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故障中。疲労骨折。

故障中。
7月上旬から、右足首・かかとの痛み。
ごまかせば走れる程度だと思っていたのも、つかの間。
地面を蹴る動作が痛くて、スピードを出すなんて、もってのほか。
なんなら、日常生活にも支障をきたすほどの痛みが日に日に増悪する。
耐え切れず、整形外科にてレントゲン撮影。疲労骨折ではない、とのこと
から、しばらく様子見。
そこからランニングは中止し、足に負担をかけないトレーニングを模索する。
8月。かれこれランニングをやめて3週間がたとうとするが、痛みは変わらないどころか、むしろ増悪しているのでは。
おそらくこれは骨だろう。
MRI撮影。そして、やはり、疲労骨折。
中学2年の時に、脛骨疲労骨折の経験があるので、なんとなく、その時と
同じ痛みだろうと、思っていた。
今回は、踵骨の疲労骨折。
骨か。どうしようもない。
走るのをやめて、1か月がたとうとする。長い。9月いっぱいは
ランニング中止。
長い。
長い。
走ることで、体を鍛えているのではあるが、心のバランスを
とっている面が大きい。
走れなくなるということは、色々な面で、支障をきたす。
ストレス発散、気持ちの切り替え、おいしくご飯を食べる、とか。
しかし、この痛みでは、到底、走れない。
できることはあるので、地道にやっていくしかない。
せっかく、練習会に顔を出し、走れる感覚が戻ってきた矢先の
ことだっただけに、悔しいというか、情けない。
そして、「走れる」ことの喜びを感じる。心と体、どっちもついて
こないと、良い走りはできない。今回、身に染みて感じた。
ああ、走りたい。風を感じたい。無になりたい。思い切り汗をかきたい。
走れなくなった自分は、正直、価値のない人間になったような
気もして、自己肯定感も、右肩下がり、いや、急落。
こういうときに、走る以外に好きなこと・ものがあれば良いのだろうが、
バランスのない自分はそんなことがない。
夢中になれるものがあれば良いのだろうが、すっかり意欲を失い、
極端に落ち込みがち。なんとか前向きにとは思うが、
どうも心が晴れない。
社会人になって、大きな怪我はこれが初めてか。大学時代も、社会人生活も、ここまで走れなくなったことはない。
走るのをしないと、コミュニティもない。
日常の色とりどりが、消え、一色しかないような感覚。
しばらくは、我慢だ。
やはり、ランニングによって自分が支えられていることがよく
分かった。また、走れるようになるのだろうか。
今年のマラソン大会は、たぶんやめたほうが良いだろう。
夏が楽しみだったのは、子供の頃だけだ。
夏祭りに行くわけでもなく。旅行に行くわけでもなく。
沈んだ気持ちを晴らす方法を探したい。

家のすぐ近くの市民プール。
夏休みとあって、子供たちがめちゃくちゃ多い。
2レーンだけ、泳ぐ専用のコース。
意外にもすいている。
せめて今できる運動をと思い、最近よく行くようになった。
時間によって、色々な人が泳いでいる。
みな、どんなことを目標に、ここに泳ぎに来ているのだろう、とか、
ふと思う。
スイマーの泳ぎは、速くて、きれいだ。どこにも力が入っていないけど、
すっと進んでいる。
行くまでは気が重いが、行けば少しだけ、気持ちが晴れる。

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