見出し画像

永野護展を見て思う、世界の摂理からの脱却という欲望について(2月のこと)

 2月はMicrosoftとAdobeとIO DATAの取材が同月にあり、かなり「テクノロジーライター」という感じの月であった。おれは「テクノロジーライター」とか「ITジャーナリスト」などを名乗っていないのだけれど、2月はそういう趣があった。

 特にこの記事は、Adobeがデザインについてどう考えているのか、Adobe本社の中の人に直接聴ける貴重な機会で、大変楽しいインタビューになった。

 あと2月はね、永野護デザイン展に行きました。以前富野由悠季展を観たおかげで70年代からのロボットアニメ通史が自分の中に残っており(だってそれは富野由悠季なので)、これが永野護展を見る際にもすごく活きた(いずれの展示も友達が車で連れて行ってくれた)。ワークを通して見たうえで簡潔に言うならば、永野護は「初めから完成していた」のだが、それを打ち破り続けることで自身を象っているのだと感じた。じゃなかったらマンガ連載中にいきなり自分のデザインラインを刷新して、出てくるロボの仕組みも名前も変えちゃうなんて取り組みはしないだろう。ブレンパワードの「板バネの積層でロボを作る」というアイデアにもぶったまげた。この板バネのデザインは十三機兵防衛圏の機兵デザインにも影響を与えていると感じる(ストーンズが現代のロックに影響を与えている、みたいな、今さら書くのは恥ずかしいというレベルの話なんですけど、「鈍重と華奢」という真逆のデザインを両立する方法としての直線的で細い板バネの積層というのがかなり第二・第三世代機兵に受け継がれているなあ、と感じたんです)。図録が買えなかったのがデカい心残り……。ぜひ行ってください。ほんとうに初めから完成していて度肝抜かれます。

 もう少し永野護の話しますね?彼はかっこいいロボが動くことと、それがその世界の摂理に対して嘘をつかないことが同じぐらい大事な作家で、たとえばZが「本当に変形できる機構」でデザインされているのはマジで、RG・Zガンダムのプラモを組み立てると感心するのだが(マジで頭がアニメみたいに胴体に収納されるんです)、それって少なくともガンダムの中で描かれる物理法則に対して忠実であることが彼にとってめちゃ大事だったということで、そういう作家が既存の作品ではなく、その摂理をいちからコントロールできるオリジナル作品に傾倒していくのはすごく理解できた。ジョージ・ルーカスがスターウォーズの宇宙空間で爆発が起きて大きな音が鳴ることを指摘されて「俺の宇宙では燃えるし音が出るんだよ」と答えた、という話の真偽は知らないがおれはこの話が好きで、SFというのは地上のルール(重力)から解き放たれたいという願いと、ルールに対して精密でありたいという願い、両立の難しい2つの願いをしばしば内包しており、そう考えると初期の富野由悠季ってこの難しさ(矛盾、とは言い切れない)に対してすげえ自覚的で改めてびっくりしました。この流れで「割と重力に縛られていたい作家・宮崎駿」とかの話もしたいんですが取り止めもないしやめておきます。展示ぜひ見に行ってください。

2月はこんな感じでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?