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優しくよくなる

今日も今日とて。
ふと浮かんだので、調べてみた。
「いつもと変わらない様子」を表すのだそう。

今日も今日とて、いろんな人が交差するまちで過ごした1日は、心地よく幸せだった。

「今日も今日とて」ということば自体によいもわるいもなく、その後にくることばを強調するために使われるのだと。

朝は仕事をしながら仲間と楽しみ、日中は部屋の中で過ごしていても外から声が聞こえてきたり、仲間が部屋を訪ねてきたり。
半径100メートルほどの世界で、何人の人と出会ったり別れたりしただろう。ざっと数えて16人の人たちとことばを交わした1日だった。
「助けて〜。」と言えば、おそらく助けてくれるだろう人たちが16人いると思うとなんとも心強い。
ただ1日を振り返って、「その一人ひとりに本当に心から伝えたいことを伝えただろうか?」と問うと残念ながら答えはノーだ。
今日のその人を感じて、湧き出てくることばがあっただろうに。そう思うと心外だ。

何か物足りなさを感じていた感覚はあったのよ。
そういうことか。

今日の足つぼマッサージ

・基本(副腎~膀胱)
・全体的に
・踵~ふくらはぎ

右足の肝臓あたりのしこりが気になる。
肝臓は怒りの臓器。
どんな怒りがあるのだろう。

今日のビブリオマンシー

教会側は
被告に
改心の宣言と
関係資料の開示と
焚書を要求して
います。

「チ。」魚 豊

〈改心の宣言〉
明日のわたしは、内側から湧き出ることばを人に伝えるために、そのまま感じることをゆるして過ごしています。

何かね、オブラートみたいなものが膜を張っている感覚がある。今はお腹と胸、そして前腕に感じる。おそらくこれがアトピーの素だわ。

感じていないことの気持ち悪さを感じた1日だったんだ。感じていないのではなく、感じようとしていないから「怒り」となってるのだろう。

あっ、もちろん感じていた瞬間もありましたヨ。

あんぱんの行方
「あんぱんの焼き目にムラが出るのは、オーブンの余熱が足りてないんだ!」
そう張り切って迎えた今日のキッチン。
結果は、
ムラあり。どころか、焼き目がつかない。
愕然としましたよ。がっかりして、もう1人のキッチンメンバーとズドーンと落ち込みましたよ。
でも次の瞬間、
「過発酵よ!」
一次発酵が進みすぎていたのを思い出した。以前調べたときに書いてあった焼き目がつかない原因のひとつ。

「次に試すことがあるね!」
と話すゆっぴ(キッチンメンバー)の声には張りがあって嬉しそうで、ワクワクしていた。
そんな彼女の姿をみて、わたしは胸が暖かくなって幸せな瞬間だった。

味だけではなく、見ためも美しいあんぱんを目指しているその道中。ともに落ち込んだり、また希望を見出してワクワクしたりする仲間がいる。あたりまえのように過ごしているが、願ってもない環境だ。
決まったことを決められたように実行することも立派な仕事。そして、このキッチンにおいてもルールはある。だが、それだけではない「各々が考える最高の状態を実現するために、アイデアを出し合ったり、試行錯誤することができる」環境があるのだ。


今日のわたしから知る〈部族的信念〉
「敏感だと、居心地が悪い。」
幼少期、八つ当たりの激しい母、ケンカの絶えない両親のもとで、居心地の悪さを感じていた。
本音を見せない世界に嫌気がさしていた。
そんな世界の中で、まぁまんまと鈍感さに磨きをかけた。それでも居心地はよくなっていない。
敏感だから居心地が悪いなんてことはなかったのだ。どうすれば居心地のいい環境をつくれるのかを知らなかったのが事実。

新しいわたしの信念
感じることが、居心地のいい環境へとわたしを導く。


今の自分には必要がない信念も、その信念が今も自分の中にあると気づかなければ手放すことができない。
冷蔵庫の中に腐ったきゅうりがあったとしても、それがあると気づかなければ捨てることができないのと同じだ。
腐ったきゅうりが臭うように、いらなくなった信念も臭う。
「物足りない」「オブラートに包まれたような膜を張っている感覚がある」と臭った日。
ステテクレヨ!
「感じなければ、目の前にある幸せに気づけないじゃないか!」と怒り、叫んでいた。
「幸せであることを実感したい!」と声が聴こえた。

膜はビリビリと剥がれていくのかと想像していたけれど、なんだか溶けていっているよう。
優しくよくなる。

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