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無常・苦・無我

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記事一覧

(事実は)経験しなければ分からないとはどういことか③

光や色、音、匂、味、触覚等を知覚し、そこから得られる心象だけが、現前する対象(モノ)の全…

(事実は)経験しなければ分からないとはどういことか②

あるのはこれ(事実)だけなんだけど、ここからいろんな機能が働くことによって、様々な思考、…

(事実は)経験しなければ分からないとはどういことか

言葉では言い表せない、経験しなければ分からない(だから実践あるのみ)と言われると、とても…

我や意志はなぜあると感じるのか

集団の中ではある一定のプログラムに従って思考するよう馴らされていく。 さまざまな観念やイ…

「放っておく」と「信仰」

思いが起きても「放っておく」と言う。 「放っておこう」という思いを「放っておく」と、何か…

宇宙の外側には何があるか

いまここに「私」が存在するのだから、私の存在を支えている「いまの宇宙」があって、「いまの…

思考する前って何かあるの

主体(六境)と客体(六根)が合わさって「認識」(六識)が起こる。 私たちは生まれてこの方、この「認識」の世界に、水の中の魚の様に、ず~~と入り浸っている。 一瞬たりとも離れたことがない。 魚が水の存在を意識しないように、私は「認識」を意識しない。 しかも、在るのは「認識」しかない(魚はいない)。 認識している「私」はいない。 認識されている「対象」もない。 私(主体)は既に対象(客体)と合わさって「認識」になって、消えているから。 既に、合わさって、消えて、と

過去の私と今の私を何故同じ私だと思うのか

「昨日と同じ」という思い込みが継続する自我という観念を強める昨日と同じ寝室で目覚めて、昨…

大安心はどこかにあるのか

モノがあって私がそれを見ているのか。 音があって私がそれを聞いているのか。 私がいなくて…

諸行無常

約2年続けてきたブログ(私≠思考)のサーバー移行に失敗し、バックアップデータ含め全て消失…

モノにも仏性はあるか

「モノ」を見たとき、見ている私(主体)があると感じる。 「ありのままに見る」というとき、…

思考はどこから湧いてくるのか

事物が目に触れたら見えるし、耳に触れたら聞こえる。 (何かの縁が)意に触れたら思いが生じ…

記憶について

五感を通じ受けとる印象(刺激)と、記憶(経験)が反応することで私が生じる。 記憶には、コ…

思考は記憶で、記憶に実体がなければ、思考に実体があると言えるか①

記憶に実体はなく、ただの構造(状態)として、物理的に存在している。 だからと言って、この世界が、無意味で、無機質で、ただ物質だけが在る、唯物的なものかと言えばそうでもない。 私たちが存在している世界において、そうではない(唯物的ではない)と言うことであって、そうである(唯物的な)世界も存在する(生命が生じる前の宇宙のように)。 生命のある世界と、そうでない世界とでは、存在の在り方(構造)が異なっている(生命のある世界の方がより進んでいる)。 存在には、いろいろな在り方