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季語「柿」を詠んだ句より一句

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺  正岡子規

 
 近頃、柿の栽培法も変わってきているようだ。高さ二メートル程の柿の木に直径十センチはあろうかという実が五、六個は実っている。よく見ると植木鉢のようなものに植わっていて、辺りに地面は見えない。
  柿といえば大きな木にたわわに実ったものだと思っていたのが、こんな栽培方法もあるのかと買い求めてみた。これがめっぽう旨い。あぁ、子規さんがいたら喜ぶだろうなと思った(笑)。

 それで「柿食へば」の句である。子規が柿好きだったことは良く知られているが、それはこの句に負う所も多い。この句の知られ方は、芭蕉の「古池や」に次ぐと思う。日本人成人で知らないという方は、ほとんどいないといっても良さそうだ。

 しかも俳句をたしなむ方にとって、この句は子規が俳句創作上の手法として提唱していた「写生」の代表句のようになってもいる。「子規が法隆寺の茶店で柿を食べていたら、鐘撞堂で突かれた鐘の音が聞こえてきた」という句の景に、疑いを持つ方はまずいないだろう。

 「写生」は西洋画の対象を写実的に描く方法を意味する言葉で、子規はこの方法を俳句の詠み方として取り入れたのだ。とはいえ、空想や想像による句づくりを否定しているわけではないのだが、子規といえば写生句となっている。
 子規としては提唱することが単純明快に伝わる必要から、「写生」を押し出したのだろうと思う。僕も写生句といわれる句も詠むので、写生に文句を付けるつもりなど毛頭ない(笑)。
 ただ、後年の研究によれば、子規が「法隆寺に行ったことは事実」「奈良の旅館で柿を旨いと言って何個も食べたことも事実」「奈良の寺の鐘の鳴るのを聞いたのも事実」だそうだ。
 しかし、法隆寺の茶店で柿を食べていたら鐘が鳴ったわけではないのも、はっきりしている。

 つまりそれぞれ写生ではあっても、場所と時間がづれているのである。この句が幾つかの子規の奈良における体験が、創造的に組み合わされて生まれたというのが事実らしい。
 だから、この句は「写生」という新しい俳句の作り方で一気にできたわけではなく、体験や記憶を創造的にまとめるという、以前から自然に創作に取り込まれていた手法で一句にしたものなのだ。
 しかし、「写生」という当時の最新の言葉と考え方で句の未来を築きたかった子規は、あえて写生句として発表したのだと考えると納得がいく。
「写生句」という当時としては新しい概念と、この句の「簡単・明瞭・調子良し」が結び付いて、いったん聞いたら忘れない句となっているところが子規の偉大なところだ。

 しかも、この句にはご丁寧に「法隆寺の茶屋に憩ひて」の前書きがある。この句の成り立ちを見ていくと、前書き自体が記録ではなく創作であることが分かる。この前書きのおかげだろうか、法隆寺の茶店跡に「柿くへば」の句碑が建てられている。ますます、子規が柿を食ったところは、ここに違いないということになっているのだ。
 こうして見事に子規の「柿食へば作戦」は、大成功に終わっているのである。子規さんもやるもんだ(笑)。

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