ざっくりデザイン史2
前回のおさらい
前回まではアート・芸術に近いもの
『アール・ヌーボー』『アール・デコ』はアート・芸術に近いもので庶民の手の届く範囲とは言いましたが、現代の感覚で例いうユニクロで物を買うといった気軽さではありませんでした。
あくまで『新技術』を昔ながらの西洋の芸術や工芸にどう活かそうかというのが基本的な考えでした。
しかし、1907年頃『アール・デコ』と同じかちょっと前くらいの時代に
『作りやすくて、見た目も綺麗なものを作ればいいんじゃないの?』と言ったドイツ工作連盟(通称DWB)という集団が現れます。
ドイツ工作連盟(通称DWB)
『ヘルマン・ムテジウス』が率いるドイツ工作連盟では
当時ドイツはイギリスに大きく遅れをとっており
『様式とか、職人とか綺麗事言ってらんねぇ!』と必死でした。
なので『機械化』や『新技術』に積極的でした。
そこで画期的な仕組みを生み出します。
『規格化』です。
規格化の導入
『規格化』=『統一』
という今では当たり前のことですが、当時はネジやナットの大きさなど会社によってバラバラでした。
しかし規格化を行うことで
見た目も統一され、規律があり美しく、大量生産しやすいという質の高い工業製品が作られます。
この時のデザインは『機械で作られったぽい』『厳格な』イメージのものが多いです。
モリスさんが手工芸を掲げたのと違い
ムテジウスさんが掲げたのは『アーツ&インダストリー(機械生産の美)』
になります。
これが今の工業デザイン(インダストリアルデザイン)の先駆けとなります。
そんなドイツ工作連盟がうまく行っている中、苦言を呈した人がいました。
それはアール・ヌーボーのドン『ヴァン・デ・ヴェルデ』で『規格化とかやってたらクリエイティブの可能性が狭まるだろ!』
これを聞いたムテジウスさんは『確かに…』と思いました。大人ですね。
この意見を受けムテジウスさんは『今までの伝統的な芸術ではダメだ、進化する社会とあってないぞ。新しい芸術学問や美の基準が必要だ!』と考え
そういう学校を作ろうとなり『バウハウス』が生まれます。
バウハウス
バウスハウスはムテジウスさんの意志を受け継いだ『ウォルター・グロピウス』が初代校長として任命され開校しました。
バウハウス以前にも『職人学校』はあったのですが、バウハウスではそういった職人技術も学ぶのですが、『美』とは何か『美しい形』とは何かという基礎的なことを教えることが新しかったのです。
バウハウス以前は『先人たちの模倣をするのが素晴らしい』と考え得られてきましたが、バウハウスでは新しい美の基準を作るために機械と手工芸がどうしたらうまく交わるか考え【形・色・素材・テクスチャ】を0から考え直しました。
その結果『派手な装飾をしない』『形状よりも機能に重きを置く』
『機能的』なモノたちが生まれたのです。
バウハウスで作られたものは今でも通用しそうな素晴らしい製品が多く一度見ていただくと良いかと思います。
これらの動きを『モダニズム』と言い、西洋の伝統芸術からの脱却を行いました。
『伝統芸術からの脱却』 = 『モダニズム』
ちなみに、近代という世界史的な表現は『伝統的概念から脱却した時代』を指します。
モダニズムを代表とするデザインとして『ル・コルビジェ』の『サボワ邸』が有名です。(学生の時、授業で図面書かされたな…)
『合理的』『機能的』なのがよくわかりますね。
しかしヨーロッパに大きな影響を与えたバウハウスも開校からたった14年(1933年)で閉校します。
なぜならば当時のナチス政権から弾圧を受けたからなんですよね。
こうして、教員や生徒はドイツから逃げアメリカなどで新しい動きを見せるのですが……
それはまた次回のお話で。
まとめ
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