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母の兆し

母が認知症と気がついたのは実は最近の事ではない。
最初におかしいと気がついたのは、実はもう10年近くなる気がする。
最初の時は当時小学生だった息子の小学校からのお迎えの連絡を受けたのに、それをその出来事そのまま知らないと言ったことだ。

私は12年前に7歳(女)、4歳(男)、1歳(女)の3人の子供たちを連れて離婚した。そのまま一人で育てるつもりだったが、離婚によるうつ病がひどく、父が私たちを強制的に田舎に帰らせた。そして私たち4人を養ってくれていた。
 うつ病は夫婦仲が悪くなった頃からイライラ、気分の落ち込み、考え過ぎて変に目が冴え寝ない(寝れない)自殺願望、妄想、占いに走るなどとても子育てどころか自分のことさえままならない状態だった。

離婚の経緯については詳しくまた書きます。

そんな状態では孫が私に殺されるかも知れないと思った父は私達を強制的に自分達の元に連れ帰った。

ところが、それから10ヶ月後、父は不慮の事故で亡くなってしまった。

仲が良かった母は遺骨を全部食べたいと言ったほど寂しさと悲しみにくれた。(まあ、兄妹で止めましたが…)
母の様子がおかしくなったのはそこから2、3年の間だと思う。まだ60過ぎだった。

うつ病をもって元々専業主婦だった私は、仕事もままならなく、社会復帰のためある専門学校へ通っていた。少しずつ人と話せるようになり、学校に行きながらレストランのアルバイトを始めた。たくさん失敗をしたが、だんだん認められ仕事が楽しくなり、専門学校卒業後就職もした。離婚し、専門学校卒業までの間は気丈にも、ずっと母が子供達の世話をしてくれていた。母の最初の「兆し」が出たのは就職後半年ほどたった頃だった。

その当時、まだ見習い社員の私はなかなか仕事も休めず、子供達のことは母に任せっきり、離婚した夫を見返してやるという復讐に燃え、仕事が全てだった。だから、子供達からおばあちゃんがおかしいということをたまに聞いても気にも止めていなかった。

が、学校から連絡があったことで普通でないかもと知り物忘れ外来なるものに行った。しかしいろいろ聞き取り検査やCTの末特に何も見当たらず、乖離性健忘症であると推察された。つまりとても大きなショックを経験した時、それを忘れようとするため大事なことも忘れてしまうという病気。
恐らく母は夫が亡くなった悲しみ、娘が離婚してしまった悲しみ、鬱になってしまった悲しみを誰にも話さず、自分の中で処理しようとして、自分の心も行動も忘れてしまったのだ。

しかし、ここで私がきちんと母のことを受け止めれていれば良かったのだが残念ながら私自身がまだまだ離婚のショック、父の死、いきなりシングルマザーになった不安から立ち直れていなかった…。
とてもとても弱かったのだ。
嫁に行った姉、実家から離れて奥さんの実家の近くにすむ兄が、定期的に母や私の子供達の様子を見に来てくれていた。時には子供達を連れ出し親代わりのように遊びに連れていってくれた。母の負担について私は姉や兄に常に叱られていた。しかし私自身が自分自身の不安と悲しみを克服出きるまでは全く耳を貸さなかった。朝7時に出勤し夜は日付が変わるまで、私は仕事に逃げ、たまの休みは家事も子育てもせずただひたすら寝ていた。
母はその間私には何一つ愚痴を言わず、家事と子育て、自分の仕事(自営業)をこなし続けてくれた。


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