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キーノートスピーチはMike Paciello氏

キーノートスピーチはMike Pacielloだ。90年ごろからCSUNの常連である。まだ、アクセシビリティという言葉すら一般的でなかった頃から、ここに参加していた。その中で、おそらく最初にWebアクセシビリティのコンセプトを固め、それを普及させるために地道な取り組みを続けていた人である。アクセシブルなWebサイト構築のためのハンズオンワークショップを毎年やっていた。いわばWebアクセシビリティの父である。WCAGの基準作成にも大きく貢献している。彼は最初に、504条の成立に深くかかわったJudy Heumannが数日前に亡くなったことに触れていた。ジャスティン・ダートなどと共に、ADAの成立に大きく貢献した人として語られていた。この分野の人間にとっては、アクセシビリティの母を失ったような気がしても不思議ではない。

Judy Heumann が亡くなったことに触れる


彼の話は、Webだけでなく、デジタルアクセシビリティ全般に及んでいた。いまやモバイルアプリや、情報キオスクなど、さまざまな分野のデジタル機器の全てがUDでなくてはならない環境になったのだから、視野が広がるのは当然である。
また、国際標準も含め、各国でアクセシビリティを進めてきたことも語っていた。世界を回って各国の政府や企業にアクセシビリティやユニバーサルデザインの重要性を説いてきたのである。

Mikeが日本に初めて来たときのエピソードは笑えた。まだ日本にはアクセシビリティという言葉がなかった頃だ。で、そのときに、担当者はCommon Sense(常識)と訳したらしい。これはなかなか秀逸な話である。ま、私としては、ユニバーサルデザインを「前提」と訳したいところなのだが。彼は何度も日本に来てくれた。そうやって、日本にもWebアクセシビリティを根付かせてくれたのだ。有難いことだ。内閣府から各省庁へWebアクセシビリティについては、通達が出せるようになったのだから。ただ、その他のICTアクセシビリティが全く動いていないことを考えると、ちょっと残念ではあるが。。(思い出せば、このころ、外務省が障害者権利条約の第9条アクセシビリティを、「利用のし易さ」と訳し、ユーザビリティとの概念とバッティングしてHCD関係者を大いに悩ませたこともあったなあ)

彼のセリフの中で、印象に残った言葉がある。「全人的で、インクルーシブで、ユニバーサルなアクセシビリティを、広範に求めてきた。」これこそが、彼の人生そのものだろう。また、この前にもキングスカレッジの学長だったArthur Burns の言葉も紹介していた。「あなたの情熱を見つけ、あなたのキャリアをそれで包んでいこう」Mikeのアクセシビリティに対する情熱は、このCSUNで見つかり、それが彼の人生の全てになったのだ。アクセシビリティやユニバーサルデザインを世界に広めてきた情熱の源が、ここにあったのだろう。ま、それはHarry もGreggも同じではあるが。

全人的な、インクルーシブな、UDとアクセシビリティへの挑戦

今回は、ずっとGreggの隣でMikeの話を聞いていた。彼自身も、数年前はこのキーノートを務めたことがある。Gregg、Harry、Mike、そして今回はもう会えていないけど、WGBHのLarry Goldbergなど、世界のアクセシビリティやユニバーサルデザインを牽引してきた人々の顔が浮かぶ。この人たちの人生も、Judyと同様に、いつか物語になるのかもしれない。UDやアクセシビリティの歴史そのものになるだろう。

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