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『怪談 牡丹灯籠』 三遊亭円朝作(岩波文庫)

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落語は魅力的な文学の一ジャンルだっていうのが、これを読むとホントに分かります。なかでも円朝のこの作品には、一つのコスモスと言っていいくらいの、豊饒な世界が広がっています。

まず、武士、商人、僧侶から長屋の貧乏人に至るまで、江戸時代のあらゆるレイヤーの人々を巻き込む鮮やかな群像劇になっている。それぞれの登場人物に生き生きとした劇があるだけじゃなく、それがひょんなところで結びついてドラマのネットワークが増殖し、江戸世界の大パノラマに広がっていく。人生の百科全書、という点でバルザックの小説群を思わせもします。

人々の感情生活の豊かさにも驚かされます。愛と憎悪、怒りと慈愛、吝嗇と義侠心、忠誠心と復讐心……、それぞれの思いの糸が織り合わさって、目も綾なタペストリー(つづれ織り)が織り上げられていく。しかも、それぞれの感情には読んでいて切なくなるくらい、混じりけのない強さが張り詰めています。だから、いったん心に生まれた感情は迷いも躊躇いもなくアクションに繋がっていって、物語をどんどん推進するエンジンになっているんです。まさに、行動の文学。それも演者の一人語りで進める落語ならではの身の軽さ、機動性によるところが多いのでしょう。

ところどころにバネが仕込まれてるみたいに弾む会話も楽しいけれど、地の文の鮮やかさにも驚かされます。殊に人と人とがぶつかりあう立ち回りを描く言葉の簡潔さと躍動感が、素晴らしい。起こる出来事や事件のスピードが速く、あれよあれよという間に人々が思いもよらない運命に絡(から)め取られていく。その疾走感は、シェークスピアの戯曲を読まされてもいるようです。

怪談話なので幽霊も登場しますが、映画でも小説でもない一人語りの落語が、幽霊をどうやって登場させるのか。そんな課題にも鮮やかな解が示されています。さらに、複数の登場人物の視点で描くことで、幽霊の存在が立体的なパースペクティブを帯びてくる。幽霊が彼らにとってそれぞれにどういう意味を持つか、が捉えられているのです。希代のストーリーテラー、円朝のワザが隅々に張り巡らされた傑作と言うほかはありません。

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