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神戸のタブー 幻の元町地下街

中華街で有名な神戸元町というエリアがあります。中華街の横に伸びる元町商店街というアーケード通りがあり、そこに幻の地下街があるというのが、私が劇団の先輩から聞いた話です。


大丸神戸店から見た元町商店街入口

元商店街の奇妙な構造

「元町商店街って妙に地下のお店が多いだろ?」
劇団の先輩であったHさんの切り出しがこうだったのをすごく覚えています。確かにそうで、チーズケーキで有名なお店Kをはじめ、この商店街は妙に地下のお店が多いのです。K店などまさにそうで、入口は地上にあるのですが、お店自体は地下にあり、そこにはお店の由来でもある大きな観音像が鎮座しています。
※これは改修前の内外観の話なので、今行ってもこの独特の感じは分からないかもしれませんが…
他のお店も同様の構造が多く、
「それは元々、元町に地下街が造られる計画があった名残で…」と続く先輩の言葉がすっと腑に落ちるに足る違和感を持っていました。

三宮-元町-神戸地図

舶来の元町、戦後象徴の三宮

「その計画がとある理由でとん挫し…」と続いている先輩の話を咀嚼するためには、そもそも元町と三宮という街の成り立ちを知る必要があります。神戸地元民には雰囲気として理解しているところも多いかもしれませんが、元町は明治神戸開港から栄えたエリアです。
神戸外国人居留地(旧居留地)を中心に栄えた元町の象徴である元町商店街は鯉川筋(メリケンロード)から宇治川筋(ハーバーロード)まで東西約1.2kmに伸び(※現在)、舶来雑貨や古書店が多く立ち並びます。
一方で三宮は戦後に栄えた町で、野坂昭如氏の『火垂るの墓』の舞台にもなったひどい空襲後の神戸復興の象徴でもあります。現在どちらが栄えていると言えば、端的に言うとそれは三宮と多くの人が言うでしょう。

阪神元町地下で2023年8月に閉鎖した有楽商店街

闇市の元町と百貨店の三宮

元町を語る上で欠かせないのが、元町高架下、通称モトコ―です。今では古着やおしゃれカフェのモトコ―ですが、その成り立ちは戦後闇市です。それに連結するのが、2023年8月に閉鎖した阪神元町駅地下に連結する120mほどの短い商店街、有楽商店街で、戦後神戸復興の本丸であったエリアです。この地下街こそが、幻の元町地下街の"ネタ"とも言えます。
闇市とは全く違う軸で戦後復興を牽引したのが神戸の百貨店文化です。現在は阪急三宮と大丸神戸店が残るのみですが、戦後には新開地や元町に自然発生的に作られた神戸デパートと元町デパート(後に三越)や阪急、そごう、大丸といった企業計画で作られた数店が乱立していました。これら乱立した百貨店を地下街で繋ぐ目的でできたのが元町-三宮地下街、現在「さんちか」に変異した地下街です。

闇を売る街、元町地下街

劇団の先輩がこの元町地下街の噂を仕入れていたのは、ひとえに神戸小劇場の中心地(当時)新開地がこの元町地下街と無関係ではないからです。闇市、娯楽、劇場文化で成り立っていた元町-神戸・新開地エリアですが、百貨店文化は育たず新開地神戸デパートはまさかの半年閉鎖となりました。付随する元町地下街も百貨店連結という目的から逸脱し、自然消滅した…と表向きはなっているというのが、この話の結びです。
表向きは阪神元町駅に120mしか存在しない元町地下街。では、なぜアーケード元町商店街に地下につづくお店が今でも多いのか。実は元町地下街は建設だけ広大なエリアに進んでいて、しかし都市開発の方針によって箱物だけ打ち捨てられたというのがこの話の主張です。
そこは戦後1500軒あったと言われる関西闇市がそのまま地下に潜った魑魅魍魎の世界であり、元町商店街の地下店にある「秘密の入口」からのみ辿りつけると話されています。

まとめ

神戸元町を知らない人からすると、いかにも都市伝説じみてチープに聞こえたかもしれませんが、ぜひ一度この元町商店街(特に神戸側)を散策してみてください。明治開港から戦後闇市を支えたこのエリアが持つ独特の雰囲気があって初めてこんな噂が成り立つのだと理解できるはずです。
もし、たまたま立ち寄った地下喫茶店で、ふと姿を消した人がいたら…。

ちなみに私もそのH先輩とはもう20年以上連絡が取れていません。ただ単に連絡先を知らないだけですが…。

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