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森を見る人は枝葉を見ている

細かいところに目を配りすぎるあまり本質や全体像を見失うことを「木を見て森を見ず」という。

同じ「木」をテーマとした四字熟語に「枝葉末節(しようまっせつ)」がある。
意味は「主要でない細かい部分」「本質から外れた些末(さまつ)なこと」。
また「枝葉末節にとらわれる」と言えば、「些細なことに気を取られて本質を見失う」ことを指すそうだ。「木を見て森を見ず」とほとんど同義である。
「森全体に対する一本の木」「木全体に対して、一本の些細な枝」というふうに、階層構造の違う部分をそれぞれ比べたのに、似た意味になっているところがおもしろい。

森を眺めるとき、幹の一本一本は枝葉に隠されて見えない。
木という個の本質を見るためには、木と触れ合うほど近づかなければならない。

木の幹という本質を見なくとも森が美しいのはなぜか。
森が枝葉で飾られているからである。私たちが森を見るとき、もっぱら枝葉を見て楽しんでいる。木の一本に対しては些細なことでも、森全体を俯瞰すれば、枝葉も大したことのように思えてくる。

木にとらわれず森を見ようとする人ほど、枝葉が目に入ってしまう。枝葉がどこまでも些末に見える人なら、なんとか幹を見ようと目を凝らすかもしれない。しかし目に入ってくるのはどこまでも枝葉で、幹の形は想像するしかない。

自分が大事にしていることなど周りからはつゆほども気にかけてもらえず、自分にとって些細なことがありがたがられる。自分が森の外から見られている一本の木だとして、本質から外れた飾りの部分が遠くの誰かの景色を彩っているのだと考えれば、枝葉も誇らしく見えてくるものだ。

森を彩る「些末な枝葉」を楽しむ、紅葉の季節である。

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