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|映画評・ちょっと,そこ!|・ベルリン天使の詩・から…

ボクが、………この映画に出逢ったのは、ハッキリと覚えています。高校の、卒業前だったころだと思います……………………。

地方の映画館で、それも客の入らなそうな、
いかにも難解な芸術的な地味な映画、という事もあってボクも含めて二人しか客はいませんでした………。

それも、いきなり最初から観た……というのではなく映画の劇中の途中から、という感じで
したが、意外にもすんなりと、この文学的かつ難解な、この作品に入り込めた、というより溶け込んだ………といった方が的確で………。

モノクロ,白黒映画という印象の思い出だったと思いますが、今から見てみればセピア・退色・うす茶、白の画像の色でした。重い、比重の重い音楽が流れていたのは印象に残っています……………。


いわく、ドイツ・ベルリンという都市の上空には天使がいる………………。

子供にしか見えない、黒いコート姿に白い翼を背にした男の天使たちが………………。

かれらはビルの屋上から地上へと降りてきて
いわゆる弱者達、交通事故のケガ人、浮浪者に寄り添い、優しく語りかけながら、ただ、優しくなぐさめ続けるのです。

静かな図書館にもたむろし、巨大なベルリンの戦勝記念塔の金色の女神像の肩にたたずみ
、世の中を俯瞰します。それが、世界に対しての中立的な、ニュートラルな天使の姿なのです。

純真な子供たちにしか見えず、まれにバスに乗った子供に発見され、驚かれます………。

映画の内容としては、天界の天使の一人、守護天使ダミエルが、人間のマリオンというサーカスの女性の曲芸人に、恋をした。

結果、天使であることを辞めてしまい、人間になることにした…………………

ただ、それだけの大人のファンタジーなだけだけど…………

その当時、そして、その後も、この奇跡的な
見た目、小品のこの映画が評論家達、様々な映画ファン達に、心理的なインパクト、記憶を残しているのは、監督・ビィム・ベンダースの映画製作スケジュールのズレが、本人自身も自覚していないちょっとした奇跡を、偶然にも引き起こしているのでしょう……………。

それは、言ってしまえば………映画という表現
媒体を超えた、大げさだけど、全世界に何らかのメッセージを偶然にも、送ってしまっている………………………………という、か。


ベルリンという都市の戦争の歴史や、建物が
前の大戦で破壊され、空襲のイメージが突如として、表れます。様々な映画評論家が指摘するようにベルリンの都市としての亀裂!そこにベンダースは偶然にも、この映画の存在意義の様なものが入り込みハマってしまったのでしょう。実際のところはテスト・フィルムレベルだったらしいですけど。この映画って………。


いわく……ボクも、そうだけど、口先だけ、言葉だけ、言いたい放題言うだけ言って、何だかんだで何もやろうとしない連中、失敗したら失敗したで、チョコマカ、チョコマカとせっせこせっせこ、もみ消して、その挙げ句、何かに責任転嫁して、とかく誤魔化そうとする。

まるで人間世界で、リスクも負わずに何もせず、ただ傍観するだけの天使の様に…………。

この小さな奇跡的な映画作品は、冷戦崩壊後、今も続いているが、何をしていいか分からない世界各国の人間達に、こう告げています。


  天使から、人間になれ………と…………。


汚いことも、きれいな事も、現実的に対応する人間に、なれ、と。言葉だけで、逃げようとする天使から自らを解放するのだ、と……
……………。


歴史的な、重要な、展開点を告げているのだと、ボクはそう想います…………………。


極めて文学性の高すぎるセリフで覆い尽くされたこの映画は、道を歩く老人の心の中の文学的な独り言、とある女性の文学性、哲学的な心の中のつぶやき………ミュージシャン、ニック・ケイブのライブ客の日本人女性の日本語のつぶやき………等などが延々とつづられて行きます。


言ってしまえば………リスクを負わない、ただの天使の独り言。

刑事コロンボ役の米国の俳優、ピーター・フォークも、もとは天使から人間になっていたのだ、と言う映画上の設定も、よく見てみれば、刑事コロンボも天使の様に言いたい放題
言ってて、自由自在ですよね!!

言葉だけで偉そうにグダグダと述べ、利益や
暴利をむさぼり、挙句の果てには、綺麗事、美辞麗句を並べて正義の人、偉い常識人であるかのように振る舞い誤魔化し続ける、今も昔も………そういう人や集団が大半ですよね……それらも無責任な天使にしかすぎない。そこから汚い現実をも受け入れる人間にならなければならない…………………。


日本映画、周防正行監督の、シャル・ウィ・ダンスをここで取り上げるのは、年代は違いますが、あの映画も、それに準ずるメッセージを残しているのです。いわく冷戦後、どうやって生きて行けば分からない。秩序が無くなってしまったのだから。でも、社交ダンスのようにダンスパートナーをエスコートし踊り、リアクションしなければならない。しかもエレガントに。不細工にも、無様にもならずに。社会秩序があやふやになった今、紳士の国、英国が造った社交ダンスの様に華麗に世を、混乱した世界を生きねばならない……。

今も世界的に興行成績を上げ続け、地球的規模でシャル・ウィ・ダンスの波が広がっているのは、そういう現実が、有るのでしょう。

本題に戻りますが………ベルリン天使の詩のエンディングは、人間になった天使に天界からの退職金的な意味合いであろう、天使の鎧、甲冑が大空から落ちて来ます。

そしてサーカスのブランコ乗りの曲芸人、マリオンのトレーニングを手伝う、恋人になった元天使、ダミエルの文学、哲学的な難解なモノローグが流れて行きます。その場面は、感慨深い…………………。

みなさんも、興味を持った人がいたなら、ぜひ奇跡として偶然にも産まれた、この映画を一度観てみることを、オススメします。


あなたの中に、何かが、残ることでしょう。


  
  天使から人間になれるかも…………。


    
  今・映画|ベルリン天使の詩|を、check!


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