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いのちの容量



水のなかから人が産まれる。

水のなかから出て、呼吸が始まる。

産声。


人としての、初めての呼吸。

そんなものを一番真っ先に、私は見ている。


水のようなこの曲を聴きながら
そんないつもの光景が頭のなかに蘇ってきた。


人の命は
持って産まれてくるもの
どれくらい生きられるか、生きるかは
ある程度決まっているのだと私は思う。


多くの人生経験をして、家族に囲まれて
色んなことがあった
あの時は辛かったけれどね
今になると良い思い出
生きて、自分はやっぱり幸せだったと穏やかに
自分の果たす役割を終えて、戻らぬ命がある


たくさんの夢を抱えて
長く生きたいと願い、闘病し
家族や大切な人との残された時間を
一分、一秒 大切に過ごしながらも
そんな願いも叶わずに、戻らぬ命がある


朝、元気にあいさつして家を出て
また会えることが
帰ってくることが当たり前だと思っていて
何分、何十秒
そんな少しの 些細なタイミングの交差
事故や災害に巻き込まれて、戻らぬ命がある

大切な人に、さようならとも言えずに。


身体は元気だった
ご飯も食べれるし、眠れるし、動ける足がある
考える頭がある、自由に使える手がある
けれど、心の中だけが「生きたくない」と叫ぶ

心がつらいとなんにも動かない。
暗闇の海を一人、船で遭難している気分になる
そんな自分の中の一番真ん中にあるものを
一番大切なものを自ら絶ってしまう
それがいちばんに良い選択だと思って。
そんな戻らぬ命がある

命の容量の楽曲は、
ここにスポットライトを当てて
その人の悲しみを深く内側から、外側から
なぞっているのだろうなと。


"もっと長く生きたかった"

"自分の人生はこれでもうよかった"

"生まれてこなければよかった"

どう思うかも、その本人の心の容量

人生の容量のようだなと私は思う。


こんな仕事をしているくせに
いや、こんな仕事をしているからこそ

なのか

命のことはよく分かっていない。

自分がいつ死んでもおかしくないと、
誰がいつ死んでもおかしくないと思ってる。
だから 思いついたら書きたい。
後悔はしたくないなといつも思って。



子どもが大好きで仕事を志しました
生命の誕生に憧れがあったんです
子どもがいる人、いない人、様々。
家庭を持ってからこの仕事が素敵だと思えた
お母さんになってからこうして働く人も多いし
独身で割り切ってパワフルに働いてる人がいる


私はどうだったろう。
気づけば、ここにいた。


ある日、暗い気持ちだった
暗い気持ちは。
いつも見せずに人前では笑っていたい。
その方がとても楽しいから。
暗く落ち込む時間があるのは
別に、一人の時だけでいい。

まぁそんな事を考えながら、手を洗って
新生児室に入る。赤ちゃんが泣いてた
いつも聞いてるんだけど凄いパワーだった。
パワフルできらきらして、輝いて見えた。


あの子達は 全身を駆使して
「構ってー!!!!!!!!!!」と叫ぶ
「お腹すいた」「おむつした」
「眠りたいよ」「抱っこして」 「さむい」

母親ではないけれど ずっと働いてたら
なんとなくどれを言ってるかが分かる感覚がある

してあげたら満足そうにすん。っと静かになる
その表情は本当に可愛くて仕方がない
愛おしくて、愛らしい。

まぁいつもの事だから
そんなに重く捉えないのだけれど

「生きたい」という声がいつも必死に聞こえる。

彼らにはきっとそういう感覚しかない。

生きていくために、ただ満たされたい
「声を上げる」
それだけのパワーがあるって凄い。

あぁ、この頃は こんなに身体の全部を使って
言えていたんだなぁ
辛いことも、悲しいことも、欲しいものも。
ぜんぶ、ぜんぶ。

そしてみんなきっと、
環境は違えど同じだった

「生きたい」  

みんなが一緒。ここにいる赤ちゃんは。
そんな初めての輝きってすごい。初心にかえる
ここにいる間だけは 暗い気持ちが吹き飛び
心がパワーで充電される感覚があった。



初めて、自分の手で
生まれてくる命を取り上げた
あの時の感覚はどうにも 表すことができなくて
いまだにずっと覚えている。

何故かなりたいって必死によく分からないまま
一生懸命に前だけみて進んできたけど、
なんだかすごいとこにきちゃった。私。
すごいことしてる?そんな感じ。

いつだって言葉に出来ない感覚がある
その空気がある 。おめでとう、という。
でもこちらは意外と必死。感動に浸ることばかりではなくて、することがたくさんある。
生きる、!!と生まれてくるのだから
母親も、その二人と向き合うほうも必死なんだ。

産声とともに、パパがママの手を握る。
パパが、ママの頭を撫でる。胸の上にのせる。
血だらけの子と、二人の涙を見て、
ただ良かった、良かったねと
胸に溢れてくる熱い想いがある。

今書いてみて、
改めてなんだか恥ずかしくなる。
どうしてだろう。
独特の、ほっとする感じがある
やりきった感じがある
終わった、と。 全身の力が抜けて。
身体に力が入りすぎてたことに気付く。
物凄いエネルギーを分けられている。
お産を見届けた。役目が終わった。
でも彼らにとっては、
生きることの"始まり"にすぎない。



「赤ちゃんが動いていないかも」

まだそんなに経験がない頃、
電話があった。心配だったけど、
だいたい今までのケースは大丈夫だったから。
母親が来てそろそろなんだけどねと。笑った。
予定を過ぎ、もういつ産まれてもいい頃だった。

いつもみたいに部屋に通して、
心拍をさがして、あれ、?がつづく。
私の未熟な技術のせいだと思っていて、
先輩がきて、先輩が先生のところに案内した。

出てきて
抱え込まれて、泣き崩れる母親のことを、
ただ遠くから見ているだけで、
隣に居ることができなかった。呆然と。
悔しい、悲しい、何故、どうして、分からないよ

私はずっとあの光景を、表情を覚えている。

手形をとった 足型をとった
箱の中に二人からの、手紙と贈り物を入れた。

地下室で 帽子をかぶり、洋服を着ている。
元気に泣く子となんにも変わらない。
むしろ、上にいる子よりも大きくて、
体重はずっと重くて、
いまにも当たり前に声を出しそうな顔だった。
どうしてこの子がここにいるべきだったのか、
わたしにはお見送りの日にも分からなくて
受診の3日前までは 普通に生きていた命だった。

母親が 「ありがとう」と
わたしに 。我慢していたけれど、
それで涙が止まらなかった。

深く、頭をさげて、さようならと見送った。
心臓が抉られるような思いがした。


数年後に。
「入院しちゃった、張りが多くて」  
カーテンの先を覗くと、覚えていた顔があった
私は なんだか 泣いてしまって
また顔が見れてとても嬉しかった。

笑っていながら、ずっと。最後まで。
今度は無事に生きられるか、
平気なふりをして心配だっただろう。

今度は元気に泣いて抱っこして
帰る姿を見られたから、笑顔で見送れた。



すごく忙しい日があった。眠れず。
夜に何件もお産が重なっていて。
部屋がなかった。
すでに心拍が動いていないと診断されていて、お産を予定していた人から電話があって、張りが増えてて急な陣痛かもと。

隣の部屋でトクトクと当たり前のように
動いている心拍の波形を見ながら
ふーふーと呼吸をする人のマッサージをして

隣では張りだけの、心拍のない波形を見ながら
経過を一緒に見て

お部屋がなくて多分同時になるけれど

どちらのことも大切にしたいと思った。


隣の子を取り上げて
元気に産まれたあとに 移動して、

先生と診察して、降りてきてるから
そろそろかもなと セットアップした。

パパも付き添っていて手を握っていた。
ママは明るい方で、名前も決まってるんだと
教えてくれた。そこに重い空気はなかった。
いつも通りの空気で。
どちらも産まれてくることを楽しみにしてると。

朝に無事に産まれた。産声のない出産だった。
そっと、あたためて
ガーゼの布団に寝かせた。
おめでとうございますと 。
頑張りましたねと。

掛ける言葉は変わらない。
しんみりもしたくないし、
二人が 楽しみに思っているのであれば
私はママの思っている温度で迎えてあげたい。
生まれてくることに変わりはないから。


綺麗に保湿剤を塗って、
ママが縫ってくれていた、
小さいお洋服に着替えさせて。
小さな頭と身体の体重と、身長をはかる。
いつも以上に、慎重だ。
動かないけれど、その分にやさしくする。
誰によりも、やさしくさわる。

夫婦二人のもとに連れていった。
二人は少し涙を浮かべたが、笑顔だった
笑っていた。
すごく小さいけど、
ちょっとぷっくりお股に突起がついていた。
男の子だった。可愛い。

二人はちょっと上の子と顔似てない?
やっぱり男の子かぁ
と笑っていた。だから私も笑って。
穏やかな出産だった。
素晴らしい、家族の迎え方で、素敵だった。
ゆっくり面会をしてもらった。


うまく気持ちを切り替えられるかと
途中で自分にすごく心配になったけれど、
どちらも大切な命の誕生。
ただ、色々考えずに 目の前のことに
目の前の人達と その温度で寄り添えば
向き合えばいいと思った朝だった。


なんだかね、色々なことがあるね。

必ずひとつひとつのことに、
意味があると思っている。

お腹の中で亡くなる命にも、
生まれて数日で亡くなる命にも。

この人が生まれてきた意味があると思っている。

家族になった意味があると思っている。

大切にしたい。



とても重い命のテーマ。
大きくて、深くて、捉えどころがない。
どこから引っ掴めばいいか分からない。
その輪郭すらも分からない。

こんな経験をしてみても、
「命」とか「生きる」こととか
何を意味しているのか まだ全然分からない。
未知の世界だと思う。

でもすごく身近なことだと感じられる。

命は水のようだと。
配られる容量は最初から
決まっていたのかもしれない。

それでも、生まれてきたかったと
やっぱり嘆く声があるんじゃないかな。

傍から見たら、
産まれてこれなかった子の命は
小さくて、少しの、水に見えるかもしれない。
少量に見えるのかもしれない。

でも本人にとってはたくさんの水だった。

いっぱいの満杯の、湧き出た水。
精一杯に溢れ出して 命の役目を終えた。


パパとママの二人に会えて、
本人には幸せな終わりだったか
そうではなくて、
新しい始まりだったのかもしれない。




わたしは自分の命はさて置き。

どうにでもなれ!と思っている。

生きたきゃ生きるし、
死にたきゃ死ぬのかもしれない。
そんな未来のことはなんにも分からない。
特別に長く生きたいなと思った事がない。


でも。新しいパワーのある子には、
「おめでとう」
「頑張って、生きて」
「まぁちょっと世の中つらいけどね」
「それでも生き抜いて」

そんなふうに精一杯のエールを送っている。

お産を取り上げたともだちの子




ユアネスの2nd Mini Albumアルバム
「命の容量」


「命の容量」 を聞いて
普段 あらためると少し気恥ずかしくて
向き合えなかったものに
またあらためて、命というものに触れることに
少しだけ、仕事のことも絡めて考えたかった。
たくさん感じるものがあった。
考えさせてもらえた。

ありがとうございます。
リリースおめでとうございます。

ライブで聴けた日のこと、
自分の心情と重なっていたことも
これからも忘れたくないなと思いました。

素敵な曲を、ありがとう。


ユアネス "命の容量"

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