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|社会評論|、「戦後」、|After War|、子供達に代表される日本人の無意識のゆくえって……それって、日本人達よ、いつか言っちゃえよ………………。

  
     きれいは、きたない

     きたないは、きれい
   
     きれいは、きたない

     きたないは、き……い



  なぜか知りませんが、日本の心理学者、精神分析医は、この問題に本格的に以前から関わり合いになりたがらないのです。

   前の大戦後の、子供達の無意識
   の変遷に代表される戦後の日本
   人の意識の変化、推移、その流
   れを、それがどうなったかを……
   ………、

戦後の子供達の文化、カルチャーの代表といえば、怪獣ブームですね。ゴジラしかり、ガメラしかり、円谷プロのウルトラQからの特撮怪獣や宇宙人もの、ウルトラマンものしかり。

それはおそらくは、大人達が創り上げつつあった管理社会に対する、子供達の文字通り無意識下からの反逆衝動、突然いきなり大怪獣が岩山から山を崩して現れたり、巨大怪獣GODZILLAゴジラが東京湾から這い上がり、東京タワーをなぎ倒し都市を破壊しまくる、
それは、やはり子供達の管理社会に反発する、暴力衝動の表れとしか言いようのないものでしょう。

怪奇な雰囲気を醸し出していた怪獣たちのその容貌も、子供達の、管理社会をおびえさせてやれ、という脅し、脅迫、対抗の意志が読み取れます。

そして、それはいつの頃から、と、いっても終戦直後から、スタートする戦争をやる勢いで経済活動をやってしまい、自国を経済で破壊してしまった戦後日本。大人社会の学校教育、指導管理、それと相似する一般家庭に代表される核家族化による大家族制度が解体し始めてきて、それは戦後から始まる米国の日本社会への継続する解体活動によるものであり、何にせよ日本社会の学校教育、等の公的機関の管理が厳しくなっていく。

ぶっちゃけ、アメリカ親亀、その子分としての日本政府、中でも教育による日本の子供の意識、脳をクルクルパーにする極左実験に対抗する暴力衝動の噴出と言えます。

ウルトラマンで、大怪獣ゴモラが巨大な大阪城を叩き潰したり、ドクロ怪獣レッドキング
等の怪獣たちが戦い破壊しあう、怪獣島のお
話は、純粋な幼児がそこらへんの子供用のオモチャを、放り投げ、振り回して叩きつけて破壊している様に見えるのは私だけでしょうか?

そして、少しづつ時代は60年代に入り、もはや貧しい戦後ではないと言われた政治家の発言どうり豊かさが見え始めた頃に、怪獣から移り変わりつつも、やがて、子供達の天の上から妖怪漫画、妖怪アニメブー厶が降臨していきます。やはり、特攻としての水木しげるのゲゲゲの鬼太郎がそれでしょう。
民俗学の中でもマイナーに位置づけられる存在の |妖怪| を降臨させた水木の功績はやはり優れているものでしょう。

ハッキリ言って怪獣の暴力性から、妖怪へと子供達の無意識のパワー、リビドーは、逃避
、路地裏の中に逃げ込み、大人達の管理社会に反発しつつも、非行少年少女化していき、やはり負け犬のような逃げた負け犬になるしかないのだろう……………。

鬼太郎や、妖怪人間ベムに出てくる、怖い、気色悪い妖怪たちは、突然、天下り的に出現
し、我々をおびえさせビビらせます。子供のみならず、ある時大人でさえも(ションベンちびらせるほどの………特に妖怪人間ベムにいえる、あの恐ろしい悪霊、妖鬼など。)時には。

それは、通り魔的な突然に表れ刃物で刺し殺す、テロリズム的な子供達の不良性、非行性
かと見て取れます。

例えば路地に入り込んで何回か角を曲がって
、いきなり恐ろしい妖怪に遭遇する!!
大人達の管理しようとする厳しい指導姿勢を
、ベトナム戦争のジャングルの森の中のようなゲリラ戦に持ち込み、怖い目に合わせる、
という、収縮して圧迫していく管理社会に対してあきらめつつある子どもの姿勢も見えて……。

そして、70年代一ぱいまで、冷えたような、
張り詰めた、抜けたような10年が過ぎようとしつつ……そして赤坂エンペラーズから始まる
、夜中一発屋打ち上げ花火式の暴走族ブー厶
、文化が勃発しやがて暴走していく。

いわゆる、ゾク、野心欲望性欲ドロドロの若い性的リビドーが、一夜しかない夜にズドン
と一発屋で巨大花火を打ち上げる!!!!!!!!!!!!

だが、それは同時に管理社会に対抗できない
意思表示ともとれ、物悲しさが漂います。

なぜって………、夜だけだから……。

それが昼間ならば雄々しい若者のリビドーの発露ということでアッという間に管理社会の管理しようとする力にまとめ上げられてしまうからでしょう。

また、ゾクは一片の詩学、ポエジーを残そう
としていました。イワユル、族のスプレーを
壁などに吹きかけての一片の詩を………夜露死苦!とか、……………………見参!!とか。

それと同時に、族の夜中のバイク音、騒音も
見逃せません。夜中しか騒げない、哀しい騒音反逆行為はジャズの即興演奏、インプロビゼーション、にも似た……悲しい演奏会!!!!!!!!
反逆出来ずに、反発する行為しか出来ない、
彼らの雄叫び!!!パパラパパラパパラパパ
パパパパララパパラ……………………!

そしてほぼ、同時期のヤンキー、ツッパリブ
ー厶!!

今日も元気にナンタラかぶってチンタラ気どってリーゼント!!
ツッパリ・ハイスクール・ロックンロール…
……………。

彼らはまたも社会と対面せず、ヤンキーのうんこ座りで、世にまともに対面せずシンナー
、タバコをやり、ますます非行化を文化化し
、その姿勢を推し進めます。ウジウジしながら、その腹の中のムカつき具合を少しずつ、
少しずつ、はらしながら。その内なんかでけぇことしてやるかんな!今にみてろよ!!みたいな。

また、なめネコブームで自らを可愛くユー
モアにデフォルメし、社会に浸透させようとしていきます。社会に同化させつつ反発の姿勢を見せていきます。

そしてヤンキー文化はチンタラチンタラ続き
、やがて縮小しながらも無くならず、令和の
年号前辺りから少しづつ、復活していく。

その前後からインベーダー・ゲームに代表されるゲーム理論が世にあふれ始め………、意識下のドラクエというエッセイを昔みたことが
あり、ゲーム理論が子供達の潜在意識下に入り込み、子供達のみならず、大人社会にも入り込み始め………それは、やがて我々の現実社会に浮上していき………子供達に広まるノーライフ・キングという呪われたゲームの小説にも見て取れ、それはコックリさんみたいな集団ノイローゼにも似た閉ざされた閉域の病的なゲーム心理。そしてそれは子供達から大人達の間にもゲーム理論が社会に広まり始めていくのでした。

1990〜2000年頃からホームレスを10代の青少年がリンチで殺害する事件が広まり、言い切ってしまえば10代くらいの子供だから殺しても許してもらえるだろう的な、漠然と社会に対する不満を、殺しではらす衝動をゲーム理論で、誤魔化し、ウサを晴らそうとする流れへと続く。

戦後日本の子供達の潜在意識下の力に象徴される、それは戦後日本の経済だけで突き進んだ末の管理社会に反発しつつも流されてきた
、大人と子供達の無意識下のエネルギーの流れが、これらに表されてきたのだと推測し、
指摘することができるだろう。

そしてそのゲーム理論がべースとなり、全世界へと大海の大洪水のように、ゲーム理論が
世界的規模で広がって行くのが、今の世界的現象なのでしょう。

その末に、日本社会や全世界は………どうなって行くのでしょうか?
今、起こっているのはドロドロとした動物的な世界各国の人々の動物的なリビドー・衝動が、ゲーム化され広がって行ったゲーム理論のシステムと、どう折り合うのか?意外に去勢され大人しくなるのか?それとも、それぞれに意外な変化を見せるのか?それとも自分達の歴史と、どう折半するのか?どう誤魔化していくのか、何かそれっぽいけど………何にせよ何となく思えるのは、世界各国の去勢化が進み無個性化していくのだろう、と読めます。


  どうなるの    JAPAN  AND  WORLD。

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