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ASI(AGI)という幻想

ASI(AGI)が本当にできるかどうかも相当に怪しいのだが、更に其処に意識が生まれるかということに言及すれば、喰わせる膨大な量による質の凌駕が起こる的な複雑系には面白さを感じはする。が、しかしそれでAIの類が覚醒を始めるかということに対する疑問に、あ!と思わず声が出てしまった根本的疑問に気付いてしまった衝撃。
いや、頭の宜しい方々は勿論お気付きだろう明白なことであるが、脳は其処の脳神経や脳細胞の複雑奇怪な連携機能だけで作られているわけでもなく、細胞のシステム全体にもサブシステムとして分担のようなことがあるのだろうと思われ、それは即ち脳と体全体の細胞一つずつに意識の要素も含んでいるとして、細胞無くして脳は片手落ちなわけだから、つまり其処だけを必要以上に取り出して模倣機能としてのAIが成立するかというと、そう遠くないところで頭打ちというか止まると言える。ついでに意識も持ち得ないということになろう。
そういえば多くのタンパク質の構造がAlphaFoldによって解明されて久しいが、人の手によってあらゆる実験を重ねていても成し得なかったものを条件を取っ払った先で解明したということなのだが、その間の何故わかったのかについてわからないというのが、現在地だったと記憶する。

この重要な部分を“すっ飛ばす”ことで現れたものが信頼に足るかどうかと言われると微妙だし、その間にあるわからないというブラックボックスをブラックボックスのままにして置かないと成立しない現象とは一体なんなのかとやっぱり解せない。こそが大いなる癌なのではないか・・人類はそこをすっ飛ばさず遺伝子系と神経系で互いに保管しながら成立させてきた存在、だからこその我々なのだが。

複雑系のあらゆる見えない関係が本当に明らかになる日が来ることがあるとすれば、もしかしてその時がAIの終焉なのかもしれないとも考え得るなと思ってみたりする。あくまでも否定をしているというより、違和感の塊に対してどう見るのかということを言っているだけのことです。ついでに言えば、世の中で至極便利に使われはじめたChatGPTも進化しているものの別に人類の豊かさなど何も網羅していないと言ってよく、どちらかと言えばものすごく偏った西洋特にアメリカ?を中心とした情報の入力過多であり、あれが便利だというのも正直なところ日本人の僕にははて大丈夫なのか?と思う始末です。
まあ、僕など古い人間ですから、新しい人間には死ぬまで慣れないという性みたいなもの。それでもやっぱりその違和感が大事だと考えているし、それがない、または見ないふりをするのは僕にはできないし、至極危険だろうと思います。が、はてさて。

マイナスとプラスの気温を行き来する日、それでもお日様が出るとサンルーム状態の我が家のダイニングで久々に強めの辛さのカレーランチを。

辛さが際立つレッドカレーに卵とスナップえんどう・ほうれん草をトッピング

少し体調がすぐれなかった中で、毛穴が開き、汗が出ることで回復、爽快。

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