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平松伴子「世界を動かした女性 グエン・ティ・ビン」コールサック社


1969年、ベトナム和平拡大パリ会談に、アオザイを来て颯爽と登場したビン女史は、南ベトナム解放戦線(べトコン)が樹立した南ベトナム共和臨時革命政府の外務大臣だった。ジャングルの戦士の代表は実にスマートに世界のリーダー達と渡り合った。

かのキッシンジャーをして「彼女はタフすぎる。苦手だ」と言わしめ、ベトナムの惨状を世界に発信し続け、国際社会を味方につけることに成功した凄腕の女性リーダーなのだ。

この本は作家である著者が、あこがれ続けたビン女史に直接インタビューし、ビン女史自らが書いた資料にも準拠しながらまとまたものである。ビン女史はその後、ベトナム副大統領まで上りつめ、現在はエージェントオレンジ(枯葉剤)の被害者支援に力を注いでいる愛国者だ。曽祖父がベトナム史に功績の高いファン・チャウ・チンという教育啓蒙家である(ズイ・タン運動の創始者であり、ホーチミンとは知り合い)。

母親が40歳にしてこの世を去り、16歳にして戦闘に加わった。投獄・過酷な拷問を受けながらもそれに耐えしのいで、外圧に対する徹底抗戦を指導した。日本が1940年頃、フランスに変わって統治をし始めたときに飢饉がおきたころ、日本がファシストとして食料を強奪し200万人を餓死させたことに対する糾弾もはっきりとしていた。

どん底のベトナム人に教育を施すべく、べトミンから啓蒙に尽力し、数々の功績を立てている。ビン女史の別名は「デモ戦士」。フランスやアメリカに対して徹底的な抗戦を展開した。竹のようにしなやかな強い生き方、邪悪なものとは徹底的に戦い抜く、潔癖な魂、それがベトナム人の生き方なのだそうだ。

中国、フランス、日本、アメリカ、韓国あらゆる国が攻撃をしかけたが、ベトナムはしなやかに耐え、すべて跳ね返した。その力から学ぶことは多い。グエン・ティ・ビンという指導者は今もアメリカが背を向けているエージェントオレンジ(枯葉剤)の被害者支援の最前線で戦っている。その事実を初めて知った。ベトナム戦争はまだ終わっていない。これからもしっかりと関心をもっていきたい。

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