幸せの代償

私は満たされているはずなのに
(そんな事はなかったとしても、考え方次第なので)
どうして過食嘔吐をやめられないのか?

過去の心の傷が深いことは自覚してる。たしかに相当辛かった。

けれども、だからと言ってその分は過食嘔吐を繰り返すのかと思うと憂鬱で仕方がない。

“今”は昔に比べればむしろ必要以上のものを手にしてるだろう。

満たされすぎの代償なのか?

私は自分は幸せになってはいけない人間だと思って生きてしまったタイプの人間故、
きっとこの潜在意識が邪魔をしているのだとも思う。

心の傷を癒すための過食嘔吐なら、
私はその傷をはるかに上回る過食嘔吐をしているだろうから
回復していないことがおかしいと思う。

いま、些細なことさえも幸せだな、と感じれるようになったけど
それでも減らない過食嘔吐。
とても滑稽で誰にも知られたくはない姿。

私は満たされない方がちょうどいいのか?
そんな悲しいことをまた考えている。


本日も陽が昇るまで過食嘔吐。
全てが終わった頃には1ミリも幸せなんか忘れてしまっているというのに。

いまの過食嘔吐が幸せを感じる代償なのだとしたら
もう幸せなんか感じなくなってしまってもいい。

ただ、摂食障害を手放せる幸せは、
これだけはいつか手に入れたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?