聖書の山シリーズ14 溶けていく家族とその悲劇 ハツォル山 (バアル・ハツォル)
タイトル画像:ウィキメディア・コモンズ
2022年10月23日 礼拝
聖書箇所 Ⅱサムエル13章
Ⅱサムエル記13:23
それから満二年たって、アブシャロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブシャロムは王の息子たち全部を招くことにした。
はじめに
聖書の山シリーズの第14回目。今回は、ハツォル山について取り上げていきます。ガリラヤ湖の北方に位置し、レバノンとの国境近くにある山です。馴染みのない山ですが、聖書を知っている方なら、ああ、あの事件の現場かと納得がいく山です。今回は、このハツォル山について見ていきます。
ハツォル山について
今回取り上げるハツォル山は、現在、テル・ハツォル国立公園として知られる場所になります。ハツォル山は、いくつかの名が知られており、バアル・ハツォル、テル・アスールと呼ばれる山になります。
不規則な形をした台地で、ベテルの北東 8 km にある 1,016 m の台地にあります。サマリアで最も高い山であり、ヨルダン川西岸で最も高い山の 1 つです。山頂には、「山の主」とされるバアル神を祀る祠があったため、「バアル・ハツォル」と呼ばれるようになったそうです。
その名前は「中庭」を意味する言葉に由来し、この広大な土地に古代人が築いた壁に囲まれた囲いのことを指しています。これらの囲いは、季節ごとに羊の毛を刈るために連れてこられる羊の小屋として使われ、羊の毛の刈り取りの祝いという祝祭が行われていました。
ダビデの長男殺害の舞台
この祭りにあわせてⅡサムエル記13章に記述されている事件があります。ダビデの三男アブシャロムが、羊の毛の刈り取りの祝いに誘い出し、その長男アムノンを殺害した事件の舞台がハツォル山でした。
ハツォル山が取り上げられるもっとも有名な事件が、いまから紹介するダビデの長男アムノン殺害です。アムノンが殺害した犯人は、ダビデの三男アブシャロムでした。アムノンとアブシャロムとは同じ兄弟ではありましたが、異母兄弟ということで、複雑な家庭環境がその背景にありました。
殺害への経緯
ダビデは王ということもあって、妻をたくさん抱えていました。7人の妻が知られていますが、そのほかにも側室をもうけていたのではないかといわれています。もともとイスラエルでは、一夫多妻は認められてはいなかったのですが、この時代は、特別に認められていたようです。
さて、アムノン殺害の経緯についてですが、Ⅱサムエル記13章を見ますと、弟アブシャロムには、妹タマルがいたとあります。
アブシャロムの容姿の美しさは「イスラエルのどこにも、アブシャロムほど、その美しさをほめはやされた者はいなかった」(Ⅱサム14:25)と言われているほどで、妹のタマルも美しかった(Ⅱサム13:1)とあります。
長男アムノンは美しい女性であった、異母妹タマルに恋をしてしまうのです。
イスラエルでは、姉妹との結婚は禁止されていましたから、彼は異母妹タマルへの恋はタブーでした。
そうした、律法を破ってまで恋を成就させるということはありえないことでしたから、アムノンは苦しむわけです。
ところで、ダビデの兄弟シムアの息子でヨナダブといういとこがいました。彼はいとこであると同時に、アムノンの友人であり非常に悪賢い人物でした。
恋に苦しみ悶えるアムノンの様子を見た、ヨナタブはアムノンにどうしたのかと尋ねます。タマルへの恋の相談に対して、ヨナタブは、一計を案じます。彼はアムノンに、仮病を装い、父ダビデ王が見舞いに来たら、妹のタマルを自分のところによこして、食事を作ってほしいと願ったらどうかと提案します。こうして、タマルを誘い出す作戦を実行に移していくことになります。
そうとは知らず、タマルは、兄アムノンのために食事を作り食べさせようとします。そうしたところ、アムノンは「寝ておくれ」とタマルに迫ります。タマルは、兄の要求を拒みますが、力ずくでタマルを乱暴してしまいます。
この後、タマルは未婚のまま、兄アブシャロムと同居することになりますが、ひとりわびしく暮らしたとあります。
異母兄アムノンによってもてあそばれ、捨てられたタマルは、深い絶望を受けます。兄アブシャロムのもとに、未婚のまま身を寄せます。聖書では、
「ひとりわびしく」とありますから、タマルは深い悲しみと絶望に苛まれた日々を送っていたに違いありません。
こうした不憫な姿を見ていたアブシャロムは実妹の受けた屈辱や苦しみを我がことと受け止め、凌辱したアムノンに対して憎悪を抱くようになります。しかし、彼はその時は何も言わず、何事もなかったかのようにふるまいながら、復讐の機会を伺うようになったのです。
羊の毛の刈り取りの祝い
二年が経過しました。ハツォル山で「羊の毛の刈り取りの祝い」が行われました。現代でいえばさしずめ勤労感謝の日やサンクスギビングデーにあたる日です。その祭りにアブシャロムは、ダビデ王や王子たちを招待しました。ところが、ダビデは、その申し出を断り、アブシャロムを祝福したとあります。
こうしてハツォル山で宴がとりおこなわれますが、その目的は、アムノンを父や兄弟の前で惨殺することでした。祝いの席を血で汚すことで、妹の復讐を図るというのが、彼の計画でした。
その宴の最中アブシャロムは、その宴席でアムノンを殺したのです。
同席しなかったダビデは、アブシャロムと仲間が逃亡している間に事件の内容を知ります。
彼は、長男アムノンが、同じ息子の一人であるアブシャロムによって殺されたことを深く嘆き、アブシャロムに対して激しく怒りました。そのためにアブシャロムは城を追われる身となりました。
父親不在の影響
羊の毛の刈り取りの祝いというのは、季節で言えば、初夏が始まる頃と考えられています。日本で言えば、ちょうど5月くらいでしょうか。イスラエルの暦ではちょうど小麦を祝うシャブオットの祭りの頃かと思われます。
ダビデは、シャブオットに生まれ、シャブオットに死んだという伝説があります。としますと、ちょうど羊の毛の刈り取りの祝いが行われた頃、ちょうどダビデの誕生日でもあったようです。こうして事件の結果、自分の誕生を祝う時期に最悪の報せを聞くということになったはずです。
アブシャロムは、タマルの凌辱が起こった原因に、父の不在ということを思っていたかもしれません。アブシャロムが生きていた時は6人の妻がおり、しかも側女もいたということで、アブシャロムの母マアカのみならず、その子どもたちは父親の十分な愛情を受け損なっていたかもしれません。
第二歴代誌11章や、第一列王記15章を見ますと、アブシャロムの娘の記事が出てきます。その娘の名が、アブシャロムの母と同名の「マアカ」ということですから、アブシャロムは、ダビデから寵愛を受けることの少なかった母を思って娘に母の名をつけたのでしょうか。
公務や戦争に出ては、いつも宮殿に不在、帰っては来たものの、ほかの妻を愛するということもあり、アブシャロムの母のマアカや子どもたちは父ダビデとの接触というものもきわめて少なかったことでしょう。父がいつもいないという思いが、アブシャロムの怒りの中心にあったことは否めません。
本当は、父親の前で、アムノンへの殺害を企図していたのではないかと私は思うのです。アムノンが憎いということだけではなく、その原因を作った父親に報いたかったというのが、ハツォル山での「羊の毛の刈り取りの祝い」での殺害の動機であったのではないかと思うのです。兄弟たちが集まり、父親も参加でき、父親の誕生日と重なる「羊の毛の刈り取りの祝い」の祭りほど復讐を達成するにふさわしい日はなかったのではないでしょうか。
本来ならば、一年の牧畜の仕事を終え、収穫した羊の毛を神に感謝する晴れ晴れしい初夏を迎える爽やかな日でありました。ところが、感謝と収穫の恵みと爽快な季節に満ちたこの日が、ダビデ王朝始まって以来、最も暗黒の日に変わろうなどと誰が想像したことでしょう。ダビデは、嘆き、アブシャロムに怒りをもったのは当然のことであったと思います。
現在、イスラエルでは、羊の毛の刈り取りの祝いの祝日は残っていません。おそらく、アムノン殺害を機に行われなくなったのかもしれません。
それほどこの事件は、人々に深い傷と悲しみをもたらしたからでしょう。
ハツォル山の悲劇から
ハツォル山はアムノン殺害の凄惨な現場となり、アブシャロムの蛮行と原因を引き起こしたアムノンのタマルへの暴行にばかり目が行ってしまうものです。
その原因となり、遠因となっていたのは、ダビデの父としての役割の不在ということがありました。仕事にかまけて、家を顧みない夫の姿が映ります。
こと、日本では仕事第一、家計第一ということに目が行き、家庭は二の次になりがちです。こうした考えは、クリスチャンであっても同じではないでしょうか。家庭を第一にするからといって、仕事を優先するということは普通にありそうです。たしかに、家庭を犠牲にしなければ仕事が成立しないということもあるわけです。そうした難しい選択の中で、仕事と家庭のバランスはとても大事です。どこに重心を置くのかをこのハツォル山は教えてくれます。
こう私も書いてはいますが、ウィークデーはアルバイトにでかけ、メッセージの準備をするとなると、子供や妻に十分な時間をかけて向き合っているだろうかと考えさせられるものです。
夫としての役割を果たせなかったことにダビデの問題がありました。いくら武勇に優れ、国を一つにまとめたとしても家庭をまとめることすらできなかったわけです。ダビデを弁護すれば、そもそも、7人も妻がいてまとめるということは無理だと言わざるをえない中、逆に良くやっていたと思うものですが、いずれにしましても、私も含め、夫として遣わされている方々に申し上げたいことは一つ、妻を愛し子供を愛していますか?という問いに尽きます。
牧師の諮問式で良く問われることですが、『妻を愛していますか』という問いです。もし、私たちが夫の勤めを果たさず、妻を愛することなく、子供を愛することがなければ家は崩壊します。家庭は祝福されるものです。それは、神の愛が中心にあって祝福されていくものです。
ハツォル山もそうでした。本来ならば、羊の毛の刈り取りを祝うということで、祝福を感謝する場であったのにも関わらず、愛が不在の家庭によって、呪いの山に変えられてしまいました。これこそ悲劇のなにものでもありません。
愛の不在の家庭にあったのは、孤立と相互の不信でした。ダビデの家庭に神の愛が豊かに溢れていたならば、どうだったでしょう。恋に悩む長男アムノンへの無関心や、その状況を知らないということもなかったでしょうし、アブシャロムやタマルの妻マアカへの愛とねぎらいがあれば、あれほど深い恨みというものも招かなかったに違いありません。
家庭は経済や家によって立っているのではありません。たとえ、金銭がなくとも、家が失われても、家族の中に神の愛が豊かにあふれているなら、家庭は立つものです。私たちは、神からいただく愛によって立たされているのだということを覚えていきたいものです。
参考文献
新聖書辞典 いのちのことば社
新キリスト教 いのちのことば社
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)