【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第14話-春、班決め〜紗霧
「新しいクラスはどうだい?」
父にそう聞かれても紗霧には答えようがなかった。今日は修学旅行に向けて班割りが行われた。毎度のごとく当然誰とも組まなくて、最終的に厄介払いのように割り振られた班に入ることになった。不思議なのは毎回そこに篠崎涼(しのざき りょう)が在籍していることだ。
そんなの好意があるに決まってるじゃないか?いや…すでに何度も(最低でも五回は)交際を申し込まれて、断っている。
なのにめげない。山村裕以来の粘り強さだが、恐らくその好意に自分がなびくことはないだろう。
篠崎涼が性別を変えない限りは、根本的な怖さがなくなることはない。相手が男子である以上は。
いやそもそも人間である以上は…
自室に戻ってミントタブレットを噛み砕く。その冷たい空気を吸っているときだけは、ため息が許される気がした。
ため息をつくと幸せが逃げる?そんなのは嘘だと思う。幸せが逃げたからため息が出るのだ。
紗霧の心の中で貴志が優しい笑顔を向けてくれる。その優しい笑顔を思い出すたびに、ため息が涙とともにこぼれ出るのを止められない。
中学1年生の春。最初に組まれた班割りに、北村貴志と山村裕がいた。5月に林間学校があり、中学生活初めての行事を迎える。
私立だからこそ抱える問題がある。公立の中学校よりも知り合いが少ない状況。しかも学力がある程度揃っているライバル同士の関係で、果たして仲良く過ごすことができるのか。
如月中学校の林間学校はいわゆる試金石として行われる行事だった。慣れない関係性の相手と、慣れない環境でグループ行動を取らされた時の対応力を、学校にもクラスメートにも観察される。
そんな行事で、北村貴志の同じ班に選ばれたのだ。気分は最悪だった。
山間部の静かな土地で、静かに読書という自由時間の使い道は絶望的だろう。
貴志の周りに人が集まってしまうだろうから。正直うんざりする。当の本人もうんざりしているのだから、巻き込まれているだけの紗霧にはなおさらだ。
教室の隅から山村が手招きしている。紗霧が駆け寄ると、
「今日もごめんね〜貴志のやつがうるさくして」
なぜか山村が両手を合わせてバツが悪そうに頭を下げた。
「別に北村くんが騒いでるわけじゃないから」
紗霧もわかってはいるのだ。騒がしいのは周りであって、北村貴志ではない事ぐらい。
ただ…
「ただね、もう少しキッパリ距離をとろうとしても良いと思うの」
最初の班割りはくじで行われた。ホームルーム前から女子たちが北村貴志争奪戦を繰り広げていたため、話し合いでは班を決めることすらできないと思われたからだ。案の定、貴志の班になれなかった女子たちのブーイングは止まらなかった。貴志だけは、どの班にも属さずに輪番で全班を周るなんて案も浮上した。
そして貴志と同じ班に選ばれたクジを、いくらで買い取るなんて交渉が紗霧に対しても展開されたのだった。
迷惑。迷惑以外の何ものでもない。如月中学校のカリキュラムは忙しい。こんな話し合いでいつまでも時間を取られるほど暇ではないのだ。さっさと決まった班での役割分担に移りたかった。
うんざりとしていたら北村の横顔が見えた。明らかに憔悴した顔をしている。血の気も引いている。表情筋をフル活用しているせいか、頬がぷるぷると震えていた。
いや…無理し過ぎ。どうやら八方美人にやりたいわけでもないらしい。
どうやら冷たくあしらってしまうと、後で気まずくなりそうで、仕方なく王子様扱いに応えてるらしい。
「慣れない環境でうまくやりたいなら、逆にちゃんと距離を取らないと」
ごもっともな発言に山村も苦笑いしている。
「そうだよな〜あいつといると、人目につくだろ?
雑誌の水着グラビアも見れないんだよ」
山村くんは逆にもう少し王子な態度でも良いと思う。喉まで出かけた言葉を、紗霧は慌てて飲み込んだ。ニッといたずらっぽく笑う素振りに、下ネタでごまかして友を心配する姿が垣間見え、怒らない事にした。
「坂木さん、怒らないね」
山村が意外そうな顔をする。どうやら紗霧は見てはいけない山村の素顔を見てしまったらしい。
どうやらこの人は自分を落とすことで、周りへの悪い気持ちを煙に巻こうとするタイプらしい。ご丁寧にそれを笑いに変えようと振る舞うことで、そんな素振りすら煙に巻いている。
考えすぎかな?目の前で変顔をし始めた山村を見て、紗霧は思わず苦笑した。
「あ、笑った!坂木さん笑えるんだね〜」
からかうように振る舞いながら、手元で手紙を手渡してくる。なんとなく周りに気づかれてはならない気がして、
「ちゃんと感情のある人間です。頑張って入学した学校で、毎日あんな騒々しいところに巻き込まれたら、笑顔だって忘れます〜」
山村の調子に合わせてふざけながら、平手打ちをするような素振りで手紙を受け取った。
あ…我慢していた事を口にしたら少し心が軽くなった。表情が柔らかくなるのを感じた。その紗霧の変化を見て取った山村が笑顔を見せる。今度はニカッと歯を見せて笑っているが、破顔一笑とはこの事か、軽薄とは程遠い弾けんばかりの笑顔だった。
どうやら不満のはけ口になってくれたらしい。そう思うと山村には何もかも見透かされていて、まるで裸を見られたような恥ずかしさがこみ上げてくるのだった。
紗霧とのじゃれ合いを見て、嫉妬が爆発した男子たちに、裕が袋叩きに合っていることなどは知る由もなく、紗霧は今日の授業を消化していった。
山村からの手紙を開いたのは放課後、自室に帰ってからだった。学校で開かなかったのは正解だった。手紙の主は学校中を騒がせている王子様だったのだ。
軽くため息をついて手紙に目を通す。
「北村貴志です。毎日騒がしくして本当にごめんなさい。俺が直接渡すと周りがどんな反応をするかわからなかったので、裕に手紙を渡してもらいました。直接の謝罪ができなくて、ごめんなさい」
丁寧な書き出しだった。炭酸水を一口飲んで気持ちをすっきりさせる。
「ほとんど話したことがないのに、こういう言い訳はどうかな?とは思うんだけど、俺はまだ好きな人がいません。これからできるかな?と期待はしています。
今集まってくれている人たちは、たぶんよく知りもしない俺を過大評価してるだけなんだと思います。それを邪険に扱って悪い感情を抱かれてしまうのが怖いです。もし好きな人ができたとして、その相手に対して良くない気持ちが湧き上がったら…そう思うと怖くて誰かを好きになることもできないと思ってます。
だから今は周りの期待に応えながら、ゆっくりと好意がないことを伝えていこうと思っているので、静かになるまでもう少し時間をください」
スパッと伝えていい気がするけど、北村くんも考えての事なんだ。山村に比べて北村はかなり不器用らしい。また炭酸水を一口含んでゆっくりと飲み込んでいく。
そして手紙は次のように締めくくられていた。
「同じ班になれて嬉しいです。坂木さんの静かな読書を邪魔してごめんなさい。俺も本が好きなので、またゆっくり話せたらいいな」
貴志からの最初の手紙は、中学3年生になった今も、まだ持っている。アルバムに挟んで大事に残してあった。後から思うと手紙を受け取ったときから、私は貴志くんが好きだったのかも知れない。
そう思うと、ため息とともに大粒の涙がこぼれてくるのだった。外は雨。まだ咲かない桜を濡らすように、降り続けている。そんな雨にも負けないくらい、紗霧の目から大粒の涙が止まることはなかった。
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