263kmマラソン体験記⑦(最終話) ~263km走った後、人の心と体はどうなるのか?~
続き
スタートから49時間。3日目の夕方、現在252km地点です。
ゴールまで、あと10km。
前回のお話はこちら。
3日目_夕方(252km~ゴール)
ゴールを目指して
時刻は18:00。制限時間はあと2時間。
空は暗くなってきました。残りたった10km。
なのに、わずかの距離が長い。
橋を越えればゴール地点の「さくら野百貨店(263km)」が見えてきます。
みんながゴールで待ってくれているのだろう、そんな妄想を最後の力にして3km、2km、1kmと刻んでいきます。
さくら野百貨店に至る最後の曲がり角でスタッフの方が「お疲れ様です!」と声をかけてくれました。そして、さくら野百貨店の駐車場の入口に入り、ゴールが見えました。
大歓声出迎えられることはなく、人はまばら。盛大な大会ではなく、参加者も137名の大会です。ゴール前に、走り回っている息子がいました。
わけがわからない彼を捕まえて、一緒に、ゴールテープを切りました。
スタートから、累計50時間30分でゴール。
長い旅路が終わりました。
263km走リ終えて学んだこと
出走者は137人。完走者は54人。完走率は40%。
ゴール周辺には、まばらに人がいるだけです。盛大なゴールではなく、パラパラと拍手が起きるくらいですがそれぞれの旅を終えた、静かな満足感と安堵感がありました。苦しく辛い旅路でしたが、この旅を終えられたことを誇らしく思いました。
さて、この長い旅路を経て、一つ見える景色が変わったように思います。改めてこの旅路を振り返ってみたいと思います。
263kmの旅路の
7/15(土)17:00、”警報級の雨”と悪天候の中開催された「みちのく津軽ジャーニーラン(263km)」がスタート。
1日目、雨。
警報級とはならずともじっとりと振り続ける雨。山道を仲間5人とともに、ヘッドライトを頼りにひたすら進む。50kmで、足はもう痛い。
2日目、雨。
明け方、100km地点。仲間の1名が内臓のダメージにより、尿の色がおかしくなったとのことで、離脱。昼には、濃霧と極寒の津軽半島最北端、龍飛岬を走る。ノースリーブで寒さに震える。
午後は、海岸線の眠気を誘う波の音を迫りくる眠気とともに走り続ける。
迫りくる夜では続く、雨と汗で股擦れを起こし、股間の激痛と眠気に耐えながら進む。
3日目、曇時々晴れ。
ここまでで2時間の睡眠。眠い、ただただ、眠い。すべての場所が「寝れるか寝れないか」で判断する視点に変わってくる。到達した200km。1名の仲間は関門に間に合わず離脱。5名いたメンバーが3名になる。
照りつける暑さと睡魔、股間の痛みと足の痛みの四重奏により長く辛すぎる3日目。ひたすら続く国道ではあまりの眠気に失神するように道端に何度も倒れ込む。
ゾンビのようにくの字に体を折り曲げた集団の中、自分もフラフラとしながら走り続ける。夜、19時半、制限時間の30分前、50時間30分でゴール。
言葉にすると、それだけの出来事。
それでも263kmという、かつてない距離を走破したことは自分史上、大きな達成感を教えてくれる体験でした。
「肉体」に起こった変化
「経験は最高の教師である」。そんな名言があった気がしますが、こ263kmのレースで、肉体面において、精神面において、自分は何を感じ、何を得たのか? 以下まとめてみたいと思います。あくまでも、私のケースです。
足や体のダメージは?
まず、「体にはどんな変化が起こったのか?」についてです。
正直、私自身、263km走ると、人の体がどうなるのか気になっていましたが、走り終えた後の「肉体のダメージ」については、一言でいうと「痛みと眠気」です。
どっちもあまり気持ち良いものではなのであんまり聞きたくないかもしれませんが、せっかくなので(?)記載してみます。(お読み飛ばしいただいて大丈夫です)ちなみに肉体のダメージその1は「足の痛み」です。
足首周りを中心にむくみ、3割くらい膨れ上がってりました。また、足首より下が、痺れたようで感覚がなくなっていました。長時間正座をしたときの感じに似ています。翌日の足首の写真はこんなかんじです。
次に、擦り傷系ダメージ(お股編)です。
股間、おしりの割れ目が何度となく摩擦され、皮がむけて、炎症を起こしていました。温水で洗浄し、ガーゼを当ててて処置しました。しみるし、服が擦れて痛すぎて、股擦れを舐めてました・・・。
また、擦り傷系ダメージ(その他編)もあります。特に、腰のパンツライン、脇腹、背中が、擦りむいたような傷✕湿疹のようになっていました。肌が弱いので、荒れに荒れておりました(汗)
ちなみに太ももや、肩周りや、ふくらはぎも当然痛いのですが、肉体は同時にいくつもの痛みを感知はできないらしいです。私は普段は腰痛や、骨盤付近の痛みがありますが、それ以上に痛い箇所があるため、それらの慢性痛はどうでもよくなっていました。
ちなみに仲間では、足の裏の皮が向ける人、爪が剥がれる人(10枚中6枚・・・エグすぎる涙)などもいました。
今回は、完走率40%でしたが、リタイアの原因がこうした箇所の怪我、故障であることが多く、いかにして致命的ダメージを避けるかという対策が263kmレースでは重要であることがわかります。
(私は擦れづらくするためランニングスパッツを履き、”走る猥褻行為”と仲間から揶揄されましたが(苦笑)それが逆効果となり、逆にスレが広くなりました。他者にも迷惑、自分もつらく、完全に戦術の失敗です)
体重の変化は?
そして次に、「体重の変化」について。レース直後に体重を測ったわけではないので具体的な数値はわかりません。しかし、おそらくレース直後は体重が相当減っていたと思います。1日7700kcalを消費していた計算になるのですが、その量は
・おにぎり(170kcal) 48個分、
・ラーメン(430kcal) 18杯分、
・トースト(233kcal) 33枚分、
となります。
しかし、当然そんなに食べて走っていたらお腹がタプンタプンになってしまいますので、そんなに食べていません。ただ、それくらいカロリーは消費しているようで、レースが終わってシャワーを浴びた時に、全身を見てみると、胸筋など体の筋肉が著しく減っていました。
人は栄養が足りなくなると筋肉を分解してエネルギー元にするのですが、それを体感しました。また、3日くらいはとにかくお腹が空いて、また体がむくんでいました。
しかし、体重がレースから2日後もたつと、64kgになっていて、レース前から3kg増えていました。多分、しぼんだラクダのコブが急激にエネルギーを吸収するような現象が肉体にお来たのだと思われます。
睡眠はどうなるのか?
最後に、「睡眠」についてです。今回のレースでは、3日間の合計睡眠時間は2時間45分。それ以外は基本、走っています。
ただし、睡眠が断たれると極めて厳しい状態になるため、「マイクロスリープ」とでも呼べる20~30秒だけ眠るということで強烈な睡魔をマネジメントしていました。
また10分だけ横になって眠ることで、足の疲れは、明らかに回復したのでした。人は、必要に迫られると「動き続けられるようにできている」と感じました。
またレース後は、睡眠負債が溜まっており、翌日は1日くらい目を覚まさないのでは、、、と私も思っていました。しかし意外にも、翌朝に普通にホテルで目覚めました(8時間睡眠)。寝たりなさを感じるかと思いきや、思ったよりも普通で、自分でも驚きました。(親戚の内科医曰く「人は寝溜めできないんですよ」とのこと)
そのまま、11時発の新幹線で東京に戻り、その後、片付けをしてその日は休みました。ちなみに、私は普段は睡眠がないと、著しくパフォーマンスが下がる人で7時間はしっかり睡眠が欲しい人です。昼間は若干眠くなりましたが、それでもまあ、想像できる範囲内。翌日からは仕事を再開しました。
2日目の夜からは2時間起きに目が覚めてしまいました。理由は「お腹が空いて、目が覚める」のです。とにかく、腹が減る・・・。ゆえに、レースが終わって3日間くらいは、枕元にプロテインバー(200kcal、プロテイン15g配合)をおいて目が覚めた時はそれを食べて、また床についていました。体が修復を求めていました。
以上のことから「その体には、どんな変化が起こったのか?」をまとめると、私の結論は、『人の体は、意外と丈夫にできている』です。(雑なまとめでスミマセン・・・)
ただ、本当にそう思っていておそらく災害時とか、なんとか移動しないと命の危険があるとき、人の体は追い込み続けてもなんとか回復しようと工夫するのかもしれません。また疲れても、目的があれば次の日でも動けるように回復してくれる。
体に刻まれた太古の記憶、狩りをしていたであろう時代のDNAは、誰もの中に息づいているように感じましたし、それを短期間で目覚めさせたような50時間であったようにも思いました。これはトレーニングをした/していないを超えた話のようにも感じます。
人生で大切にしたい2つの教訓
(1)流れがくるまで待つ/耐える
今回のレースは、多くの気付きがありましたが、その中でも、この『流れがくるまで待つこと/耐えること』は大きな気づきでした。
なんだか大げさなようですが、人生、様々な「波」があります。順境もあれば、逆境もあります。楽なときもあれば、苦痛のときもあるのが人生。しばし「マラソンは人生のようだ」と例えられますが、263kmという旅路は、まさにそんな人生によく似ています。
フルマラソンだと3~6時間などですが、今回の超ウルトラマラソンでは50時間。距離が伸びた分、リアルな「人生感」を味わえます。
例えば「自分の体が苦しい」と言っていたら、その体の声に休憩するところは無理せずしっかりと休む。逆に、体が軽く調子が良いと感じる時はその追い風に乗っていけばよい。
流れを感じる事が大事です。
(2)歩みを止めない
本当に眠たく、辛いときもあります。
早く動けないときもあります。その時、一時的に遅くなるのは仕方ない。
でも「完全に止まらない」ことは大事です。
なぜなら、一度完全に止まったら、動けなくなるからです。
それはそのレースにおいてはリタイヤを意味します。
どんなときでも、足を動かし続ける。そうすると、またやってきた元気な時を活かすことができる。辛い道のりの中で出会うサポートに心から感謝を覚えたり、感動ができたりするのです。
人生という長いレースでも、気持ちの上では足を動かし続ける。
それが遠くへ行くコツなのかもしれません。
遠くへ行くなら仲間と共に
また今回完走できた理由は、提督、マッキー、ヒロポン、エンディのおかげです。もっと広く言えば、そして応援してくれた妻、私設エイドのおじさん、関わってくれた多くの方のお陰でした。
特に、1日目~3日目の昼まで、電柱ゲームや共に思い出を刻んだ仲間がいなければ、ウサギの如き寂しがりの自分は、多分耐えられなかったでしょう。(そういう意味で、マッキーは一人で淡々と走れてすごい)
早く行くなら一人でいけ、遠くへ行くなら仲間と行け。
その教訓もリアルに教わって気がしました。
これからの10年、20年、同じように辛い時楽な時、ノっている時ノっていない時、色々あると思います。その時の状況に合わせて、流れに合わせて時に頑張り、時に休む。ただ、歩みは止めず、一歩一歩進んでいく。そうすれば必ず前に進んでいくはず。
そこから得るものはゴールしたときの一瞬の歓喜ではなく、その道の中のプロセスから得られる経験と思い出です。その大切さを、263kmの旅路から、身ををもって学ばせてもらったように思います。
いい思い出だけ記憶に残る
大変長くなってしまいましたが、このあたりでこの263kmプロジェクトも
幕を下ろしたいとおもいます。こうしたことはこれまでもどこかで見聞きした”教訓”でした。でも自分がその足で、その体で体験して感じたことは「確かな教訓」として我が身と心に刻まれたと思います。
旅の素晴らしさ、走ることの素晴らしさ、それができることの感謝。気持ちを揺さぶられた263kmのランニングの旅路と、それに至る5月、6月の100kmマラソン、仲間たちとの練習、振り返ってみれば楽しい思い出しかありません。
苦痛は忘れ、素敵な記憶だけが残っています。お祭りが終わって寂しさを感じていますが、また次の挑戦を見つけ、踏み出していきたいと思います。多分、来年もやるんだろうな・・・。
長文、最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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