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吾輩は幽霊である1 旬杯リレー小説転星降るエキスプレスの続き結


 私はポケットから持ってきた文庫本「吾輩は猫である」を取り出すと最初から読みはじめた。
次の美夢郷駅までの暇潰しである。
面白く読んでいたのだか十分もしないうちに眠くなってきた。
そしていつも間にかウトウトしているうちに夢を見た。

 吾輩は幽霊である
吾輩は幽霊になって遂に真の自由を謳歌し得たのである。
生前あれほど悩まされた胃痛に悩むこともなし、借金の催促はなし、下女のシャーシャーも聞かんでよろしいし、何より妻の顔を見なくて済むのが有難い。
大いに太平楽を並べたて仙人の心持ちで霊界を漂っていたのであるが、惜しいことに霊界で余の作った作物を発表する場がないというのが非常に困りものなのである。
 まして脳味噌という記憶装置を失った余は、意識に何かしら佳いひらめきが起こったとしても右から左へ風馬牛の如く抜け去ってゆくのである。
生前は作家という職業を天職とまで思っていた余であるから、いくら苦しみのない自由な境遇を得たといっても、これでは本能のまま生きる犬や猫とあまり変わらないものと残念無念と嘆いていたのであるが…。
 あの世とこの世をつなぐ銀河鉄道に生きたまま乗り込んできた人間がいるではないか…。
これ幸いと余はその人間に乗り移ってこれを書かせているのである。

うーん、なんか変な夢を見ていた気がする。
「次は終点美夢郷、美夢郷~。宇宙行きは乗り換えです。」
アナウンスが宇宙に行く人は銀河鉄道に乗り換えろと言っている。
JRもしゃれたことするな。
ガタンゴトン、シュー。

 さっきまで、電車に乗っていたのにいつも間にか昔の汽車に乗っている。
外は満天の星空。
まるで宮沢賢治の銀河鉄道の夜だ。
ふと嫌な予感がする。
まさか私は死んじまったんじゃないよな?
いくら記憶を遡ってみても、別段死にそうなことは特にない。
なーんだ、夢か。
夢だと決まったら楽しまなくっちゃ損だと呑気な気分になってきた。
そう思ったらまた強烈な眠気が襲ってきた。
しかし夢の中で眠くなるなんて妙だな。

 余は人間に乗り移り久々の感覚を味わった。
やはり体があるというのは良いものである。
頭もはっきりする。
この若者は中々良い脳味噌を持っているようだ。
感慨に浸ってると向こうから車掌が来た。
「あの、お客様は夏目様でいらっしゃいますか?」
いかにもと答えると、
「以前当鉄道を御利用のお客様から運賃は夏目様の御立替ということで承っておりました。」
そう言うと車掌は一枚の手紙を余に寄越した。
驚いて手紙を開く。
「 拝啓 夏目漱石殿
小生手元不如意ニツキ夏目漱石居士ニ運賃ノ立替ヲ頼ミタク存ジ候
三途ノ川ノ渡シ賃ハ、小生船頭ニ俳句ヲ一句詠ンデ聞カセシ所、タチマチ機嫌ガ与三郎ト相成リ存ジ候故、負ケテクレルトイウ事ニツキ御心配ニハ及バズト存ジ奉リ候 
敬具  子規」
更に手紙の下の方には

カタマリテ天ノ川ナル星野カナ

と一句が添えられていた。
全くもって人を馬鹿にするにも程がある。
子規は生前、鰻の食い賃を余に払わせたまま一向返す気もなかったのであるが、あの世へ来てからも余にツケを払わせるとは恐れいった。
しかし船頭に俳句を聞かせて船賃を負けてもらうなんざまるで落語である。
大将あの世でも意気軒昂と見える。
車掌が如何しますと心配そうに見つめいるので、どうもこうもないと傍らに置いてあった鞄に手を突っ込むとお札があるではないか。
しかもよく見ると余の顔である。
これまた恐れいった。
五、六枚札を取り出して差し出すと「ようがす。」と言って受け取った。
ついでに子規について訪ねるとやっこさん五、六日前の汽車でとうに銀河の中心に旅立ったという。
なんで余の来ることを知っていたんだねと尋ねると、車掌は「夏目漱石居士は元来胃弱で不健康故、小生の逝去と間を置かず御逝去遊ばされるに違いないから、近々来るであろう。運賃の取りっぱぐれることはないので安心し給えとのことでした。」
全く生前よりも意気軒昂である。
どこかで会えるかしらん。

【続く】




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