星新一さんのすごいとこ

読書の秋なので、好きな作家さんについて書いてみる。

今日紹介するのは、星新一さん。
私が小学生のころから愛読している作家さんである。

横山秀夫さん、北方謙三さん、本多孝好さんなど、成長とともに色々な作家さんを好きになった。
私は好きな作家の作品は全部集めてしまうので、のめりこんで夢中で読み、作品を制覇すると、また次ののめりこめる作家探しの旅(本屋)に出かけるのが私の読書ライフと言える。

ところが星新一さんは、私にとってそういう作家さんとは少し違う存在である。
もう思い出せないくらい前からずっとそばに置いてあって、色々な本を読む合間に時折、ふと読みたくなって本棚から取り出す。
例えるなら、普段は特に交流もしないけどたまにすごく会いたくなる地元の友達のような、そんな存在。

今日は、そんな星新一さんの、すごいと思うところベスト3について書いてみたい。

星新一さんとは?

昭和~平成にかけて活躍した小説家で、短編小説、長編小説、翻訳、エッセイなど様々さ作品を残している。
特に、短編小説で1000話以上の作品を残し、「ショートショートの神様」の異名をとっている。

400字詰め原稿用紙にして10数枚程度のショートショートと呼ばれる小説形式を得意とし、当用漢字しか用いない平易な文章、時事風俗や固有名詞、性や殺人を描かない透明感のあるその作風は、年齢性別国籍を問わず広い読者層、とくに小中学生の子供たちに支持され、「ショートショートの神様」と呼ばれた。

https://hoshishinichi.com/

このプロフィールを踏まえて、私の思うすごいところ3つ

①お話が短い

ショートショートの神様と呼ばれるくらい、1話が短い。
文庫本で5ページから長くて10ページくらいの、電車で一駅移動する間に読めてしまうようなごく短い話がほとんどである。
そしてただ短いだけでなく、どの話も一ひねりされた結末がある。

この短い小説を支えているのは、洗練されて無駄がない文章だと思う。
単純に短いだけなら、物足りなさを感じることもあるだろう。
星新一さんのお話は、作品として完結するのに必要な単語、文章、要素で、過不足なく1話が書かれている。
だから軽快に読めるし、短い読書時間でも満足度が高い。

②作品数が多い

星新一さんは、生涯で1001話の作品を残しているそう。
1000話と言うと、名探偵コナンやワンピースレベルのボリューム感である。
さらに、SF、童話、ミステリなど色々なジャンルのお話を書いている。

1冊読むだけでも宝石箱のように色々なお話と出会えて、どんな気分のときでも楽しめる。

そして、作品が多すぎて、何冊か読んでいるうちに最初のころに読んだ本の話を完全に忘却してしまうため、その意味でも何度でも楽しめる。

これだけの作品を生み出すのは、圧倒的な熱量と、並外れた好奇心がなければできないことだと思う。
星新一さんの作品ではコンピュータがよくテーマに使われているが、当時は一般市民にはコンピュータが全くなじみのなかった時代だろう。
その頃すでに、「コンピュータが人間の生活を支配する」といった現代を予見するかのような作品を書いている。
観察眼の鋭さ、想像力の豊かさには敬服するしかない。

何にでも興味を持ち、情報を傍受するだけで終わらず、想像と思考を繰り返すこと。言葉にするのは簡単だけれど、誰にもできることではないからこそ、「神様」と呼ばれるのだろう。

③いつ読んでも面白い

星新一さんは昭和から活躍されているので、作品はどれも発表から何十年と時間が経っている。
例えば、今私の手元にある本は『かぼちゃの馬車』。

昭和58年発行、もう40年も前である。
ちなみに手元の本の定価は280円、上記サイトでは605円で売られている。

価格には時代を感じるけれど、本の内容は全く古ぼけていない。
小学生の時から今まで20年以上たつが、いつ読んでも面白い。
古典的な名作の面白さとは違う。
いつ読んでも、「今の作品」として楽しむことができる。

星新一さんの作品は、時事問題、性や殺人を書かず、読む人や読む時代を選ばないことを意識して書かれている。
公式サイトにも書かれているが、人物名にも「エヌ氏」などの記号を用いて、なるべく固有名詞を使わないようにしている。
そうやって紡がれた作品は、時代を超越した今生きている世界とは違う次元に到達しているように思える。

おそらく、10年後に読んでも20年後に読んでも、同じように「おもしれーな星新一は」と言っている予感がする。

以上が、星新一のすごいところベスト3である。
今まで漠然と「好きだー」と思っていたけど、どんなところがすごいかを考えることで、魅力を再発見できてまた一層好きになれた。わーい!

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