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娘の問題は、彼女の問題。

1.七夕の短冊にこめた娘の想い

七夕の夜に娘達は願いをかける。

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・「早くコロナが終わって イギリスに行きたい」
(by長女9歳)-ハリポタファンの長女ならでは。初海外はイギリスへ!の夢を天の川に。

・「また さかあがりが (また) できるようになりたい
きりんのころ できるようになりたい♡」
(by次女5歳)ー保育園の年長(きりん)組の次女が、再度の成功を願うのは、前月の運動会本番で初めて成功した逆上がりのこと。

実は、前にも後にも次女が逆上がりに成功したのは、運動会本番だけなので、それはそれでスゴイ。年長(きりん)組を終える卒園までに、再度逆上がりを成功したいという願いを天の川に託す。


2.運動会の本番で起きたこと

次女の(そして長女が卒園した)保育園では、アスレチックがさかん。世間ではシガナイ公立保育園と思われているが、安全というリスクをとっても子供たちの心身の成長に注力してくれるこの保育園の良さは通ってみないとわからない。

この園では、年長組になると、運動会で、
①上り棒のロープ版「上りロープ」、②平均台のような、でも板でなく、細いベルトを渡る「スラックライン」、これに、

③「鉄棒」の3つの器具が保護者の前に並べられる、その名も「アスレチック」という種目がある。各園児はそれぞれが選んだ2つの器具で、それぞれができることを披露する。

 そう、それぞれが『できる』ことを。

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次女は、①上りロープ(↑の写真)と、②鉄棒をセレクト。彼女の友人は、何人か事前に逆上がりができていた。次女も、保育園で練習を重ねるも、週末にも姉に教えてもらうも、できずにいた。

事前には、逆上がりは『できる』ことにはなっていなかった。

そして本番前日。「どうしよう、明日運動会なのに、逆上がりができない」(by次女)。片や母親の私は、やれ研修、やれ仕事、やれ溜まった家事と、ろくに週末の練習にも付き合えなかった罪悪感が頭をもたげてくる。そして、運動会前夜、オフィスから帰宅した後に、簡単な夕食を済ませて、娘達二人をまだ暑さの残る公園に連れ出し最後の練習をした。収穫なし。
 
その特訓の帰り道。長女の提案で、神社にも立ち寄った。神頼みまでする。

何が功を奏したのか、運動会当日、次女が逆上がりに成功したことは前述のとおり。二度目の挑戦で見事、次女の両足が空を切って着地!担任の先生に抱きしめられ、観客席の長女も私も号泣しながら惜しみない拍手を送った。

3.当日の朝何があったのか

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次女の逆上がりの成功を見た時、私の脳裏をよぎったのはその日の朝の次女との会話だった。

母:「ねえ、鉄棒では、前回りをしたっていいのよね。
  『できる』ことを見せるんだから、逆上がりを一回やってみて、
  できなければ、前回りでもいいよね。」
次女:「私、逆上がりだけをやる。逆上がりをやってみて、できなければそれでもいい。」(キッパリ)

私の発言は、自分に禁じている、起こるか起こらないかわからないことを予め口にする「先回り」だった。幸い、次女が私の言うことを聞かずに挑戦してくれたから、運動会本番の成功を手にできたのだ。そう、二度目で成功した。二度目で私の言うことを聞いて、前回りなどしていたらと思うと恐ろしい。

当日の朝はそんなことには気づかなかった私。
あれだけの強い思いで本番に臨もうとしている次女が、鉄棒で失敗して落胆したとしたら、あまりに可哀そうだ。ただそれだけを想像してしまったのだ。

4.誰が所有する問題なのか

次女の鉄棒での逆上がりが成功し、号泣した長女を見て、周囲の保育園の先生方や他の親御さんが、「親が泣くのはわかるけど、なんていいお姉さんなのかしら」「姉の愛ね」と口々に仰った。

なぜ長女は泣いたのか。それは、妹の練習に長く付き合い、前日の特訓にも付き合い、妹のために一緒に神頼みをしたから。妹の逆上がりに対する強い思いを知っていたから、妹の願いは姉のものになり、妹の緊張は姉のものになり、次女が感じたかもしれない失敗の痛みもきっと姉のものになった可能性はあったが、結局は成功に転じた妹の挑戦は、姉の喜びの涙になったのである。

言い換えれば、妹の問題を姉は自分のものとして感じていた。妹の問題が、姉の問題になっていた。

そしてもちろん親(私)こそが、次女の問題を親の問題として、捉えてしまったのだ。そして、次女が問題(失敗)を回避できるよう提案し、ひいては、自分の問題(恐怖)を回避するのに、不必要な提案をしてしまったのだ。次女が経験するかもしれない失敗の痛みを、自分の痛みとして感じたくなかったのだと冷静になってみれば分かる。

でも、次女が失敗をしようと成功をしようと、それは次女の問題だ。彼女の経験であって、親の私がその経験の芽を摘んではならない。彼女の問題を、親が自分の問題とすることには、経験を奪うリスクがある。

ー『ほとんどの父親、母親が、あまりにも多くの子供の問題を自分でかかえ込み、自分で所有する傾向がある(トマス・ゴードン「親業:子どもの考える力をのばす親子関係のつくり方」大和書房)』

先日の投稿で、ゴードン教授の本を引きながら、子供が自分の問題を自分で解決するようにするには、子供を信頼することが大切と書いた。先回りをしないことは、子供を信頼することにも通じる。こういう小さい出来事の積み重ねにおいて、我が子達の経験することが、彼女達の所有している問題であって、彼女達自身が解決を模索すること、そしてそれは親(自分)の問題ではないことが分かるよう、もっと冷静に、客観的に自分の心を見つめていかなければならない。

次女の短冊には、次女が自らの強い心で得た成功体験に基づく、さらなる高みへの願いが記されている。

親として、温かく見守っていくことを心に刻む、七夕の夜☆


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