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Y君が跳ねた日の話

中学や高校の頃を思い出すのは、私には少し微痛を伴う。ご多分に漏れずに私もそれなりの思春期らしさを発揮して、母や同居している祖母には大変な迷惑を掛けていたし、ほんの少しの好奇心と、自らを省みない軽い自暴自棄とで、言い寄られるままに好きでもない相手と交際し、そのまま経験を重ねたりしてしまっていた。
後悔はしてないがまぁ自慢にもならない。
私はクラスの中に溶け込むのに軽い努力を必要としていたし、同性間の交際には特に気を遣った。
要するに共感性というやつで、興味のないタレントや、今で言う恋バナ、少し真面目にお勉強、いずれも当たり障りのないところを維持しなければならない、という処世術は一人っ子の私には些か肩の荷が重い。
ストレスはコップの淵をなぞるような水位を保っていたはずだ。
私の救いはある日出会った音楽だった。
人それぞれのストレス解消法だが、幸いにも私の場合は比較的穏当な発現で済んでいた。何か外見や行動を過激化する方向に進まずに内面に砥石を当てた。
深く沈潜していくように、何度も何度も念入りに感性を研ぎ続けていった。それは私のささくれ立つ心理にも似合いの、過激で轟音のインディーズロックへの傾倒という形で顕れたものだった。
最初に私の心を撃ち抜いたのはラフィンノーズ。チャーミーは「栄光を掴め!」と叫び続け、WILLARDのJUNは「素晴らしい悪魔よ今晩は」と凱歌を上げた。
思えば厭らしい話だが、クラスメートがジャニーズやら多少バンドに興味があってもBOØWYやらユニコーンやらに心血注ぐ中で、私は興味あり気に装いつつも倒錯的な優越感を貪るように、インディーズロックへとどんどんと嵌り込んでいった。
上げていけばキリがないが、学校に内緒で始めたバイトで得たお金の殆どはインディーズのテープ収集に注がれていった。
JAGATARA、あぶらだこ、スターリン、INU、フリクション、とどんどん増えていくライブラリに満足するどころか、むしろ更なる喉の乾きを潤すために、次から次へと手に入れてはヘッドフォンで聞きながら頭を揺らし続けた。
私の自己顕示欲は比較的抑制されていたのだが、これは寧ろ内面とドロドロさを隠すためのものかもしれない。
現実問題として、バイトはしていても収入はすぐに音楽に代わる。髪を切るのは元美容師の祖母に任せ、服は着たきり雀。
ライブハウスに出入りする勇気は無かったので、パンク・ファッションで自己表現する気にはならなかった。
『Fool's Mate』を捲っては興味を惹くバンドを探し、手に入るテープやEPを漁り続けていた。

インディーズにのめり込む様になってから、対称的に私は異性に対する興味が薄れていった。
彼らは私の地味なくせに蓮っ葉な雰囲気に自分好みをの軽い女を見出し、隙あらば押し倒そうとするし、私の興味は既に性的好奇心から離れていたので、彼らの自慰の道具扱いに辟易しつつもあったのだ。
友人たちの中には、男がいないと立ち行かない依存気味の子もいたが、私はそこまで必要とは思わなかった。何か機会があれば別れよう、そうすればバイト時間も増やせる、などと思っていたのだから、彼氏にとっては良い面の皮であろう。
頭の中が性器で出来ていると思っていた彼氏はしかし、それでも察する所があったらしく、離れつつある私の気持ちを繋ぎ止めようと、あれこれと画策していた。私はむしろそうした求愛行動が面倒になりつつあり、必然的に心は離れていくしかなかった。
「今度の文化祭、オレ、バンドやるよ」
そんな倦怠期カップルの危機を救おうと、彼氏がまた悪足掻きしてきた。
「バンドったって・・・」当然の疑問が湧く「楽器、弾けなくない?」
「だから、ボーカル」
なんだ。
それではカラオケと変わらないではないか。私は通常運転通り、途端に彼の発言から興味を失った。うっかり反応してしまうと「愛するFのため、次の曲を捧げます」などと文化祭テンションで口走りかねない。
恐怖そのものの光景でしある。
それでも私はいつも通りに彼に気を遣い多少の義務感と微量の興味でメンバーを尋ねた。
ボーカルはもう一人、Mとのツインボーカル。ギターはE。ドラムはU。ベースはYだと言う。
有志のバンドで文化祭の為に結成することにしたという。ギターのEは洋楽好きでクラス内でも有名で、そこそこの腕前と聞いたことがある。
意外なのはドラムのUとベースのYだった。
「Uって、音楽に興味あったんだ・・・」
彼はクラス内でも突出した変人で知られ、成績は優秀なのに、シングル・マザーの英文法の教師に告白して玉砕するという無茶な一幕を演じ、一時期クラスの話題をさらった。
Y は目立たないが、確か軽音部だ。文化祭なら部活でのライブがメインではなかろうか。クラス有志でもベースを弾くとは、そんなにベースの人材が逼迫しているとは思えないのだが。
「何を演奏するの?」
当然の質問である。彼が愛の告白の為に「鏡の〜中のマリオネッ」などと熱唱されてはいたたまれない。こっそり会場を抜け出さねば、一生のトラウマとなるだろう。
「オレはBOØWYを歌いたかったんだけどさ」と苦々しげに吐き捨てた彼の差し出すプレイリストには、ハード一辺倒の楽曲が並んでいた。ほぼメタルである。
その中に、心躍るバンド名があった。
「フラットバッカー?え、Doom?へ?」
「あー、それなー。Yが選んだんだよなんかもうドロドロしてるメタル」
午後の日差しが差し込む高校の教室で聞くバンド名ではなかった。突然興味が湧き、必ず聞きに行こうと思った。

学校指定のジャージに身を包んだ6人がステージに立つと、意外なほどクラスの皆が沸き立った。半分は失笑だったが、意外と堂々として舞台慣れした雰囲気である。
一曲目のラウドネスの『クレイジードクター』のザクザクと刻むリフのイントロ。ギターのEはマイケル・シェンカーファンらしくフライングVを構えて楽しそうに弾く。
ドラムのUは固い顔をしている。聞けば学外で組んでいるバンドでもドラマーを務めているのだとか。緊張しぃなのかもしれない。
Yはベースのストラップを思いっきり伸ばし、低くベースを構えて大股開きになり、上半身でリズムをとりながら無表情に指板を見つめている。
ボーカル2人は・・・まぁ、音程はともかく声は出ていた。
いよいよフラットバッカーだ。コピーバンドはいるだろうが、まさか高校の文化祭で聞くことになるとは。
ギターのE、ボーカル2人、ベースのYが、全身を使ってヘッドバンキングする。速いテンポから、Doomのグラインド・コア風横乗りへと変化する。その間もフロント四人はグワングワンと激しく揺れ、飛び跳ねながら演奏している。私も気付いたら体を揺らし、大声で叫んでいた。

打ち上げで私はギターのE、ドラムのU、ベースのYと語らった。選曲はこの3人だと聞いていたし、何より日本のインディーズのコピバンのライブが聞けるとは思いもしなかったからだ。微妙とは言え彼氏の前でどうかと思うが、自分を止めることが出来なかった。

ほどなくして私は自由の身となり、一時期ヤリマンだのという不名誉な噂が流れたが、卒業までの僅かな時間の悪名よ、と放置していた。どうせ震源地は判っている。
相手にしないことで、かえって逆上するかとも危惧したが、幸いにも元彼はそこまで腐ってはいなかったようだ。
私は卒業と同時に大学のある地方都市へと引っ越し、もはや高校までの人間関係を整理整頓して、ほとんどの繋がりを断ち切った。リセット癖などと数少ない友人に揶揄される悪弊なのだが、こればかりは治らない。
就職、転職、引っ越しを繰り返し、まぁそれなりに男を取っ替え引っ替えする中で、ようやく年下の彼氏と身を固めた。
里帰り出産で実家に帰ったら、祖母が高校時代のアルバムを手渡してくれた。私が打ち捨てたものを拾って取っておいてくれたのだという。
感謝の言葉を述べて開いてみると、ほとんど忘れていたあのバンドの集合写真にちゃっかりと私も写っていた。
あの時、ほんの少しでも勇気があれば、私はその仲間になれていたかもしれない。ジュラシック・ジェイドのヒズミさんのように毎晩叫んでいたかもしれない。
もしかしたら彼らと今もワゴン車に揺られてライブ・ツアーをする生活をしていたかもしれない。
などと懐かしく思いながら、頁を手繰って最後まで目を通すと、古雑誌の束の一番下に押し込んだ。
「さよなら」
などと誰ともなく呟くと、夕食の支度を始めた。


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