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続いていく物語

ある夏の日、カラカラに乾燥したイスラエルの地へ、私は友人に会いに行った。

その友人は「聖書を原語で読みたい」と思ったのを機にヘブライ語やユダヤの歴史について学びはじめ、大学院留学のためエルサレムへ渡ったのだった。

当時私はスペインにいたのだが、失業中で時間を持てあましていた。友人に連絡してみるともうすぐテスト期間が終わるとのことだったので、イスラエルへ遊びにいくことにした。

「イスラエルへ遊びにいく」。耳慣れないフレーズだ。
一人旅の女性の行き先としてどことなく危険な感じがするのと、砂漠や死海以外の観光資源があまり思い浮かばない。

それでも「友人がそこに住んでいる」という安心感で、私は飛行機の予約だけ済ませると心も装いも軽く旅立った。到着して、近代的で快適な空港の様子に安心しつつ入国審査を済ませると、友人のアドバイス通りシェルートと呼ばれる乗合タクシーに乗ってエルサレムまで移動した。

シェルートからの眺め

日本はもちろん、スペインとも全く異なる風景を目の前にして、「異国に来たんだ」という事実をまざまざと感じた。膨れあがるなんとも言えない高揚感と、不安感。

友人が私の宿泊先のホステルまで迎えに来てくれる手筈になっていたため、私のミッションは空港からホステルまで無事に辿り着くことだけだったが、これが一筋縄ではいかなかった。

まず、物売りと見られるおじさんがひつこく絡んでくる。はっきりノーと言う文化のない日本人女性にとっては鬼門だ。
ホステルまでは土産物屋が軒を連ねるアーケードのようになっていたのだが、店番の人と少しでも目が合うと(合わなくても)次々に声をかけてきて、最低限の礼儀として「急いでいる」とジェスチャーしたり「ノー」と言ったりしているとなかなか解放してくれない。

ホステルの主人もなかなかクセのあるおじさんで、白昼堂々宿泊客の女性にセクハラしていた(肩を揉んだり、デートのお誘いをしたり)。
そしてホステルのシャワー室はさながら日本の公園の便所のような作りで、コンクリートの部屋が簡易な板で仕切られているだけだった。しかもドアの建て付けが悪いのか、鍵部分を自分で針金でとめる仕組みになっていた。排水溝付近には大人の足が付け根までズボッと入るサイズの大きな穴が空いていて、中を覗くと真っ暗闇で底が見えず恐怖を覚えた。

共同部屋の中は暑さのためか窓が開け放されており、蚊も多く、うたた寝しようにも気が抜けない。

友人と合流するまでの数時間の間にすっかり疲弊してしまった私だったが、そこへ軽やかに現れた彼女はすっかり現地に馴染んでいるように見え、人間としての強さを感じた。

しばらく会わない間にヘブライ語も堪能になっており、私を案内しながら埃を被ったような八百屋へ寄り道して、びっくりするほどしなびた野菜を平気で買っていた。「この国でおいしいものは?」と聞くと、「あまり無いけど、きゅうりはおいしいと思う」と迷いなく答えた。

物価が高いイスラエルでは、ハンバーガーセットの価格も日本の3倍ほど。友人と、ハンバーガーとポテトのセットを分け合って食べた。
やはり全体的に埃を被ったような色彩の商店街に設置された、プラスチックのテーブルと椅子に座って食べていると、すぐに野良猫が寄ってきた。
「ここでは猫と人の差があまりないね」みたいな会話をした。

あちこちに猫
賑やかな商店街

逃げ場のない平地へ、容赦無くジリジリと照つける太陽。
地球上のあらゆる場所の中でも決して人が住みやすいとは言い難いこの地に、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地であるエルサレムがある。ユダヤ人が元々住んでいたパレスチナ人を追い出して入植してきた経緯があるため、緊張感の強い土地になっている。

友人の留学先であるヘブライ大学も訪ねた。
キャンパスの中は快適だったが、全体的に堅固な壁に覆われているような作りで窓も少なく、イスラエルの人のメンタリティーを表しているようだった。

ユダヤ教の戒律のため週末は繁華街のカフェやお店も閉まってしまい、息抜きできる場所も少ない。そしてユダヤ教徒じゃなくても、マナーとして最低限の戒律は守らないといけない(肉と乳製品を一緒に食べないなど)。ストイックに勉強したい学生以外は音をあげてしまうかもしれない。

市内から大学までは公共のバスを使ったのだが、途中で敬虔なユダヤ教徒たちが暮らす村を通り過ぎた。
バスの車内から平和ボケした平たい顔でまじまじと村人を観察していると、あからさまな敵意に満ちた視線を向けられた。
動物としての勘で写真を撮らなかったのだが(本音はとても撮りたかった)、友人に後でそれは正しい判断だったと知らされた。

ユダヤ教の戒律を厳しく守る敬虔なユダヤ教徒は、金曜日の日没から日曜日まで火や電気、車を使わないと言う。そのため週末に村の横を通り過ぎる自動車に向かって石が投げられることもあるらしい。下手なことをしなくて本当によかったと思った。

彼の地で友人は一心に勉学に励んでいた。
自分には真似できないが、なんだか羨ましいと思った。

ホステルの屋上で、真っ黒な粉にお湯を入れたコーヒー風の飲み物を飲みながらゆっくり話をした。
頭上には抜けるような夕空が広がっていて、一番星が光っていた。
もはやどこの宗派のものかよくわからない、長いお祈りのような歌がずっと聴こえていた。

前置きが長くなってしまったが、あの日から幾星霜。
彼女がずっと訳したいと話していた本が、晴れて翻訳、出版された。
なんとあの翻訳界の大御所、柴田元幸さんとの共訳だ。

この本が手元に届いたとき、私の脳裏にはイスラエルで一緒に食べたハンバーガーや、ボロボロのホステルや、一番星が光る雲ひとつない夕空の光景が走馬灯のように浮かんだ。

出版翻訳の難しさも聞いていたため、いろいろとこみ上げるものがあり、感動した。人の物語は、こんな風に続いていくと言うこと。諦めないで続けていれば、いつかはわからないけれどいつか誰かの目に留まり、形になり、世にでるということ。

本のお礼と共に、「杏子さんの粘り勝ちですね」とお祝いのメッセージを送った。
改めて、ご出版おめでとうございます。

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