「自衛隊の民間船チャーター」報道に関する疑問

・はじめに

 国防と安全保障というものは重要であるとともに極めて複雑であるため、それについて記すにあたっては「どの範囲を扱うか」ということをしっかりと決めて区切る必要があります。今回は「有事・戦時における軍/民の境界線」に範囲を絞って扱います。

・自衛隊による民間船舶の徴用についての報道

 先ほどニュースを見ていると、訓練において自衛隊のチャーターした民間船による部隊輸送の話題をやっていた。有事の際には民間船を軍事輸送に使用するとのことであったが、ここでコメンテーターからそれによって生じる懸念についての指摘があった。

今や国の方針についてはほとんど手放しで称賛する(というと言い方はきついかもしれないが)だけになってしまった昨今の報道において、このような発言は非常に貴重だと感じる。内容は以下のようなものだった。

「民間船であれど軍需輸送に従事するということは軍事作戦の一部を構成することになるので、当然ながらそれは軍事目標と同位であり攻撃対象となる。そのあたりのリスクについての国民理解が十分に行き渡っておらず、話だけがどんどん先に進んでいるのではないか。」

この報道においてキャスターは「有事の際には自衛隊員が乗り込むことになる」と、フリップで説明していたが、これはいささか不適切な説明ではないかと思う。

・「自衛隊員が乗り込む」とは言ったが「民間船員は乗らない」とは言っていない

 まず最初にはっきり言うと、ただでさえ人の足りない自衛隊から高度な知識・技量を要する操船要員を急速に充当することは不可能だ。船舶の運航には相応の専門性が求められ、さらに複数の専門的な技能に習熟した乗組員を必要とする。それらの人員を有事の際にポンと用意できるような状態に、自衛隊はない。さらに徴用する民間の船舶はどれも自衛隊の使用する機材・船舶とはバラバラの規格や作りのものとなるので、それの習熟にはさらに時間を要する。

現実的に徴用した民間船舶をすぐに使用するためには、その操船要員もそっくりそのまま徴用することは避けられないだろう。船舶の運航は、学生アルバイトのような広告を打てばすぐに誰かしら集まるような職種ではない。そして国も自衛隊もその辺りのことは十分に承知の上だと思われる。

少々長いが、ざっとでもいいので以下のリンク先文書をご覧いただきたい。平成二十八年二月二十四日に提出された文書です。

参考資料・海上自衛隊による民間船舶借り上げ及び民間船員の予備自衛官任用に関する質問主意書(衆議院)

(引用)「政府は、民間船舶船員(以下、民間船員という)を海上自衛隊の予備自衛官補として採用し、教育訓練を経た上で予備自衛官として任用するための費用等を平成二十八年度予算案に計上している。」(引用終わり)

このように、少なくとも6年前の時点では既に国は民間船舶の徴用がその操船要員を含むということを想定していた可能性が極めて高い。

キャスターの言葉で遊ぶのは不毛だろうが、彼女の言う「有事の際民間船舶が徴用された場合は自衛隊員が乗り込む」という発言は半分本当だし、半分嘘だ。この極めて曖昧で不十分な言い方に危険性を感じる。

・実際のところどうなのか?民間船員が乗るのか?乗らないのか?

 この報道によって視聴者の多くは「船は持ってかれるけど、乗るのは自衛隊なんだな。」と感じたことだろう。ご丁寧に民間船員が自衛隊員に入れ替わる分かり易いフリップまで用意して説明したのだから。

だが実際はそんな操船要員の余裕は自衛隊にはないし、上記のように国もはなからそんなことはわかりきっている。そんなこととは有事だろうが平時だろうが民間船舶を動かせるのはそこに乗っている操船要員だけだということだ。以下のリンク先記事をご覧いただきたい。

参考記事・予備自衛官、訓練期間を20日に短縮検討 政府、志願者増狙う

自衛隊が極端な訓練期間の短縮を行なってまで兵員を充足しなければならないほど、この国は急速な軍拡を行っていることがわかると思う。民間船舶の徴用もその民間乗組員の徴用とセットであることは避けられない。

・民間人を軍人・軍属にすることで問題は解決するのか

 日本は今や決して十分な国力を持っているとは言えないし、求められる防衛力の不足に対し民間のリソースを割く必要性に迫られることもあるだろう。そして国防は我々国民一人一人が興味、関心を持ち、考え、関与していくべきテーマである。だが私は今この平時すら維持困難な国のリソースをさらに大幅に軍事力へ傾斜させることは極めて危険性が高いと感じる。爆増が予測されるこれら防衛費には現在法人税が予定されているという話も聞くが、既に体力のある大企業は軒並み海外転出し、国内に残っているのはバブル以降30年以上にわたる景気低迷と競争力の低下、そして昨今のコロナと急速な円安によってもはや一歩踏み外せばおしまいといった体の疲弊企業だらけである。

参考記事・賃金未払い、ベトナム実習生会見 愛媛、違法残業の実態説明

(引用)「未払い賃金の総額は約2700万円に上るが、会社は7日に自己破産する方針を示している。」(引用終わり)

吹けば飛ぶ。非正規雇用における厚生年金の件もそうだが、これ以上の企業負担増加は経営の限界を超える。そしてそれは昨年の小林化成やつい最近の日医工の件を見ればわかるように、今や町の小規模零細だけの話ではなくなっている。

周辺諸国との険悪な関係性の解決は軍拡による力の対抗だけではない。スイスと比べるのは酷かもしれないが、やはり経済や外交を以って対抗していく道に注力するべきではないだろうか。というよりも、軍拡による対抗はおそらく破綻をきたすと思う。この国にはもはやそれを成し遂げるだけの国力は残っていないと感じる。

・「民間の自衛隊編入によって実際に起こり得ること」について、思考を深めなければならない

 多少脱線してしまったが、今回の報道において、というよりも昨今盛んに報道されている有事における港湾、空港や病院等の民間インフラの自衛隊への編入について、そこにある効果とリスク、それの是非について国民にもっと広く思考を促す必要がある。それは民間施設が軍事施設となることを意味し、つまりは攻撃目標となること、そしてそこに軍人と民間人が混在することの危険性などについて、である。

民間船舶の軍事徴用については過去に全く同じような歴史を辿ってきているので、今後起こりうる問題もかなり明確に予測できると思う。

参考記事・戦時徴用船の悲劇 船と海員の資料館、20年調査続けるスタッフ

民間船舶及びその乗組員の徴用に関しては極めて扱いが粗雑であり、戦後もその戦没認定や補償問題等で大いに禍根を残しているようです。

・「注意深く見る、少しでいいので深掘りしてみる」ことの大事さ

 この報道においてコメンテーターの言った「それによって生じるリスク」について、番組キャスターは一切触れていない。それどころか誤解を招くような説明をしていると感じる。政治家の言うように誤解する人間が悪いのだろうか。

強い言い方だが極めて恣意的な方向性を持った報道だと感じる。このキャスターと報道スタッフが何をどこまで知っていたのかは知らないが、ただ官報を読み上げるような極めて無責任な報道には本当に危機感を覚える。今回はそこを突くコメンテーターがいたことだけが、本当に唯一の救いだった。

・終わりに

 最後に、民間船舶の戦時徴用については非常に学びになる部分が多く、また精力的にそのテーマについて取り扱っている方も少なくないため、書籍、ネット、または以下のリンク先のようにその資料館まで存在しますので、興味のある方はぜひその情報について触れてみてほしいと思います。

参考史料・戦没した船と海員の資料館

戦時徴用船の制度的概要やその顛末についてざっくりと知りたい方はこちら↓

島国であり、特に輸出入に強く依存する日本にとって、船舶やそれに関わる人々の働きについて知ることは極めて重要です。

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