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052 精度の高い平安時代の距離算出

信濃以外の各地域も、近国、中国、遠国と分けられ、以下のように規定されています。
・近国:
畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津)、東海道(伊賀、伊勢、志摩、尾張、参河)
・中国:
遠江、駿河、伊豆、甲斐・・・
・遠国:
相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸・・・・、北は、出羽、陸奥・・・南は、大隅・薩摩まで・・・
それぞれの距離もしっかり確認されており、京からの距離を1里=540メートルで、メートルになおしてみると、以下のようになります。ちなみに(  )内は、現在のJR路線の京都からの距離です。
・近国:越前315里=148㎞(武生148㎞)、安芸490里=264㎞(府中301㎞)
・中国:信濃560里=302㎞(塩尻322㎞)、伊予560里=302㎞(西条353㎞)
・遠国:伊豆770里=415㎞(三島393㎞)、安房1190里=642㎞(鴨川646㎞)、常陸1575里=850㎞(日立801㎞)、佐渡一325里、隠岐910里、土佐1225里
JRの線路と比較してみると、当時の七道と現在の鉄道路線との差や距離の丸め、誤差などを前提とすれば、当時の距離の算出はそれなりの精度といっていいでしょう。
直線が多い鉄道と比べて、道路は曲がりくねっていたはずで、距離はもっと長くなるのではないか……というご意見が出そうですが、じつはそうでもないようです。
古代道路(鎌倉時代以前の道路)について研究をしている北海道教育大学教授の中村太一は、「古代道路の第一の特徴は、とにもかくにも「まっすぐな」ことである。場所によっては10キロメートルにわたってまっすぐな区間が続いていることもある。駅路は、このような区間を組み合わせた道路として、全国的に作られている」と書いています。なので、鉄道路線のように比較的カーブの少ない道が作られていたと考えられます。
こう紹介してくると、どうしても延喜式に記載されている距離の測定精度にこだわりそうになりますが、いまから1100年以上も前の話です。ここではあまり精度にこだわらずに、大雑把にとらえておく方がいいでしょう。
重要なのは、精度ではなく、距離を計測し、その数値に基づいて行政を行うという、現代と全く同じやり方で、行政業務が管理されていたということです。
逆に言えば、21世紀になって、当時と比べて、何が変化したかと言えば、ただ計測技術が進み、精度が向上しただけ、と言えるかもしれません。基本的なやり方は昔から全く進歩していないのです。

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