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そそと暮らしたい

ふと、自分の足音が気になったのである。もう少し静かに歩けないものか?ふと、自分の所作が気になったのである。お茶の袋を開封する、冷蔵庫を開ける、お財布を取り出す…もう少し淑やかにできないものか?

往来に出て、色々な人を眺めていると、特にやはり女性であるが、あーこの人は所作が静かで丁寧だなあ、と思うことがしばしばだ。
例えばこんな時。スーパーの袋詰め台に備え付けの、ロール状の薄いビニール袋を、さらさらと出してぷつんと千切る。 
その手つきの静かさ、丁寧さ。
例えばこんな時。役場の窓口で対応してくれた職員さんが、なんてことないボールペンで書類に文字を書く。その静かな丁寧さ。無意識なのに丁寧な感じ。

たったこれだけのことで、その人の所作の静かさが分かる。そして自分との落差も分かってしまう。自分の所作の、なんと騒がしいことか。丁寧で物静かなあの人は、きっと丁寧で物静かな暮らしを営んでいるのだろう。

反省して気をつけてみる。静かに物を取り出してみよう、冷蔵庫の扉の開け閉めも静かに、間違ってもボウルをがちゃーん、なんてことのないように、などなど。するとどうだろう、あら不思議、10秒くらいしか気をつけられませんね。あれよあれよと言う間にボウルががちゃーんだ。いやしかし、ちょっとの失敗でへこたれてはいかん、もう少しがんばろう、がちゃーん…。

上記のようなチャレンジを、と言うか鍛錬を、何度も繰り返してみた結果、判明したことがある。
物静かに暮らせる期間、というのが存在する!!
気をつけていると、物静かな所作が、続けられる期間があるのである。一回で大体3〜5日間くらい(短いな)。
この期間はあまり苦労せず、お淑やかに物を取り出せて、ボウルをがちゃーんも起こらない。こころなしか足音もそそと淑やかになる気がする。

その期間はいつ来るのか?
それが分からないのである。体調がいいとか悪いとか、機嫌がいいとか悪いとか(機嫌悪いと所作も悪くなるけどね大体)、そういうこととは別に起こっているようなのである。自分のことなのに、自分の体のことなのに、分からない。

ひとつ、ぼんやり分かっていることは、家の中より外にいる時の方が、そして誰か他人と一緒にいる時の方が、所作が穏やかになるらしいこと。人目があるほうが、遠慮するということなのか。わたしに足りないのは遠慮なのか?
やはり人間は、ひとりだけで生きていようとせずに、他の人たち、社会の中で生きていくのがいいのかな。自分のカタチはそうしてできるのかな、などと考える事象である。

しかし所作を見直すのはいいことである。自らを顧みるのは、時々は必要なことだろうと思う。憧れを持つのもいいことだと思う。
そそと暮らしたいな。きれいな動きでいたい。いいじゃないの、こんな願いを思いながら暮らすのだって。

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