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ちょっと本屋みに、旅にでます|二〇二三年五月・尾道篇




一年ぶりの尾道の空、にびいろ。



ひとまずからだをやすめたかった。荷物をドミトリーに投げうって、駅前でバスを待つ。

縁もゆかりもないまちの、しらない路線バス。
雨でしめった、青々しい制服たち。

丘の上でおりて、温泉施設で汗を流す。ありふれた、どこにでもありそうな感じのつくりだけれど、初めてでも色んなことがだいたい予測つくから、安心。湯あがりに取り急ぎビールを一杯。これもよくありがちな、ちょっとお高目にみえる定食でおなかを満たしたら、また街へ降りてゆく。

ひとり佇む暗い停留所。

夜の山手は、雨と山の匂いがする。
せっかく綺麗にしたからだに雨がはねないよう、気をつけてあるく。



二十三時をまわったら、さあおまちかね。
本屋の時間です。

ひっそり、薄暗く寝静まったアーケードをあるく。きょうのお店は、夜にひっそり浮かぶ小宇宙。


「古本屋 弍拾dB」




黒いとばりのおりた尾道の夜に、「古本屋 弍拾dB」はひっそり隠れている。平日夜、二十三時開店。雨にけぶる尾道の街に、古い建物をつかったその店は、佇まいからしてぴったりとはまっている。

中を見てもそう。

汚水処理の都合でにおいがたちやすい町家の欠点を、たちこめるお香のかおりが隠している。そこに乗ってくる、時間を吸って色褪せた本のにおい。そばの踏切で鳴るカンカン音と、貨物列車の車輪の音。淡々と、しずかにかたるラジオのアナウンサー。ちいさな宇宙。
土日なら、明るい時間帯に開いている。
けれど、この夜に漂うようなきもちは昼間の世界では、きっと味わえない。


痛快なり、番台の守り人

こんばんは。

お店を入ってすぐ、そう迎えられる。入り口からじっくり棚をみて、番台を通り過ぎる。もう一度、今度は顔をみて、こんばんは。

番台で本に埋もれるは店主・藤井さん。あんまり下調べせずにきたので、そうか、こんな感じのお方なのかとひとり納得する。どことなく、テレビに出ていそうな誰かに似ている気がする。店のすばらしさに興奮のあまり唸りながら長考をかさね、舌を噛む思いで厳選した三冊を手渡しつつ、言葉をかわしてみる。

まあなんと痛快なこと。

流れるような「ベシャリ」。
髪を片手でわしゃわしゃしながらしゃべる、その感じ。
古本屋は喋ってなんぼだなんて、わたしそんなこと考えたこともないけれど、かれをみているとそうかもしれないと思えてくる。
じゃあわたしには無理だな、とこっそり心中で苦笑う。

ちょっと缶コーヒー買ってくるんでと、素性のしれぬ客をある意味信じて店を空けちゃう、その感じ。いまの世じゃ、すっかり珍しくなったそんなあり方が心地よかった。

落ち込んだ時傷ついたとき。
泣きたいとき苦しい時。
この番台前のソファにうずくまって、夜通し泣き言を垂れ流したい。

お店からしたら大迷惑でしょうから、わたしが東京人だったのはこの店にとって本当に幸いだったろうとおもう。

常連さんと思しきお客さんがひとりいらしたのと入れ替わりで、店を出る。


雨の夜更けには古本屋が似合う

ビニル袋をさげて街をあるく。
もう雨はあがっている。

まっくろな路地。

ぽつぽつ灯るランプ。

明滅する信号機のひかりを、ぼんやりうつす濡れたアスファルト。

尾道大橋の夜灯が水面につくるきらきら。

夢みたいな世界。






まっすぐ帰るのが惜しくて、遠回りしてあるく。

なんとか写真に残そうとしてみるけれど、どう頑張っても無理だった。やっぱり、目で見たものには勝てない。すくなくとも自分には、それと同等の力で手元に残すことができない。あきらめて全身で味わおうとした方がいいかもしれない。

あーあ、たのしいな。
しゅらしゅしゅしゅ。




*   *   *



旅の断片

昨晩なかなか眠れなかったので、すこし頭が重い。

でも起きた。
朝めしをぶちこむ。

さあきょうもさっそく、本屋にいくぞ。



けれどされど雨がぱらつく。
予報と違うぞふざけるな。

しかめ面と寝不足で出来たおできをマスクで隠して、ドミトリーちかくの喫茶店に逃げ込む。
何はなくとも、起きたらまずは珈琲だ。
すすりつつページをめくりつつ、みせが開くのを待つ。

この旅のお供は、ちょうど一年前から読みさしていた若菜晃子『旅の断片』。あのときこぼしたアイスコーヒーのしみがまだ、百一頁に残っている。半分くらい読んで、これは旅に出る時にだけ読み進めることにしようと決めて、結局そのままカネが尽きて遠出なぞできなくなり、一ページも繰らずに積んであった子だ。情けない。


あなごのねどこの庭の奥

さてさてさて、と。

頃合いを見計らって店の近くまできてみるとちょうど、カップルが入ってゆくところだった。厭だな。カップルというのは黙っていようが騒いでいようが、もう存在そのものが五月蝿い。もうすこし後にしようか……と逡巡して、でもほかにすることもないからいいやと、あなごのように細長い通路へはいってゆく。

ふるい長屋をつらぬいて奥庭に出ると、店は変わらずにあった。
いや、一年前よりもさらにしっかりとした存在感で、あった。


「本と音楽 紙片」




「本と音楽 紙片」は、わたしが知るかぎりもっともうつくしい本屋だ。

ここに来るためだけに尾道へ来る価値がある。
すくなくともわたしにとっては。

店内は想像以上に賑わっているけれど、何ものにも動じないすっとした静謐がながれている。

隅々までみてゆく。
細かいところまでいちいち遊び心があって、ほんとうにため息がでるくらい、良い。
床に立つ風変わりな木彫りのオブジェ。顔がついている。まわりに散らばる落ち葉も、これはきっとそういうしつらえなんだろう。配管、電気のメーター。自然が産んだものたちと、体温のない無機物と、人の手のあたたかみがのこる手仕事の跡と。素朴な材料で、うつくしくまとめあげられた世界。

渡部真由美さんの絵。
石のポスター。
藤井さんのところはよく知っているお香のかおりだったけれど、ここはほんのりとアロマがかおっている。


ミセも、ならぶものも、ちゃんと人が「つくっている」

本は決まった。
CDがなかなか選べない。
店主おすすめの白黒ミドリ『エコー』はどこだろう。売り切れてしまったんだろうか。

どうしよう。

とりあえずそれ以外の候補一枚を決めて、買うときにきいてみようか。
しかしその一枚もなかなか選べない。
決めるのにずいぶん長くうなることになった。
いいお店にいるとき、わたしは毎回こうなっている気がするな。

そうしているうちにすこし、人が少なくなってくる。


店主・寺岡さんに尋ねてみた。

やっぱり品切れ。

でも、これから「つくる予定がある」から、住所を教えれば郵送してくれるという。
やった。よろこんでお願いする。
むしろこの場で持ち帰るよりも、わくわくして良い。

この「つくる」という言葉、このときは聞き流してしまったけれど、これがまた本当に「つくって」くれたのだということは、後で知ることになる。

『エコー』は本当に、ハンドメイドな作品なんだ。
「僕は主に表紙を貼りました」とは、後日CDを手元にお迎えしてからの寺岡さんの談。



そうだよな。
CDだって、人がつくるものなんだよな。
「生産」でなくて、「つくられている」ことを感じて、あたりまえのことを、ほんとうに、しんから発見しなおした。
そんなきもちになった。




語らう、雨あがる

寺岡さんとはほんとうに長々と、いろんなことをとうとうと話した。

郵便番号を書きしなに、数字をみた寺岡さんが「北海道ですか?!」とびっくりされて、あわてて東京ですと訂正して。
そこからだんだんと、ゆっくりゆっくり、自然に言葉がつながりはじめていった。

店のこと。
本のこと。
「場所」をつくるということ。

ねこのこと。
キッチンのこと。

寺岡さんの話は、なんだか、感じ方や考え方がスッと入ってきて心地が良い。異物感がない。お客さんの波をはさみながらも、ぽつりぽつりと言葉をわたしあい続ける。会計してもらった商品を受け取ってかばんに仕舞ってしまうのが、惜しくてしようがなかった。

お店をでたら、空がきれいな蒼でびっくりする。
はいったときはあんなにどんより、小雨模様だったのに。いまの自分のきもちをそのままうつしたようで、きもちがよくてからだが軽くなる。

時計をみたら、もうあれから二時間以上がたっている。
そりゃあ天気も変わるわけだ。

なんだかんだで、予報通りだったんだね。
ごめん。




ちょっとごはんたべて、またすこしぶらついたら、ちいさな居酒屋のカウンターで冷奴と生ビール。

まだ外は明るい。
網戸いちまいで開け放されたお店の玄関から、街道を走るクルマの音が聞こえてくる。

爽やかな風。
砂ずりの天ぷら。カンパチ。
お酒は夕暮れ時にぴったりだからというだけで、亀齢酒造「夕映え」を。
これが大当たり。
好みすぎておかわり。ついでに焼きなす。
西のお酒でこんなに自分に合うのは、はじめてかもしれない。



たっぷり呑み食いしたけれど、店を出てもまだ外は明るい。

駅前広場には制服姿の学生たちがおもいおもいに憩っている。
青くてまぶしいにおいがする。
空は紅の滲んだ薄青で、
水彩のように、
けれど絵の具には決してつくれないうつくしさで広がっている。



しあわせだな、とおもう。



酔いを醒ましたらさあ出直し。
珈琲・本屋・ビールに酒までクリアしたから……残すは風呂だけ。

Tシャツ短パンで足取りもかろく、近くの風呂屋へ。
どっぷり湯浴びてほってほてで流しこむは、のむヨーグルト。
脱衣所ではローカルなラジオ番組で、しらないアーティストがトークしているのが流れている。
ラジオから聞こえる声やおんがくは、ちょっと遠い感じがするのが、いい。



湯あがりのからだを夜のアーケードですこし冷やしたら、自分のベッドに還る。ヘッドフォンをして、ゆっくりと、おんがくに身を沈めながら、夜に溶けていく。






おわりに

わたしは一年前にもここにきて、酒を呑んだりもしたけれど、こんなにきもちよくはなかった。あの頃より、この街でよい旅をつくれているなとおもう。

心細くない。

申し訳なくない。

相変わらず人を怖がりながらこそこそ旅をしているけれど、話をしたい人とは話したし、まわりをちょっとだけ、気にしなくなった。

すきなように、一日をつくることができた。


それが、じんわりと心地良い。



あしたはおみやげ、たんまり買いこんで帰ろう。













付録|仕入れた本たち






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