福祉の現実:知的障害を持つ子どもと一緒に生きる親の決断
今回は、かつて、福祉の仕事をしていたときの話をしたいと思います。
知的障害の子どもと一緒に死のうとした母親の話
Aさんには、重度の知的障害を持つお子さんがいました。
Aさんは、真剣に悩んでいました。
悩んだ挙げ句、Aさんは、知的障害の子どもと一緒に死ぬことを決めました。
さて、ここまで読んで、どう思ったでしょうか?
✅重度の知的障害者なら、しょうがないよね
と、思ったでしょうか?
もし、そうなら、なにか、勘違いしてませんか?
たとえ障害があっても、自分の子どもです。
大好きな自分の子どもを殺そうとしているわけです。
どれだけ思い悩み、つらい思いを抱え込んでいるか、想像できるでしょうか?
Aさんが、その後、どういう行動を取ったか、です。
夜中に子どもと一緒に外出します。
行き先は、人気の無い線路。
そして二人は、線路に横たわります。
電車が来て、ひいてくれたら、一緒に死ねるから。
しばらくすると、電車が音を立てて近づいてきます。
電車の音に気づいた知的障害のある子どもは、奇声を上げて、逃げ出したそうです。
その姿をみて、Aさんは思います。
Aさんは、腹をくくります。
その後、Aさんは、施設の手助けを借りることになります。
障害を持つ子どもの親は、腹をくくるときが来る
私はこの話をAさんから聞きました。
もちろん、子どもと一緒に線路に寝たより、ずっと後のことです。
あっけらかんと話してくれました。
知的障害を持つ親御さんたちから、
と言われたことがあります。
ちなみにこのエピソードを聞いたBさんは、
と、軽々と言ってました。
ちなみにBさんのお子さんは、重度の自閉症で、施設に預けていました。
障害を持つ子どもを育てるって、並大抵のことではないのです。
私には、子どもがいないから実感はないですが、たくさんの人に出会ってきてそう思いました。
自分の子どもが知的障害だと分かったときは、人生が終わったかのような、どん底に突き落とされたように感じるのだけど、どこかで、「まぁ、しょうがない」と腹をくくる瞬間がくるらしいです。
福祉の仕事の現実とやりがい
なぜ、こんな記事を書いたのかというと、福祉の仕事の現実とやりがいを知ってもらいたかったのです。
ひょっとしたら、守秘義務にひっかかるかな。
医療でも福祉でも、パンフレットって、とても「キレイ」ですよね。
介護施設のパンフレットを見てみると、にっこり笑うお年寄りに、笑顔で寄り添う施設職員。
福祉の仕事なんて、そんな「きれい」なものではないです。
汚物を扱うから汚いという意味ではないです。
人間の「イヤな部分」を見なければならないときが、頻繁にあります。
それでも、福祉の仕事は、やりがいのある仕事だと思っています。
「目の前の利用者」だけではなく、「その家族の人生」を支えているのが、福祉の仕事
障害者にまつわる仕事でも、高齢者に関わる仕事でも、目の前の利用者を支えている、と勘違いしている人が多い印象です。
よく考えてみてください。
知的障害を持った子どもと一緒に死のうとしたAさんのエピソードを書きました。
子どもを施設に預けたとして、支えているのは、知的障害をもった子どもだけなんでしょうか?
違いますよね。
施設が預かってくれるから、Aさんは生きていけるんです。
実は、福祉の仕事というのは、「目の前の利用者」だけではなく、その向こうにいる「家族の人生も」支えているんです。
たとえ仕事の内容が単純だったとして、ヤリガイのない仕事でしょうか?
この記事に共感してくれる人もいるはず
「子どもが重度の障害者だったから、一緒に死のうとした」
ショッキングなエピソードから、このブログ記事を始めました。
重度の障害を持つ子どもを一人で育てる親にとって、そんな禁断の考えが頭をよぎることは、珍しくないはず。
福祉の仕事の「きれいごと」とは、まったく逆の視点で、「本音」を語ってみました。
障害をもつ子どもの親御さん達の中には、共感してくれる人もたくさんいるのではないかと思っています。
そういう人たちを支えるのが、実は福祉の仕事の醍醐味なのだ、ということを伝えたかったのです。
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