【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第37話-春、修学旅行1日目〜瑞穂③

「オレ、瑞穂が好きだよ。
 付き合って欲しいんだ。二人で遊びに行くような、関係になりたい」
 裕の口から思いの丈が旋律となって奏でられた。その音感はとても穏やかで、とても心地よく、瑞穂の心に優しく響くのだった。
 しかし…。
 嬉しいはずのその言葉。待っていた言葉なのに。
 裕が好きだ。好きなのに。
「それはマジのやつ?」
 やっとの思いで返したのは、そんな一言だった。
 裕は真顔で頷いた。笑顔の仮面が取れた、裕の真面目な顔。ふざけた態度の仮面が取れた、裕の本心からの告白。
 今までの冗談めかした「それ」とは全く違う、本気の言葉。
 嬉しい。応えたい。受け入れたい。なのに…。どうしても「うん」の一言が出てこない。
 少し前までなら一瞬の間も置かずに、応えられると思っていた気持ちなのに。

 裕が好きだ。だけど多分私の「好き」は、裕の気持ちよりもかなり軽い。
 一言「うん」と返すだけで、きっと裕は喜んでくれる。私も裕の側にいられたら嬉しい。だけど、軽々しく手を繋いで、軽々しく腕を組んで、ひっついて歩いて。きっと、裕はそんな付き合い方をする人じゃない。
 心がモヤモヤとする。裕への気持ちに応えようとする心に、ちらつくものがある。
 それが足を引っ張って、どうしても「うん」の一言が出てこない。
 今の気持ちがどういうものなのか、瑞穂本人にもよくわからなかった。
 ああ…どうして今日なの?

「裕の気持ち、嬉しいよ」
 吐露するのは瑞穂の正直な気持ち。だけど表情は固い。瑞穂の表情を見て、裕はそっと覚悟を決めた。
「正直なところ、私だって裕と付き合えたらって、思ってた」
 なんて残酷な事を言うんだろう。瑞穂の胸に特大の棘が刺さった。「好き」が苦しい。
 なんて残酷な言い方だろう。裕の心を、「思ってた」と過去形のハンマーが叩きのめす。
「でも裕は、私が思う以上に真面目で、人のことを考えてて、優しくて…。
 私の好きって言う言葉は、裕の好きって言葉よりすっごく軽いんだなって、思ったの」
 明るい太陽のような少女の声には、いつもの快活さが見えなかった。瑞穂自身、自分の気持ちに雲がかかったような気分なのだ。
 付き合うという事を軽く考えているわけではない。付き合う以上は幸せハッピーな毎日を心に刻んで生きていたい。そして相手にはそれ以上の幸せを噛み締めまくって欲しい。
 私の気持ちなんかで、裕を幸せにすることができるの?どうしても疑念が取り払われない。付き合っておいて「他に好きな人ができました」なんて理由で、相手を不幸にする事なんて、絶対に許せない。だから裕の気持ちに応える以上は、自分の気持に曇りがあってはならないのだ。
 ………ん?他に、好きな、人?
 瑞穂はこの時初めて、自分の心のもやもやに触れた気がした。

 そういう、事だったのか。
 言い訳のしようがない。気になってはいたのだ。そう、出会った時から気になっていた。その気持ちが自分でも、よくわからなかっただけなのだ。
 裕のことが好き。だけど、裕に出会う前から心に引っかかってるアイツ。あの人への感情が、どういうものなのか。それをスッキリさせないと、裕の真っ直ぐな想いを受け取るなんて、厚かましくて出来ない。

「ごめんね、裕。
 私、裕の気持ちには応えられないや」
 答えを絞り出した瑞穂の表情は、笑顔だった。寂しそうで、悲しそうで、でも無理してでも笑う、そんな儚げな笑顔だった。
 目の端に涙を溜めて、まっすぐに裕を見つめる。
「私ね、好きかも知れない人がいる…みたい」
 たどたどしく言葉を紡ぐ。曖昧過ぎる言葉だと我ながら思う。しかし言葉にした以上に、心はもっと曖昧で。
 自分でもこの気持ちが本当に「好き」なのか、よくわからない。

「みたいって、なんだよ?」
 震えた声で返す裕の表情は、やはり笑顔だった。大事な人を悲しませないように、大切な人に気を使わせないように、ずっと続けてきた笑顔の仮面。だけど少しだけ、ヒビの入った笑顔の仮面。
 油断をすると、崩れそうな笑顔を保つため、唇の奥では、ぐっと歯を食いしばる。
 でも無駄だったようだ。瑞穂の目から涙がこぼれた。
 裕が歯を食いしばる、そのわずかな顎の震えすら、瑞穂は見逃さないらしい。
 瑞穂の動物的な直感。それは瑞穂の無自覚な観察眼。
 気づいて欲しい気持ちには、鈍かったくせに…まったく。こういう強がりには気付かないで欲しいんだよな。

「私ね、裕にだけは嘘をつきたくないの。
 だからちゃんと言うね」
 雑踏の中響く、不規則な足音。その騒音の中でも、瑞穂の声は紛れる事なく裕の耳に届いていた。
「自分でも、よくわからないんだ。
 好きかもって言っておいてなんだけど、気になってることに気づいたのも、今なんだ」
 いまだに曖昧な気持ちを整理しながら、瑞穂は言葉を綴った。
「私ね、裕の事好きだったんだと思う」
 その一言に、裕は小さく「うん」と頷いた。
「付き合えたらいいなって、思ってたのも本当だよ」
 瑞穂の一言一言に、裕は静かに「うん」と頷いて、耳を傾けている。
「でも、そのたびに心の中で、モヤモヤってしてたの。
 私にも、そのモヤモヤって感じがよくわからなくって…」
 瑞穂の目からこぼれた涙が、段々とつながっていく。大粒だった涙はやがて川のように流れていた。

 通行人たちが少し距離を開けて、こちらをちらちら見ている。理美の頬を張った、紗霧のビンタを見たばかりの通行人は、スマートフォンを取り出して「今日の横浜中華街は痴話喧嘩の宝庫」などとSNSで呟いたりしている。
 そんな周りの世界とは隔絶された二人の世界に、瑞穂と裕はいた。
 裕はそのモヤモヤの意味を知っている。自分自身が、今も感じている気持ちだから。
 瑞穂の事が好きだ。世界で一番かわいいと思っている。瑞穂といるだけで、どれだけ気持ちが暖かく、明るくいられるか。
 しかし目の前に新たな好きな人がいたとしても、過去の想いが完全に消え去るわけではない。
 瑞穂を強く想うたびに、ちらつくのは坂木紗霧の面影だった。二度と会えない彼女を好きだったあの頃。想うだけで幸せだったあの頃の気持ちが、今の気持ちにリンクしてくる。
 そのたびに裕は瑞穂への罪悪感を感じていた。今目の前に、紗霧が現れても瑞穂を好きな気持ちは揺るがないだろう。その自信がある。なのにあの人はそれでも心に割り込んでくるのだ。
 その時の心のモヤモヤ。裕は静かにため息をついた。
 結局、どれだけ好きだと思っても、オレの好きなんてそんなものなんだろうな…。
「裕の真っ直ぐな気持ちに応えるのに、こんなモヤモヤを抱えていたら失礼だなって思うの」
 瑞穂からの言葉が辛い。オレだって十分失礼な告白をしたんだよ。
 良いんだよ。ゆっくり時間をかけてオレを見てくれたら。なんて言えない。
 恐らく瑞穂のモヤモヤの元が誰なのかを、自分は知っているのだから。

「裕が私に好きだって言ってくれて、嬉しいよ。
 でもごめんね。裕に好きだって言われて、やっとモヤモヤの意味がわかったんだ」
 私はきっと、アイツの事が気になっている。好きなのか、まだわからない。今の時点では確実に裕の方が好きだ。だけど…。
 涙を拭いて深呼吸する。そしてゆっくりと言葉を続けた。
「今の気持ちで、裕とつきあって、後からその人のことが好きだって気づくのだけは絶対にダメだと思ったんだ」
 
 裕は黙ってうつむいていた。そして静かにため息をついた。涙よ、流れてくれるなよ。
「そっか…ありがとう。ちゃんと答えてくれて」
 鼻声だけはどうしようもなかった。だけど、良し!声は震えていない。
「オレ、その気持ち応援するよ」
 そう言って瑞穂の両肩に手を置いた。そしてぐいっとひねる。
「あーれー」
 無理やりその場で回れ右をさせられて、瑞穂は場面とは不釣り合いの、とぼけた叫び声を上げた。
 瑞穂の背中に向けて、裕が静かにささやく。瑞穂には聞こえないくらいに、小さな小さな声で。
「オレなんかより、瑞穂の方がよっぽど真面目でまっすぐだよ」
 一雫だけ涙の粒を地面に落とす。なんとか瑞穂が見ている間は我慢できた。
 瑞穂の肩に置いた手をゆっくりと離す。そして、バンバンといつものように、その肩を叩いた。
 瑞穂が振り返ると、満面の笑みで、歯を見せてニカッと笑う裕がいた。
「その人のこと好きだってわかったら教えてくれよな…。ちゃんと、応援するから。
 そんで、もし振られて、泣いて泣いて顔が、パンパンに腫れてしまったらその時は言ってくれ。その時はオレが…もう一回アタックさせてもらうよ」
 真っ赤な鼻をひくひくとさせながらも、裕は笑う。それは太陽のように明るくて、頼もしい笑顔だった。ただ少し、夕日のように寂しげで赤い笑顔だった。
「もうそろそろ集合時間だな。貴志達が待ってる」
 瑞穂には涙を見せない。裕はなんとか笑顔を守り抜いて歩き始めた。
 瑞穂が、とてとてと小走りで追いついてくる。隣に並んだ瑞穂の距離は近い。
 これは宿まで泣けないな。裕はため息をついた。
「振られた直後になんだけどさ、友達とは呼ばせてくれよな」
 俯いて隣を歩いていた瑞穂は、ぴょんと跳ねて裕の前に立った。
「あったりまえじゃん」
 屈託なく笑う。裕が好きだ。友達として。そう、これからも友達として好きなんだ。
 瑞穂の目の端をひと粒の涙が伝う。少しの寂しさと、少しの安心感をはらんだ涙が。

 こうして裕のビッグイベントは終了して、二人は関帝廟へと向かった。
 貴志に一報入れてみるが、通話は繋がらなかった。まさかこの一報が貴志に「紗霧探しのタイムリミット」を告げたなどとは思いもよらなかった。
 裕と瑞穂は、すでにいつもの調子に戻っていた。つまらない冗談を言い合って、本当につまらない事なのに大げさに笑う。そんないつもの二人に、戻っていた。

 こうして修学旅行1日目の、自由行動は終わりを告げた。

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