【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第9話-春、班決め〜裕

 ホームルームで班が決まったものの、修学旅行までに決めないといけないことはたくさんあった。主に自由行動の行き先やスケジュールについて班で話し合わなければならなかった。そのために準備されているホームルームの枠は後二枠。受験生がいつまでも不毛な話し合いをしている時間など、そうそう得られないものだった。
「そんなわけで、放課後貴志の家で続きやろうぜ!」
 あっけらかんと裕が提案する。貴志は不満を顔に出して、表情だけで裕に抗議していた。それをあからさまに無視して、参加者に挙手を求める。

 結果矢嶋を除く5人が、貴志の家の前に立っていた。学校から山の麓にある神社までの真っすぐ延びた坂道の中腹に貴志の家があった。少し遅れて貴志が帰って来る。その両手にはスーパーの袋がぶら下がっていた。
 リビングに通されると、「先に始めてくれ」と一言を残して、貴志はキッチンに入る。
「絶対にこっち見るなよ」
 小さいが強い声。炊事をする音が聞こえる。かなり手際がよさそうだ。

 瑞穂、理美、南原はあっけにとられている。キッチンで忙しく動き回る貴志に代わって裕が説明を始める。
「小学高学年から北村家の晩御飯担当は貴志なんだ」
 貴志が10歳を迎えた頃、医師である父が転勤した。元々へき地医療に携わりたくて取得した医師免許だったので、父は喜々として単身旅立っていったのだ。無医村の診療所では収入的にかなり心細いものとなるため、母は近くのクリニックで内科医として働いている。午後の診療が19時の受付までなので、仕事を終えるのは20時過ぎになる。
 母の負担を減らすため、最初は調理実習の復習程度に時々作っていたのだが…
「お母さんがあまりにも喜ぶものだから、貴志は、貴志は、ママンのために毎日毎日…」
 ハンカチを咥えて感極まった表情で裕が捲し立てる。
「勝手にバラすな…後母さんをママンと呼んだことはないし、これからもない!」
 キッチンから貴志がツッコミを入れてきた。話し方に力が入りすぎてはいるものの、不当に脚色はされていないらしい。
 出会いは中学1年生。なのになぜ小学生の頃から知り合っていたような口調で話すのだ、裕よ…

 あの日入学式の翌日、教室に収まりきらないほどの女子達に囲まれて騒がれていた貴志に裕が声をかけたのが今の関係の始まりだった。
「貴志〜帰ろう〜ぜえええ」
 初めてかけた言葉がこれだった。貴志は意図を見事に読んでくれて、
「ああ山村、一緒に帰ろう!」
 立ち上がって女子の間をすり抜けて行った。誰も追いかけて来れないようにその場から走って逃れる。
 校門を越えた辺りで足を止め、肩で息をしながら二人は顔を見合わせた。
 12歳とは思えない落ち着いた表情の貴志と、まさしく少年と言いたくなるような屈託のない顔つきで歯を見せて笑う裕。
 息が落ち着いた頃に貴志が口を開いた。
「ありがとう山村、マジで助かった」
 強いて言えば隣の席に迷惑をかけていることだけはきちんと謝りたかったが、あの空間から離れられた安堵感がなによりも強かった。モテるようになった事自体には慣れてしまっても、その対応にはまだ慣れているわけではない。
 恋愛感情そのものを経験していないので、どうしたら相手を傷つけてしまうのか、どうしたら傷つけることなく、あの空気を散らすことができるのか、まだわからないのだ。
 たくさんの相手に好きだと言われて、小学生の頃はよくわからないと返していたものだった。それで周りも一旦は納得していたのに、中学生になった途端これだ。
 中学生になることが恋を知る入口じゃないんだから、待ってましたとばかりに群がられても反応に困る。
 そこを裕が助けてくれた。昔からの友達を装って。貴志が「お前誰?」などと返していたら赤っ恥も良いところだったが、
「そう言ってもらえてオレも良かった。
 初対面で貴志とか呼び捨てにしてゴメン」
 そう答えた裕に対して、貴志の顔が少年の笑みを浮かべる。
「良いよ、裕」
 貴志はモテる分だけ、常に人目に晒されていた。それだけに仲良くなる相手は慎重に選んでいた。このときばかりはお互いに、動物的な感性で惹かれ合ったとしか表現のしようがない。ただ裕も貴志も、この相手なら一生の付き合いができるんじゃないかと、漠然と感じていたのだった。
 少なくとも、出会って一週間で裕を家に招いて、父が隠していたオトナのビデオの鑑賞会を開く程度には心を許していたのだった。

 あれから2年が経った。一目惚れに近い感覚で親友となった二人には、無条件で信頼できる関係が出来上がっていた。
 
 恐らく矢嶋が来ていたら、裕も貴志の家庭の事情など話さなかっただろう。ただこの場には福原瑞穂がいた。
 今日の雑談でもはや裕の瑞穂に対する気持ちは、好きかも知れない…ではなく、「好きだ」に変わっていた。
 いつもふざけている裕の冗談に対して、瑞穂も同じようにふざけて返して、まるで漫才でもしているかのような時間を楽しめた。
 確信を持って好きだと感じたからこそ、余計に瑞穂には貴志の普段の顔を知ってほしかったのだ。
 貴志が瑞穂を好きだと言い出したときのために、瑞穂には貴志の良いところを見ていてほしかったのだ。
 例えそれが裕自身が瑞穂と付き合えるチャンスを遠ざける行為であったとしても。
 山村裕にとって、友とは、恋とはそういうものだったのだ。

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