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備忘録に過ぎない / 他SNSからはnoteに飛べないようになってます。 知ってくれ…

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備忘録に過ぎない / 他SNSからはnoteに飛べないようになってます。 知ってくれてる人だけ知ってくれてれば良い、そんな感情の備忘録。 /摂食障害 不安障害 複雑性PTSD HSP

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もしも明日、死ぬのではなく死ねるなら

もしも明日 死ぬのではなく死ぬことを選択して、それを叶えられるなら 前提に、今自分はとてつもなく辛い状況からもう何年も抜け出せずにいるということ。 抱えている問題は解決するどころかどんどん悪い方へ進んで行ってしまっているということ。 支えになる存在も本当の意味ではいるわけではない。 誰も頼れない。 …そう考えてみたら私は死を選ぶだろうか? もう少し生きてみたくはなった。 あと1日生きていたら手にしたものがあったかもしれない。 あと1日生きていたら出会えた人がいたか

    • 終止符の打ち方

      「ああ、またバカなことをしている。」 詰め込んで詰め込んで、もういっぱい。 そうして次は胃袋を解放させに行く。 終わらないこのルーティン。もう何年になるだろうか? 何かをキッカケに急に寛解するだろう、そんな期待もしていた。 思えば思うほど、願えば願うほど 食に囚われなかったあの普通の日々がとても遠い。 日に日に悪化して、起きている間は過食嘔吐を繰り返す。 こんな私を誰が愛してくれるだろう? もはやそんな贅沢なことは求めていない。 ただただ、当たり前の日々を取り戻し

      • 食奴隷

        「明日こそは」 「これで最後」 「今日だけ」 日常化しすぎた過食嘔吐をやめれる訳もなく日々を過ごす。 喉を通る食事、胃袋へ入るもまた口から出る食事。 摩訶不思議すぎる。 もうおしまいにしたいと願い続けてどれくらい経ったろうか? この生活をまた一年後もしているのだろうか? だとすればもう私は生きていけていないだろうと思う。 それなのに何故毎日同じことを繰り返しているのだろう? 胃袋へ詰め、空っぽにしたあとは 身体もぐったりしてしまうし低血糖症状が出ることもある。

        • 微かな光

          これまで、私にはもう希望の光なども無い。 毎日起きてすぐに過食欲と戦っては負けて お金も時間も無駄にしていくなど、失うだけの人生。 現実的にそんなことにお金を使い続ける生活など 続けられるわけもなく常に死ぬことを考えていた。 先日のこと。 翌日は唯一の趣味のライブ遠征があるため、早朝のバスに乗る予定があった。 いつものように過食嘔吐をしてしまい、なかなか寝付けずようやく寝付けた頃には なにやら食道やら胃やらがキリキリしており、 「ああこれは逆流性食道炎かもしれない…」と

        もしも明日、死ぬのではなく死ねるなら

          地獄への切符は高い

          地獄への切符=買い出し この生き地獄に終点はない。 願ってはいても遠く果てしないところまで続いてるいるように思う。 自制が効かない自分に 「なんでこんなことしてるんだよ」 「死んでしまえ」 「人権ない」 そんな言葉をかけ続けている。 頭では分かっているのに、消えない衝動。 帽子を深く被り、スーパーやコンビニを徘徊する私は きっと過食嘔吐だとマークされている。 1日の起きている時間をほとんど過食嘔吐に費やしている私に人権などはない。 生きてる価値などない。 はやく

          地獄への切符は高い

          寂しさの成れの果て

          こんなに毎日、起きてる間はずっと食べて吐くを繰り返す自分は実験台のラットと変わりない。 その姿はもの凄く滑稽だと分かっているのに。 過食嘔吐しないと眠れないのに(いや、過食嘔吐のせいでもはや眠れない) 起きてまたすぐに過食嘔吐がはじまる。 強い過食衝動は私を止められない。 この瞬間、私は私をとても殺したくなる。 もうひとつ、その瞬間というのは “食べたものを吐き出す時”。 食べ物に罪はない。当たり前のことである。 それなのに胃袋に入れた食べ物たちに嫌悪感を感じ、 吐き

          寂しさの成れの果て

          誰かのために

          なりたかった。 親、兄弟、恋人、私を求めてくれる人。 そんな人たちのために生きたかった。 もう過食嘔吐なんてやめたい。 そう思いながら食べ物を買って詰めて吐き出す。 一日中止められない衝動。 こんなに酷い人は他にいるのだろうか? 一睡もできず朝を迎えた。 どうにでもなれ、という気持ちと 助けて、という気持ちが葛藤する。 はやく消えて終わりにしたい。 誰かのためにこのお金や時間を使えたらどれほど良かったのだろうか。 もう取り戻せないのに。 すべて詰めて吐き出して こ

          誰かのために

          幸せの代償

          私は満たされているはずなのに (そんな事はなかったとしても、考え方次第なので) どうして過食嘔吐をやめられないのか? 過去の心の傷が深いことは自覚してる。たしかに相当辛かった。 けれども、だからと言ってその分は過食嘔吐を繰り返すのかと思うと憂鬱で仕方がない。 “今”は昔に比べればむしろ必要以上のものを手にしてるだろう。 満たされすぎの代償なのか? 私は自分は幸せになってはいけない人間だと思って生きてしまったタイプの人間故、 きっとこの潜在意識が邪魔をしているのだとも

          幸せの代償

          死を選びたい

          これ以上過食嘔吐を繰り返すなら 死ぬことを選びたい。 毎日そう考えている。 自分のためにも誰かのためにも使えない時間とお金 蝕まれすぎて抜け出せない 救いを求めることもできない 本当は助けてほしいなんて言えなくて、 生きる意味を自分で探すこともできなくなってしまっている。 あのひとは、こんな私を見たらどう思うだろうか。 やっぱり離れていくんだろうなとか ぎゅっと抱きしめてくれないだろうかとか そう考えたら、涙が溢れた。 食べているものに涙の味が足された。 痛

          死を選びたい

          孤独

          みんなお友達と出掛けて食事をしたり遊んだりするのに 私はひとりで家に篭りひたすら食べて吐く。 何をしているんだろう。 食事の誘いも乗らなくなっていたから 余計に会う友達は少ない。 ひとりぼっち。 家族とも離れて暮らしているから、食卓を一緒に囲むことも無い。 こんなに寂しい事があるだろうか。 ただ、感覚が麻痺しているせいか“寂しい”という感覚ももう分かっていない。 寂しいというよりは虚しい。 摂食障害は、私を社会から孤立させ 感情さえも奪っていく。 もちろん時間と

          まともになりたい

          いつもより過食の衝動が少ない気がした。 というそれだけであって、習慣化された過食嘔吐をせずに済むわけではない。 結局一度初めて仕舞えば止まることはない。 今日も命を削って目先の快楽だけ得ようとする。 本当は寂しいなんてことは誰にも伝えられぬまま。 救ってほしいなんていうこともわがまま。 なんせ裏切られ続けてきた私が信じれるものは 本当に少ない。 どうせ過食嘔吐を繰り返している私は 人間なんかではなくモンスターのようなもの。 はやく死んでしまって まともになりたい

          まともになりたい

          寂しさを埋める

          いかにも健常者のように日々を過ごす。 SNSに上げていることなんて日常の一部にすぎない。 今日とて過食嘔吐を繰り返していることなんか 書かなければ誰も知らない。 私は今日も1人で寂しさを埋める。 食べて吐き続ける。 世界で一番孤独だと思った。 美味しい、を共有する人もいない。 どうせ一人になって過食したくなるからと 人付き合いだって悪くなる。 許可食以外を吸収する恐怖。昔よりマシになったけど 出来ることなら食べたくないものがまだ多すぎる。 涙も出なくなった。 痛み

          寂しさを埋める

          毎日カショオで朝を迎えていたけど台風のおかげでこの時間もまだ暗い。雨音に安堵感を覚えて天気の悪さにとてもとても感謝をして眠る。

          毎日カショオで朝を迎えていたけど台風のおかげでこの時間もまだ暗い。雨音に安堵感を覚えて天気の悪さにとてもとても感謝をして眠る。

          過食嘔吐

          もう何年もこの病気と生きている。 症状は末期。 止められないこの生活、終わりが見えないがために死んでしまおうと何度も思っている。 24時間中 起きている間はずっと食のことしか頭にない。 朝まで眠れずに起き続け、コンビニにダッシュするなり Uber eats等を使うなり ようやくお布団に入り眠りについたとして 目が覚めればまたすぐに食のことが頭をよぎる。 本当にどうしようもない。 頑張れる日もあるが、1日の終わりはまた過食嘔吐をしなければ眠りにつく事もできない。 正しく

          過食嘔吐

          苦しくなった時の魔法

          摂食障害になって痩せてガリガリな自分しか許せない愛せない というのも、私も経験者(というか現在進行形)だから良く分かる。 ただ筋トレにハマってからその思考は抜けたけど それでも数年かかってやっとこの思考を抜け出せてる。簡単なことじゃない。 細い自分しか許せないというのは、健常者で例えると 毎日100%で生きてないとダメ、というのに値する。 1%でもダメと感じた(100gでも数字が増えた)からもう終わりだ…という感じ。 50%で十分。 目標に対して10%いつもより頑張れ

          苦しくなった時の魔法

          過去の私へ

          2023年3月22日。 ふと思い出して数年ぶりにログインしたnote。 記事を読み返し、何年経っても私の根っこの部分は変わらないのだなと涙が溢れました。 ありがとう、過去の自分。 そしてこのnoteを更新しなかった3年の間に 私の人生は思いもよらぬ方向へ変わりすぎていて きっとあの時思い描いた自分に 少し近付けていると感じてます。 いま、私には私のことを見守ってくれている人たちがたくさんいます。 彼ら彼女らは、温かい言葉を私にかけてくれます。 “無性の愛”というの

          過去の私へ