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毎回が最終回のアニメ《人造昆虫カブトボーグ V×V》:狂気は現実のアンチテーゼとなるか?

要点:


消費社会で消費される運命と争う熱意の大切さについて考えようという話


①カブトボーグとは何かについて(43話を通じて)
②この43話は消費社会のアンチテーゼではないか
③消耗品ばかりの社会で、どう気持ちを振り切ればいいのだろうか

作品名: 


人造昆虫カブトボーグ V×V 第43話「心!サドンリー・ズームアウト・コンチネンタル」


概要:


ボーグバトルは人生の縮図、男のロマン。
ボーグバトラーたちの日常と葛藤の物語(1話完結型)。


感想:


①カブトボーグとは何かについて(43話を通じて)


みんな大好きカブトボーグ。
2023年にグッズが新たに展開されたこともあるので内容の説明は不要だと思います。

いうならば、ベイブレードやゾイド的なグッズ購買意欲を促すためのアニメがひょんなことに頓挫。様々な奇跡で構成されているアニメです。

この作品の面白さについては、他サイトや動画などで語り尽くされていると思うので、ここでは特に俺が気に入っている回について語ります。

「チャージ3回、フリーエントリー、ノーオプションバトル」が基本のカブトボーグ。第43話ではインスタントバトルというものが流行し「チャー1、フリエン、インバト」と略されるようになります。

次の電車が来るまでの5分間で簡単に、100円でできるインスタントバトルが流行。
この流行のおかげで老若男女様々な人が気軽に遊べる環境になるが、主人公のリュウセイはこの状況下に違和感を覚えていた。

コンビニ周辺に連なるワンコインボーグのゴミの山。あっという間に終わる味気ないバトル。ボーグで経営してるロイドさんまでワンコインボーグを導入しようと考え始めてる。

ボーグ職人(人間国宝)の爺さんとの交流やその他諸々があった末に、ワンコインボーグを販売している経営者と戦うことになる。
しかし、その経営者が一癖も二癖もある。

語尾に「どっちでもいいけど」がつくし、ワンコインボーグの社員一丸となった開発努力、顧客のニーズやら適当ながらも正論をかましてくる。

だけどリュウセイは挫けない。
「結局お前らが残したのはワンコインボーグのゴミの山じゃねえか」
「そんな奴らが束になってかかってきても俺は負けない」
「なぜなら、俺はカブトボーグを愛してるからだー!」
「だからこそ言おう」
「お前のようなどっちでもいいやつに負けたら」
「地獄の閻魔様に合わせる顔がないからだよぉ!!」
みたいなことを言ってははず。

結果、勝利したリュウセイ。
社長は立ち去り、ボーグ職人(人間国宝)が社長の座に・・・


②この43話は消費社会のアンチテーゼではないか

俺にはこの内容が消費社会のアンチテーゼのように思えてしまってたまらなく好きだったりする。まあ、消費社会の逆のような職人を目指したことも商業に乗るために制作したことがあるからだと思う。

結局のところ、消費社会においては速度、敷居の低さ、安さ、安定したクオリティ、分かりやすさなどが重視される。
それはやはり「商品に興味のない人にも興味を持ってもらう」ための工夫として最低限必須だからなのだろう。


③消耗品ばかりの社会で、どう気持ちを振り切ればいいのだろうか

昔お世話になった恩師に万人受けするための工夫がしたいことを伝えたら「万人受けするっていうことは、どうでもいいということだ」と怒られたことがある。
確かに、どうでもいいからこそ簡単であって欲しいし、時間も金もかけたくないものなんだと思う。
だからこそ「どうでもいいけど」のスタンスでしか作れない万人受けが存在するとも思える。

ただ付け加えるならば、消耗品を消費されるためには敷居を下げるためのあるとあらゆる努力が必要だし、やりたいことやできることの妥協(例えそれが本来の意味を失っても)が必要になってくる。
一定の値段に価格を落とすために、本来必要な要素を無くしたり、スケールダウンさせたり、工程を省いたり・・・。ああ、辛い。
正直なところ、消耗品を作ってみたい気持ちもあるし、消耗社会において消耗されない物を作りたい両方の気持ちがある。

どっちにしろ、熱意をどっちに振り切るかが大切なんじゃないだろうか。
割り切って「どっちでもいいけど」のスタンスになるか。
「俺は負けない!なぜなら好きだから!」のスタンスか

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