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人生の節目に、なぜか必ずテレンス・スタンプの映画があった

前にもどこかで書いたかもしれないが、テレンス・スタンプ(というか彼の出てる映画)は、私の人生の至るところでちょくちょく顔を出す。

初めて映画館で見た映画も、スタンプが悪役ゾッド将軍を演じる『スーパーマン2』だった。昔の映画館は途中入場ができたから、窓口で鑑賞料金を払って、重い防音の扉を開けると、外側からは想像もつかない暗闇の世界がうねっていた。まだ目が慣れなくて周囲が全く見通せない。すぐに座席に着けといったって、どこに座席があるのかすら分からない。明るいのはスクリーンだけ。その四角い世界では三人の冷酷な悪人たちが暴れ回っており、特にその時、屈強な男が頬を大きく膨らませて息を吹きかけ、それに対して首領らしき男が冷酷そうな目線を投げかけていたのを覚えている(これがテレンス・スタンプだ!)。他のことは何でもよく忘れるのに、この瞬間の記憶だけはずっと大事に保管されたままだ。

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東京で迎えた成人の日。不運にもあたりは大雪で、連れ立って成人式に向かう仲間もいなかった私は、朝一上映だと割安になると「ぴあ」に記載されてあった新宿の映画館へいそいそと出かけた。それはフランス映画だったが、なぜか主演はテレンス・スタンプだった。いや、正確に言えば、私は彼の名をまだよく知らなかったのだと思う。そうやって雪を払いながら、購入したパンフレットを眺めているうちに、この初老の男が20年近く前に『スーパーマン2』で悪役を演じていた人だと、私は初めて知ったのである。

その時に見た『私家版』という映画は静かな、しかし衝撃的な幕切れだった。

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そうやって映画が終わって場内が明るくなると、友人が後ろの方の座席に座っているのが見えた。彼は同級生なのだけれど、年齢は一つ上だった。果たしてあそこで会ったのは偶然だったのか、意図的だったのか。その真意はいまだに分からないが、成人の日と知っていた彼は私を見るなり「おめでとう」と言った。東京で「おめでとう」と言われた経験なんて、後にも先にもこの一回きりである。

あれから25年くらいが過ぎたのだろうか、昨日、テレンス・スタンプについてのいくつかの記事を読んでいて、70年代当時の彼の知られざる状況を知った。

1960年代、スタンプにとっては出演オファーが殺到し、数々の名誉な賞も受賞するなど、極めて大きな輝きに包まれた時代だった。しかしそれが70年代に入ると、途端に火はかき消え、オファーはこなくなった。もうダメだ、限界だなどとは思わなかったが、鳴らない電話を待ち続けたり、エージェントから「テレンス・スタンプみたいな印象の”若い役者”を探している」などと言われることには、うんざりだった。そんな気持ちが膨らんだ結果、彼はイギリスを出て海外へと旅立つことに。たどり着いたインドのアシュラムで、ひげは伸ばしっぱなしで、1着しかないオレンジ色の服に身を包んで長期の生活を送っていたとか。これまでの競争心や功名心から解放され、それは精神的にも非常に満ち足りた毎日だったという。

そんなある日、プロデューサーが方々に手を回して消息不明だった彼の居場所をようやく突き止め、思いがけない知らせを送ってくる。それが「『スーパーマン』のゾッド将軍役に」というオファー。その瞬間、自分の人生の新たな章が始まるのを実感したのだとかーーー。

私はこれまで一方的に、「自分の人生の端々にテレンス・スタンプの姿が」などと感じていたが、スクリーンの向こう側では彼もまた、一人の人間として大きな葛藤や決断を繰り返しながら生きているのである。両者の運命は各々に流動的で、だとすれば、一本の映画を通してこうして巡り合う確率は、さらにごく限られたものということになる。

こんな時、あらゆる映画鑑賞が唯一無二の一回生のものだと、そう強く実感してしまう私は古い人間なのだろうか。

3歳の頃、何も分からずにスクリーンの世界を目の当たりにした私の衝撃と、人生に悩んでアシュラムで過ごしていたスタンプの人生。二者がスクリーンを介して繋がったと捉える方が遥かに立体的で、かつ豊かな時間に思えるのはなぜだろう。





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