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「グローバル」×「育児」ってどんなもの? 


1.英語教育の必要性

首都圏の中学受験は過熱の一途。小学校受験の志願者も増えているという。先日、公立小学校に通う3年生の娘を近所の合唱団に入団させようかと、体験レッスンに同行したら、自己紹介してくれた団員の子供達が軒並み私立小学校に通っていることがわかり、首都圏の小学校受験者の多さを肌で感じた。

首都圏で教育熱の高い親御さんはどのような小学校に関心を寄せているか。出願倍率を手掛かりに、人気の度合いを調べてみると、英語力がひとつのキーワードになっていることに気付く。

例えば、2022年春、東京都立川市に、日本初の公立の小中高一貫校が生まれ、初年度にも関わらず受験倍率が31倍だったと話題になったのをご存じだろうか。通称、立川国際。義務教育の9年間で、英語の授業時間が通常より1000時間多い、国際化を重視する方針が打ち出されている。この立川国際は、外国語学習の他に、探求的と呼ぶ、他者との議論を重ねて論理的思考を深める学習も進められているそう。

同様に外国語学習に力を入れる比較的新しい私立小学校、東京農大に附属の稲花小学校も超人気だと聞く。新設した2019年から毎年定員を大きく上回り、2022年の倍率としては13倍。農園での体験学習や食への関心を高める取組も人気の理由ではあると思うものの、全体的な教育方針の中でも、語学学習を重視している保護者像が浮かび上がる。

2.国際派(?)のオトナの話

なぜ教育熱心な親御さんは、小学校受験の志望校選びにおいて、英語教育を重視するのだろうか。それは、自らが社会に出て実感した、英語力が必要とされる数々の経験にもとづくものだろう。周囲の保護者と会話をしていても、自分は英語が苦手でもなんとかここまでやってきた、けれど、これからの時代、英語力を手にして、日本や世界で活躍してほしい、そんな思いが見え隠れする。

私自身は、日本の大学卒業後に強い希望をもって海外の大学院を修了して以降、転職しようが、同じ会社だろうが、国際という名のつく部署を転々としながら、気付けば海外駐在や、国内でも英語を駆使して様々な国籍の人達と議論する会議に出て、発言し、情報交換をし、異なる意見を取り入れつつ、自社の意見の反映を目指すという経験を重ねてきている。けれど、かなり頻繁にといっていいと思うが、会議に一緒に出ることになる他社の「国際」関係部署の出席者から受ける質問がある。それは、「会議に出るが、聴いているだけでも問題がないか?」というもの。

最初は開いた口がふさがらなかった。異なる背景をもつ(他の国々の)者同士が一同介している場で、何も話さないで座っている参加者は、自分は得るだけで、貢献するつもりはないという意思表示でしかなく、そんな参加者が一人いれば、その場の雰囲気自体を疑心暗鬼に陥るものへと変えてしまう。発言権のない傍聴者という立場での参加でない限り、聴いているだけという姿勢が受け入れられない国際的、もしくは多国間の場で必要な資質を欠いていると言わざるを得ない質問だ。

3.子ども達が生きる、VUCA時代

さて、国際的な場を避けて生きたにせよ、日本国内でも最近よく耳にする「VUCA」時代ということば。英語にカタカナを振るのは好きではないが、ブーカ/ヴーカと、読むらしい。ご存じの方も多いかと思いつつ、復習すると・・・
・「V」olatility =不安定
・「U」ncertainty=不確実
・「C」omplexity=複雑
・「A」mbiguity=曖昧さ
という「先のことがよく分からない」時代に突入していることを表現している、元は2001年同時多発テロ以降にアメリカで使われ始めた軍事用語が、近年、ビジネス界でも使われるようになってるという。

軍事については全く知識がないものの、それ以前の国を対象として作戦を立ててきた時代から、敵が政府ではないテロ組織を相手とした闘いに向けてのVUCAな状態を踏まえつつ、軍事を含む国家の政策が変遷してきているのは、アメリカ政府の動きをつぶさに見ているとよくわかる。

そんなVUCA時代は、日本のオトナ達にとっても、ビジネス界でのみならず、コロナが社会を席巻したココ数年を経験して、身をもってその最中にいる実感がある。安定性も確実性も欠く、何よりも複雑で曖昧模糊とした正解のない世界で生き抜く術を我が子達に授けたいという思いは、私も強く共感する。まずもって英語力は必須だし、とにかく、自分が受けてきた教育だけでは太刀打ちできないという危機感をもって子育てをしていると、私立小学校の教育方針を確認しながら受験を考えるのも至極当然なのかもしれない。

4.単なる英語力を超えて

冒頭で、英語力を重視している小学校への支持率が高くなっている昨今について書いた。現役の保護者世代には、VUCA時代に世界とつながりを断つことは難しい、いや世界とつながっている故のVUCA時代に、我が子達には国内外で生き抜く、できれば羽ばたいて欲しいという願いがある。けれど、世界を舞台に、100歩譲って、日本にいながら世界を相手に仕事をして生きていくには、単なる英語力だけではない力が必要となるのは、自明だ。異なる環境や文化といった背景をもつ人々のいる世界が相手だから。そのような力というか、感覚とでも言おうか、生まれた環境の違う他者への理解を示し、尊重をし、自分自身の環境と文化を説明できる人材になる力を身に着けることも必須なのだ。

実際、経団連が「グローバル」人材の育成の観点から各社に対し実施したアンケートにおいて、最も必要とされる力と明記されたのは・・・

『海外との社会・文化、価値観の差に興味・関心を持ち、柔軟に対応する姿勢』

である。2015年に実施されたものだが、外国語によるコミュニケーション能力は3番目におかれ、『既成概念にとらわれず、チャレンジ精神を持ち続ける』が2番目に回答者数が多かった。

私が一緒に働いている、国際的な感覚が十分でないと感じる他社のカウンターパートが、国際的な仕事をしていることを思えば、日本国内で英語力を付けながら、国際的な場で活躍する力が自然と身につくことはないのだと感じる。少なくとも、小・中学生の年齢の子供をもつ親世代にとっては、自分の受けた教育とは異なる方針によった環境へと我が子達を誘うべきだと考えるのも頷ける。

駐在経験のあるケニアの清廉な風景:
我が子達とまた訪ねてみたい!

それ以外親にできることは?それは、国内に留まっている限りでは得がたい経験、例え短期間であっても、国外で英語を使って、多様な背景をもつ人々と交流し、時には英語力や自分の知識の不足に歯がゆさをおぼえながら、常に好奇心を携えて、自国のこと、他国のことを学びつづける意欲を養ってもらうことなのかもしれない。

私自身が、自分が行ったことがある国々、

イギリス、ケニア、北タイ、ブータン、カンボジア、ボスニアやクロアチアなどなど、

特に年単位で駐在や留学をしてきた国々を娘達と訪ねたいという希望があるのはそういう理由だ。娘達の日本で置かれている環境が必ずしも他国とは同じではなく、それをどのように客観視し、どのように英語で表現し、どのように他国の文化や思考を吸収するためのコミュニケーションを他者と重ねていくか、そいう力をつける経験を与えたいと思っている。

日本の早期教育の一環としての受験熱が高まる中、各校の教育方針を重視して、学歴だけに偏重する傾向はなくなってきていると感じる。私自身が、我が子達にはどのような教育環境をプレゼントできるのか、学校調べとともに、私にできることを模索する日々は続きそうだ。



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