見出し画像

小池靖「セラピー文化の社会学」勁草書房

ここでいうセラピー文化とは「ネットワークビジネス・自己啓発セミナー・トラウマサバイバー運動」を指している。ちなみにセラピーとは広義の「心理療法」としてとらえる。70年以降の世界において浮上してきた「自己発見・自己啓発」といったライフスタイルへの提案を「心の商品化」として考えている。

セラピー文化というのは疑似宗教的な役割をするのであるが、そのプロセスにはイニエーション(通過儀礼)としての機能をもたらすことがある。俺がこの本でとても共感したのが、「思考は現実化する」「肯定思考が成功をうみだす」といったポジテイブシンキングの背景にアメリカ発のニューソート運動(源流はスウェーデンボルグ)やクリスチャンサイエンスがあるということだ。

つまりFacebookの「いいね」信仰はやはり宗教だったということだ。ここでは「強い自己」が強調され、無限大競争と自己責任が待ち受けている。街にはビジネス本で溢れかえり、たくさんの人がむさぼり読むが、その夢をつかむ人は氷山の一角に過ぎない。この価値観では社会の抑圧性はあえて無視する。無から有を生み出す、あるいは不可能を可能にするという信仰のもと、ほとんどの人は挫折し、一部の人が成功する。

しかし、その輪からはじき出された人を救済することには関心がない、信仰を捨てた人は、審判を受けるだけというわけだ。今、このニューソート運動はいかにもアメリカ的だ。日本にこのアメリカ的宗教に夢中になる輩は実に多い。しかし、それでいいのか?と筆者は問う。というより、現在社会学的な見地からいえば、今台頭してきているのは、「弱い自分」を「自己表現資源」にしていこうというムーブメントなのだ。

ネオリベラリズムが台頭する現代社会はまさにニューソート信仰の社会だ。俺はこういった新興宗教の波には乗りたくない。トラウマサバイバー運動を核とした「弱い自分の肯定」「束縛から個人の解放を説く『解放の心理療法』」に未来の可能性を感じる。

そう、「負の力」こそ真のポジテイブを生み出すのだ。本書の表現を借りれば「弱い自己を受け入れつつも、人々が希望を見出せるような倫理や社会制度が求められている」のである。

日本にその視点を持とうとする若い人たちが増えていることは希望だ。でもまだまだ少数派・・。そういう志をもった人を支援していきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?