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非日常【読書感想文:朝井リョウ 少女は卒業しない⑴】

前回の読書感想文はこちら↓

本を一冊読み終えた。
『少女は卒業しない』という短編集だ。今回は一作目、「エンドロールが始まる」の感想文を書こうと思う。

短編集の舞台は高校。
一つの何気ない理由の塊が近くに現れることを知って、彼らの日常が非日常として繰り広げられる話だ。


日常は、自分が思っていなくても出来上がるものだ。

朝起きる、顔を洗う、友達や先生に挨拶をして、つまらない授業を右から左に受け流して窓の外を見る。ルーティーンにしていなくても、ルーティーンとして自分の体に馴染んでいくものだ。

でも彼女のルーティーンは自分で作り出したものだ。

自分の欲を叶えるため、発散出来ない心の靄を取り払うため、この日この時間この人でしか埋められない私の瞳を見つめてもらうため。

でも自分で作り出したルーティーンは滑稽だ。努力は結局努力が認められるまでの結果が必要で、結果が無ければその努力は自分の満足度を測るものさしにしかならない。努力してルーティーンにした所で、誰の心も動かない。
自分は努力したんだと打ち明けて世界をぐちゃぐちゃにすることだって出来たはずだけど、自分の心に歪な蓋をした。いつか零れて出てきそうだし、ふっと息を吹きかければ外れてしまいそうなほど形が合わない蓋。でも無いよりはマシだと、蓋をし続ける。


世の中にはハッピーエンドで終わる出来事は少ない。
円満に別れたと言っても愚痴や暴言を吐き出そうとすれば流れるように出てくるし、クリスマスに流れる音楽の登場人物は大体失恋している。卒業式は悲しいし、いつもは物で溢れていた場所が整理整頓されることは良い事だが急に静かになるのは心がザワつく。

ドラマがハッピーエンドを映している間、敵役や元恋人役や主人公の妹役は何をしているか考えた事があるだろうか。主人公達にとってのハッピーエンドの日は、ただの日常だ。


この作品の登場人物は、それに気付いている。ハッピーエンドで終わるような、生あたたかい物語を、自分も経験出来るだなんて思ってない。それに、自分以外の世界を壊して、自分だけハッピーエンド、他はバッドエンドにしよう、とも思っていない。
ただ、彼女と彼女の大切な人の近くで起こった一つの「非日常」に、自分の努力が反映されていたのかを確認したいだけだ。

自分がこの世界に生きていた証を、見つけたいだけだった。


美しいと思った。
彼女の意思や、伝えたくても伝えられないでも伝えたい小さな攻防や、「いつもとは違う」と簡単に言い切ってしまえるような非日常。

全ての人間が、似たような経験をしているはずなのに、彼女や彼女を取り巻く人や環境が、彼女を美しくさせた。

この大切だった日常も、もう無くなってしまう。そう思いながら生きていくことがどれだけ綺麗な物かを教えてくれている。


私には、その覚悟があるのかと迫られている気がした。

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