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堀田善衛「路上の人」徳間書店

富山県伏木出身、「ゴヤ」という名作をもつ堀田氏による異色の作品。舞台は13世紀のヨーロッパ、イベリア半島とピレネー山脈あたり。主人公の浮浪人「路上のヨナ」は学はないが、多言語に通じ、必要な教養は耳学問で修めている。彼が観察する世界は堀田氏の視点であり、現代の私たちにも通じるものがある。ヨナが仕えたフランシスコ派の学僧セギリウスの真摯な姿勢に俺はいろいろと重ねるものがあった。ヨナは威張るだけで教養のない騎士を嫌ってこの学僧についていくわけだが、そのやりとりの中でローマ法王庁による事実の捏造や教会の暴挙に目覚める(セギリウスが求めていた「キリストの笑い」には含蓄がある)。学僧と死に別れたあとも
旅はつづいていくのだが、ここで登場するのが黒衣の人々=異端カタリ派である。ローマ法王やフランス王が躍起になって征伐するこの黒衣の人々にヨナは温かい視線を注ぐ。まさにグローバリズムに対する疑念である。かつてのローマ帝国も、いまのアメリカも「暗闇」に恐怖するという点では共通している。ボーダーレスでなければ気が済まないのだ。しかし、それは一面文化の押し付けを生むというわけだ。ヨナは路上の人であったればこそ、常識への懐疑をもつことができた!これは重要なことだ。ゾロアスター教に由来する善悪二元論をキリスト教に適用したこのカタリ派は地上の権勢、地上の幸福を徹底的に排除した。こういう人たちは今の世界でも「異端」とされる。もちろんこれは極端な例としてあげてあるのだが、路上の人はどちらにも組みしないのだ。「ナショナリズム」や「グローバリズム」とは無縁な多言語主義・多文化主義なのだ。この堀田善衛という人はまさに「路上の人」
なんだろうなと思うし、多くの部分で深く共鳴する!俺は今までも、そしてこれからも「路上の人」であり続けたい!
<メモ>
・教会法(カノン)というものは、はじめ原始教会にあっては、単なる信仰のための取り決めという程度のものであったが、325年のニカイア公会議で強制・義務を伴うものとなった。
・十字軍の勅旨には<皆殺しにせよ、神は己に属するものを知り給う>とあり、それによって十字軍は行動した。

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