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繊切り〜この愛しき単純作業

あけましておめでとうございます。
三が日も終わり、明日から平常に戻ります。

今年のおせちもみんなに食べてもらい、残ったのはやはり、毎年の如くなますでした。

研ぎたての包丁で桂むきや繊切りをし始めると、切れ味も音も気持ちが良く止まらないもので、
ついついキリのいい量やってしまい、作りすぎて残ってしまうのが年明けの常。
頭も真っ白になり、いい発散にもなっています。
そのせいか、余ると分かりつつ
不思議と毎年同じように楽しく向かってしまいます。

そういえば、
何かイライラするとき不平不満が溜まった時に、
大量に野菜の千切りをすると言う知人がいました。

自分はどうか、と振り返ってみれば…
歳を重ねて、子供も大人になり、
いろいろなことに折り合いをつけることだけは上手くなって
イラついたり怒ったりすることもめっきり減ったような気はするけれど、
その代わりに
「めんどうくさいなあ」と思う場面が、昔より増えたような気もしています。

人間関係のもつれも、仕事上の問題やトラブルも、恋愛にまつわる物事、
子育て、病気やそれに伴うさまざまなことも、
人生には、一見、面倒臭いといいたくなることであふれているかもしれません。

でも、面倒だからと逃げたり、避けて通っていても状況は変わらないから
あれこれ逡巡の末、えいっと腰を上げて
その向こう岸にある何かを見に行ってみる。
そんな感じでしょうか。

最近は小学生までもが、人間関係のもつれに悩む時代のようですが
長く生きているからといって、
合わない人や納得のいかないことがなくなると言うことでもないのだ、と実感しています。

もう何年も前に受けた心無い言葉が
いまだにかさぶたの様に残っていたりもする私。
めんどうな事柄以前に、
自分自身が面倒臭い性分を抱えている故、かもしれません。


正月の準備で、
なますのほか、刺身のつま、飾りの白髪ねぎなど,繊切りを繰り返しながら
ふと思いついたことがありました。

料理をしていると、
こんなふうにひたすら皮をむいたり刻んだり、魚をたくさんさばいたり、の一見退屈にも感じる単純な作業が必ずありますが、
そのただ中で手を動かし続けているうちに
今日のようにはたと気づくことがままあります。

扱う食材や切り方によって、
同じ包丁でも
根元を使うか真ん中か、
それとも刃先を使うとより良いのか、
さらに動かし方はもっとさまざまあって。

いつもと違い、なんとなく切りにくいな、なんてときは、
少しだけ方法を変えてみると
嘘のように切れ方が良くなることも少なくないのです。

こじつけにも捉えられるかもしれないけれど、
日々の行動や生き方の選択についても
この感じで突き進んでみたら?なんて思ったのでした。

なんとなくうまく進まない、
次から次に障害が立ち塞がるなんて時には、
その道や方法はきっとどこか合っていないのかも知れないと、
もっとすいすい自分の速度で進める近くの道を見つけたら
嘘のように順調に転じたり。

そんなご経験はありませんか。

続けていれば、
なんでもそういう瞬間は、あるでしょうが
マイナーチェンジを繰り返しながら、
たゆまず重ねてゆく日々に、
きっと価値があると、信じたいです。

あたらしい年の始まりに
そんな思いを抱いたのでした。

何かとめんどうくさい私ですが、
今年もどうぞよろしくお願いいたします。


#note  #料理 #おせち #正月 #なます   #繊切り



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