めている

4台の四駆に出迎えられてアラル海に注ぐジル河沿いの町ホジェンドまで移動(約1時間)

ホジェンド到着
タジキスタン第二の都市で、ソグド州の州都。
B.C.329年にアレキサンダー大王が率いるマケドニア軍が侵攻した後、幾多の支配者によって様々な国に編入された歴史をもつ。

パンジシャンベ・バザール
中央アジア最大と言われており、とても活気がある。
ハチミツ、野菜、果物(ハミウリが好き)、乾物、肉、服飾、スパイスなど。

→考古学博物館(アレキサンダー大王のモザイク画が素晴らしい)
→城塞(8世紀のもの)
→シルダリア川

🛏 ホジェンド泊

8日目 9月13日
四駆 2,500年以上の歴史を持つイスタラウシャンの町を経由してペンジケントへ

イスタラウシャン到着
ムグ・テペ遺跡
ソグド人(イラン系民族)の都市遺跡でB.C.6世紀にアケメネス朝のキュロス大王が砦を建てた。タジク人は今回訪問する5か国のうち唯一のイラン系民族の末裔。
高台にあるので町が一望できる。

その後、中世の雰囲気を残す旧市街を散策。
→クックグンバース・モスク(水色のドームが綺麗)
→鍛冶屋街(ナイフが有名)

シャフリスタン峠(3,378m)の中にできたトンネル(2,700m)を抜ける。このトンネルは昨年末、中国の協力によって完成したそうだ。
長さは5,253mもある。

ペンジケント遺跡
「中央アジアのポンペイ」と呼ばれる5~8世紀のソグド人の都市遺跡。
宮殿跡、ゾロアスター教寺院跡、住居跡やバザール跡などを見学。
1996年以来17年ぶりの訪問で、その間に着々と発掘は続いていたようだ。

ホテルはとてもホテルとは言えないような施設だった。水道からは空気が漏れる音はするが、水は出て来ず。全身埃まみれの体で寝るのは勇気がいった。
部屋の鍵も硬くて開けづらく、四苦八苦・・・
建物内にレストランはなくて外のレストランで食事をする。それもプロフとフルーツのみ。
タジキスタンはまだまだ観光客を呼ぶには準備不測のようだ。
ブツブツ・・・😥

🛏 ペンジケント泊

9日目 9月14日
四駆 首都のドゥシャンベへ向かう。

まずは、ペンジケント市内にあるルダーキー博物館
今年できたばかりだそうで、まだ新しい。
主な展示品はペンジケント遺跡からの発掘品で5~8世紀のフレスコ画、
陶器製の水道管、ゾロアスター教で鳥葬をする際使う骨壺、ガラス容器、陶器のお皿や壺、当時のコインなど。

昼食後、アンサーブ峠(3,372m)の中に作られたトンネル(6.5km)を通過。
このトンネルはイランの協力によって2006年に開通したそうで、中は薄暗くて、道路もデコボコしており、ボロボロ。その上、昨日の雨の影響なのか水浸しだった。

ドゥシャンベ市内に入る前に洗車。これは法律で決められている。
→国立博物館工事で閉館中)
→国民宮殿
→イスマイル・サマーニ広場
→ルダーキー広場

🛏 ドゥシャンベ泊

10日目 9月15日
朝、3時にモーニング・コールで、4時にホテルを出発し、真っ暗な中を約1時間半走り、ウズベキスタンとの国境へ。

丁度、屋外に置かれたベッドで寝ていた職員さん達が起きだして仕事の準備を始めたころだった。
無事、ウズベキスタンへ入国(ビザ代20ドル)
ミニバン2台でアフガニスタンに近いテルメズまで2時間半走る。

✈ 12:10 発 テルメズ:ウズベキスタン航空(IL-114-100イリューシンでロシア製)
  13:30 着 タシケント

市内で昼食後、再び空港へ

✈ 18:45 発 タシケント:ウズベキスタン航空(A320)
  19:55 着 ウルゲンチ(ホラムズ州の州都)

🚌 ヒヴァへ

🛏 ヒヴァ泊

11日目 9月16日
本日から旅の後半戦のスタート

総延長2,250mの城塞で囲まれた都市ヒヴァの観光
16世紀初頭から20世紀初頭まで存在したヒヴァ・ハン国の首都だった。

イチャン・カラ(内城)
世界遺産に登録をされており、ここは城塞の中にある旧市街で中世からまるで時間が止まったかのような雰囲気。中には20のモスク、20のマドラサ(神学校)と6基のミナレットなど50以上の歴史的建造物が残っている。

→アル・フワリズミの像(8世紀のアラビアの数学者)
→西門
→カルタ・ミナル(1852年に着工したが、未完成のミナレットで
高さは26m)
→キョフナ・アルク(1838年完成の夏の宮殿)
→牢獄
→造幣局(シルクのお札があった)
→パフラヴァン・マフムド廟(武芸の達人、詩人、哲学者)
→中庭(男性は強くなり、女性は美しくなり、日本人はお腹を下す湧き水があった😓)
→イスラム・ホジャ・メドレセ(高さが44.5mのミナレットで神学校が併設されている)
→ジュマ・モスク(中央アジアで最も古いモスクで、美しい木彫りの柱が213本立っている。デザインは全部違っていて、古い物は10~11世紀のもの)

ヒヴァの内城

🛏 ヒヴァ泊

12日目 9月17日
🚌 トルクメニスタンとの国境を目指し、クニャ・ウルゲンチを経由してアシガバードへ

この辺りはお米の生産地らしく水田が広がっていた。また、国の名産でもある綿花の畑では摘み取り作業をする人々の様子などが車窓から見えた。
国境近くで、バスが故障したものの、何とか国境まで到着。

ウズベキスタンを出国した後はトルクメニスタンまで約1kmの道のり。
生憎、いつもいるはずのシャトルバスが見当たらずにスーツケースを引きずりながら歩くこと20分。大統領の写真が飾られた建物が見えてきた。
そこにはここは日本かと思うほど、他のグループや個人客などの日本人だらけの光景でたまげた。恐らく、彼らは「地獄の門」へ行くのであろう。
我々はそこへは行かないので期待していた人は済みません。😉

トルクメニスタンの入国は荷物検査などに時間がかかり、結構詳しく調べられた。
実は私も引っかかってしまい、「これは何だ」と言われたのがサプリメントだった。
とっさに、添乗員さんが「これは頭の痛いときに飲む薬」と言ってくれたので、助かった。流石に機転が利く。
彼女は段差のある場所でのスーツケースの移動も一人一人サポートして運んでくれたし、細かい点でよく気が付く人でいつも助かっている。

⑤     {トルクメニスタンの説明
人口: 520万人
面積: 日本の1.3倍
首都: アシガバード
言語: トルクメン語とロシア語
宗教: 主としてイスラム教
産業: 天然ガス、石油、農業(綿花)など
特徴: 豊富な天然ガスが国の経済を支えており、怒涛の発展を遂げている

🚌 昼食後、ミニバンにてガタガタ道を走り、クニャ・ウルゲンチへ

クニャ・ウルゲンチ到着
トルクメニスタン北部に位置するこの町は、10~14世紀頃ホレズム・シャー朝の都として栄えた。世界遺産に登録をされている。

→トレベク・ハニム廟(ドームの天井には1年間の日数、月日、時間が分かる工夫がされているうえにそれらがモザイクで描かれていてとても綺麗だし、昔の人の英知が感じられる)
→イル・アルスラン廟(他にも当時の王様の廟がたくさんあって、一つ一つが見ごたえがある)
→クトゥルグ・ティムール・ミナレット(中央アジアで一番高くて62m。細かく彫刻が施されている)

✈ 20:00 発 ダシュオウズ:トルクメニスタン航空(717-200)
  20:50 着 アシガバード

🛏 アシガバード泊
ホテルのポーターはノックもしないでスーツケースを無言で運び入れたのでビックリ。この辺は教育が行き届いていないことが窺い知れる。

13日目 9月18日
アシガバードは「ホワイト・シティ」と呼ばれるほど、白いビルばかりで、街中は掃除が行き届いていてとても綺麗だ。ビルは外側だけが大理石で建てられているそうだ。
ホテルも外観は綺麗だが、中はメンテナンスがダメダメだった。
ここはトルクメニスタン南部に位置し、北のカラクム砂漠と南のコペットダグ山脈との接点に築かれた町。国土の85%をカラクム砂漠が占めている。

アシガバード市内

🚌 午前はニサ遺跡とアナウ遺跡の見学

ありゃりゃ・・・😯いきなり、一般車が通行止めとなった。
なんでも独立記念日の軍のパレードの練習がロータリーで始まったとか。
たくさんの戦車が目の前を通り過ぎて行った。

ニサ遺跡
アシガバードから西へ15kmほどの場所にある。B.C.3世紀頃のパルティア王国の都があった場所。泥で作られた王宮、ゾロアスター寺院跡、ワイン貯蔵庫跡などが残っている。

ニサ遺跡

アナウ遺跡
B.C.5~1世紀頃に存在し、シュメール文明と同時代のもの。泥でできた古代集落が残っており、陶器、食器、手斧などが発掘されている。

アハルテケの厩舎
トルクメニスタン原産の馬種で知性、スピードと持久力が特徴。
汗血馬の子孫と言われる。
絹のような毛並みでスレンダーな馬たちはとってもカッコいい。🐎

トルクメンバシ・モスク(中央アジア最大で2万人収容の巨大なモスク)

トルクメンバシ・モスク

→永世中立の塔(トルクメニスタンは永世中立国で前大統領のニヤゾフ氏が建立)
→国立歴史博物館(ニサ、メルブ、ゴヌールの遺跡から発掘された古代の遺物、パルティア時代の象牙の角杯【リュトン】、
世界で2番目に大きな絨毯【重さ1トン】、
2億7千万年前の恐竜の足跡などが展示されている)
→セイット・ジュマール・アッディン・モスク跡(15世紀のモスク跡)

夜、ライトアップされたアシガバード市内をドライブ。超きれい!

🛏 アシガバード泊

14日目 9月19日
朝刊に安倍首相とベルディム・ハメドフ大統領との写真が出ていたので、もらってきた。日本政府の招聘で訪日し懇親会が開催されたらしい。
安倍首相は2015年に中央アジア5か国を訪問する予定になっているとか。

朝刊に出ていた写真

5時のモーニング・コールで空港へ、その後メルブ遺跡へ向かう
市内は引き続きライトアップがされていて名残惜しい。

✈ 07:00 発 アシガバード:トルクメニスタン航空(737-200)
  07:40 着 マルィ(第4の都市)

流石に砂漠だけあって地面からの照り返しがものすごくて顔がピリピリする。気温も40度は越えていそうだ。

メルブ遺跡
この場所に最初に都市が建設されたのは、B.C6世紀頃。その後、シルクロード交易の拠点としてアケメネス朝、セレウコス朝、パルティア帝国、ササン朝そしてセルジューク時代へと続いた。世界遺産に登録をされている。

メルブ遺跡

→キズカラ(乙女の城という意味で女性が集まる社交場だった。高さは
20mある。メルブと言えばここの写真が出てくるほど有名)
→スルタン・サンジャル廟(11世紀セルジューク朝の第8代スルタンのお墓。ほぼ完ぺきに残っている)
→エルク・カラ(かつては城壁があり、城内には建物もあったようだが、現在は何も残っていない)
→ギャウル・カラ(世界最西端の仏教遺跡でメルブには1世紀頃に仏教が伝わった)
→ムハンマド・イブン・サイイド廟(同じくセルジューク朝の王様のお墓)
→マルィ博物館(マルグーシュ、メルブなどからの出土品、民族衣装などが展示)

🛏 マルィ泊

15日目 9月20日
本日は移動日でトルクメニスタンからウズベキスタンへ戻る。

🚌 カラクム砂漠の中を走り、途中にあるこの国の農地を支えるカラクム運河を渡り、マルィ州からレバプ州へ。
食後、アムダリア川に架かる浮き橋を約800m歩いて渡り国境へ。
国中に飾ってあった大統領の写真ともお別れし、炎天下の中、ミニバンと四駆を乗り継いでウズベキスタンへ入国。最後の国境越え終了!
ホテルまでの道中、畑では綿花を摘む作業をしていた。

🛏 ブハラ泊

16日目 9月21日
終日、旧市街が世界遺産に登録をされているブハラの観光

かつてイスラム世界全体の文化的中心として栄えたシルクロードのオアシス都市。13世紀にチンギス・ハーンの襲来により破壊されてしまった。

→アルク城(アルクとは城塞という意味。5~20世紀初頭まで支配者の居住地だった)
→王の戴冠の間
→博物館
→バラハウズ・モスク(王様専用のモスクで入り口には20本のクルミの柱が立っている)
→チャシュマ・アユーブ廟(預言者ヨブの泉という意味。ヨブが杖で地面を叩いたところ、水が沸き出て水不足で苦しむ人々を助けた。12世紀に建てられた円錐形の屋根が特徴)
→彫金工房
→イスマイル・サマーニ廟(サーマーン朝時代【878年~999年】の王様のお墓。イスラム教とゾロアスター教の2つの特徴が現れている建物)
→カラーン・ミナレット(12世紀に建てられたブハラのシンボルで、高さは46m。
チンギス・ハーンの帽子が落ちた結果、このミナレットにお辞儀をしたことになり、そのおかげで破壊を免れたといういわくつき)

カラーン・ミナレット と カラーン・モスク

→カラーン・モスク(1514年の建築)
→ミル・アラブ・メドレセ(神学校で1階が教室、2階が宿舎となっている)

ミル・アラブ・メドレセ

昼食: サラダ、スープ、ナブルーズ(肉、ジャガイモ、トマトを壺に入れて煮込む)、メロン

→タキ・バザール(ショッピング)
→リャビ・ハウス(住民の憩いの場)

夕刻:ナーディル・ディワンベキ神学校の中庭にて民族舞踊とファッションショーの見学
ファッションにはほとんど興味のない身だが、ショーで見た洋服はなかなかセンスのあるもので、購入しようかと思ったほど。

🛏 ブハラ泊
ホテルのスタッフはサービスもよくて、気持ちよく接してくれた。
部屋のTVは懐かしいブラウン管で映りは良くなかった。

17日目 9月22日
🚌 アムール・ティムールの生まれ故郷シャフリサブス経由でサマルカンドへ

ブハラから東方面へ綿花畑や砂漠地帯に生息する灌木、サクサウールの広がる景色を眺めながらカシュカダリア州へ4時間半走る。

シャフリサブス到着
1336年にこの地で生まれたティムールは若い頃から頭角を現し、のちに世界の支配者へと成長していった。
1370年にティムールがサマルカンドを都として建国したティムール帝国だったが、1507年にウズベク人に制圧されて消滅した町。

→アクサライ宮殿跡(1380年着工し1404年に完成の宮殿で世界遺産に登録をされている。入り口のアーチ【高さ38m】だけが残っていて、当時は70m近くもあったとか。壁のタイルは大分剥がれかけているが、それもオリジナルなのでよい。模様の付いたタイルは【マジョリカ】)
→ティムール像(立派な像で迫力満点)

アクサライ宮殿跡とティムール像


→ドルッサ・オダット建築群(丸いドームのモスクなど)
→ジハンギル廟(ティムールの息子のお墓。戦争中に22歳の若さで落馬した)
→ティムール廟(自分の為に用意したが、実際のお墓はサマルカンドにある)
→ドルッティ・ロヴァト建築群(モスクなど)

サマルカンドまで3時間の移動

🛏 サマルカンド泊

18日目 9月23日
朝食は種類が豊富でこれまであまり良い食事が出て来なかったので、つい食べ過ぎてしまった。特にハチミツが板のまま置いてあり、ナイフで削って食べられるようにしてあったのは、珍しかったし、ほっぺが落ちるほど美味しかった。😋

終日、サマルカンドの観光
「青の都、イスラム世界の宝石、東方の真珠」など様々な異名を持ち、常にシルクロードの中心地として栄えてきた町。世界遺産に登録をされている。

→シャーヒ・ジンダ廟(ティムールの親族や王族関係の霊廟やモスクが11棟並ぶ)

シャーヒ・ジンダ廟

→ウルグベク天文台(ウルグベクはティムールの孫。15世紀頃に造られた計測器は現在とほとんど狂いがない。六分儀も残っている)
→アフラシャーブ博物館(王のお墓参りをしているソグド人の壁画が残る)→ビビ・ハヌム・モスク(1404年の完成で中央アジア最大のモスク)

昼食: サラダ、スープ、キョフテ(トルコ風ハンバーグ)、デザート

→グーリ・エミール廟(ティムール本人と彼の1族が眠る。廟内には金の装飾がふんだんに使われている)
→レギスタン広場(1420年、1636年、1660年に建てられた3つのメドレセが見事に調和している)

レギスタン広場(シェルドル・メドレセ)

🛏 サマルカンド泊

19日目 9月24日
午前はシヨブ・バザールを見学し、その後列車にてタシケントへ

🚃 11:20 発 3~6人乗りのコンパートメントで、冷房も効いていて快適
  14:50 着 タシケント

タシケントは近代化が進み、ビルが立ち並ぶ大都市で地下鉄もある。

→日本人墓地(第二次世界大戦後、捕虜として抑留されて強制労働の末にこの地で没した79人が眠る。今でも多くの日本人が訪れる。
→国立歴史博物館(考古学、歴史学、民俗学的な中央アジア文明が石器時代から現代まで展示されている。見ものはテルメズのファヤズ・テペ遺跡から見つかった2~3世紀のガンダーラ仏)

ガンダーラ仏


→ナヴォィ劇場(日本人捕虜によって建築された。1966年のマグニチュード8の地震でも唯一倒壊せずに避難所として使用された)
→アミール・ティムール広場(放射状に広がる丸い広場の中心にはティムールの騎馬像がある)

✈ 22:20 発 タシケント: アシアナ航空(767-300)

20日目 9月25日
  08:50 着 ソウル

✈ 10:00 発 ソウル:同上
  12:10 着 成田

今回は陸路による総走行距離が約4,000km以上になりました。
ウズベキスタンは特に日本人が多く行っているせいか、前回行った時と比べると観光客ずれがひどかったです。
タジキスタンはまだまだ発展途上で毎回毎回出てくるサラダはトマトときゅうりを刻んだものだけで正直、飽きてしまいました。
我が儘ですみません・・・
キルギスとトルクメニスタンは行ったことがなかったので、興味津々でした。あのキルギスの絶景は忘れることはできないでしょう。
トルクメニスタンは独裁国家というイメージでしたが、旅行をする分にはあまり不便は感じませんでした。

写真は海外旅行50回目くらいでやめたので、旅行会社さんのパンフレットを引用させてもらいました。お礼申し上げます。

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