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全11記事2024年3月3日

今の労働者が生活費を稼げないのは一般仕事の他にマーケティングや管理職もやらなくてはならなくなったからである。上司の愚痴を言いながら同一作業の繰り返しだけを延々としている方が合っている人も一定数いると言うのに、全員にマーケティングや管理職をやらせているがために、マーケティングや管理職ができない人を無能社員と位置付けて生活費分の給料が支払われなかった。それが貧困や子供部屋おじさんができた元の原因である。本来はマーケティングや管理職は得意な人だけがやるべきだ。全員にさせるのは間違っている。上司の愚痴を言いながらまあまあの仕事をする、それでちゃんとした給料をもらう、本来ならそれで良かったのだ。しかし意図的に作られた不況を理由にして、ベンチャースピリットなんて言って、合わない人にマーケティングや管理職をやらせるからダメ従業員が明るみに出たのだ。また、ネットでの副業もコンテンツだけを作っていれば良いものを、マーケティングや管理職を合わないのに無理にやらせるから、稼げない人が多いのだ。それで副業は稼げない仕事になっている。

文盲が増えたと言われているけど、文盲なんて昔から全人口の半数くらいはいた。ネットの時代になって文章を書く立場にいる人が全員になってしまったために、多くの文盲が文章を書いている事態になってきて、文盲が明るみに出てしまったのだ。文章が書けない、文章が読めない人は、もともと一定数はいた。文章は書けないのに会話は普通にできるから、昔はその人たちを文盲と言わなかったのだ。そうやって今のネット社会は文盲が増えているように見えるのである。そんな文盲は、力仕事とか、コミュニケーションの必要が無い仕事をして生活費を稼いでいて、何も問題は無かった。今の社会は文盲が増えているように錯覚しているだけである。

そもそも会社が健常者向けになっているのが問題である。慰安旅行とか有給休暇とか忘年会とか障害者には必要無いですよね。障害者はそんなことをしなくてもモチベーションを維持することができる特殊な能力を持っている。慰安旅行や有給休暇や忘年会よりも、もっと個室を作って欲しいくらいだ。そして最大の職場環境は「いじめが無い」それだけで良いのである。障害者は通常、いじめられるものである。健常者のようにいじめられなくなれば職場環境は劇的に良くなる。障害者が仕事ができないのは、職場環境が健常者向けになっているからである。

シェルターを個室にする理由は、防犯対策の他に疫病感染予防がある。疫病感染予防に人の住む場所を離すのでは無く、コンパクトシティはそのままで人それぞれを個室に入れると言う発想だ。

受験は理系には不利。点数を稼げる科目は文系では国英社の3教科だが、理系は数理の2教科だ。また、受験には商業科目は無い。商業科は勉強のできない人が受け皿として行くものだ。国数英理社で点を取る自信の無い人が逃げ道として商業科に行く。商業科は馬鹿だけど、その分、運動に長けている。高校野球で商業高校の甲子園出場が多いのはそのためだ。また学校のスポーツ大会では商業科が上位を独占する。それで商業科の生徒は商業科目に強いのかと言うと、そうでもない。馬鹿は商業科目でも馬鹿なのだ。結局、商業科よりも普通科の方が優秀なのだ。

親ガチャ問題で学校の先生がちゃんと教えていないことが明るみに出た。そもそも教養を得ることに家が金持ちである必要は無い。学校の先生が全部ちゃんと教えれば家の金銭事情で学力に差が付くことは無い。家で勉強をやらなくてはいけない状況に問題がある。学校でちゃんと教えていれば塾も必要無かった。

「仕事しろ」と言っている人の言う「仕事」とはいじめられることである。いじめの無い仕事は感覚が趣味と同じだから苦行では無い。そう言ういじめの無い仕事は「働け」と言っている人の言う「仕事」のことを差さない。生活保護やニートやベーシックインカムやMMTの人に「働け」と言っていることの意味は「いじめられろ」と言う意味だ。いじめられることで社会貢献になることは何も無い。だから「仕事しろ」とか「働け」と言っている人の言うことは無視しても良い。

この世の中は弱い人には怖い対応・脅す対応をしていて、強い人には腫れ物を触るような対応をしている。全く対応すべきことが逆である。だから弱い人は誰も信用をしなくなって2ちゃんねるなどで誹謗中傷を書く。そして強い人は調子に乗って弱者を人間扱いしなくなる。

今は人手不足なのに就職難の時代。人手不足でも採用しぶりやスーパーマン待ちをやって来る。人事がわがまま過ぎる。人手不足なのに人がますますいなくなって廃業が増える。

トー横キッズはもうすっかり日本の文化だね。帰る家が無いキッズホームレスがパパ活と言う物乞いをしている。ホームレスが物乞いをしているだけで摘発する必要は無い。むしろ守るべきだ。個室と生活費支給が必要だ。

80年代後半と90年代初期の無気力無関心な若者がいてシャイマンと呼ばれていた時代があった。当時の無気力は実際は無気力では無くて、「無気力が格好良い」と言う感じ方の進化によって、無気力を演じて格好を付けて気取っていただけだった。勘違いした業者が無気力を元気付けようと、栄養系健康系の商品が続々と発売されたけど、売れなかったね。それらの商品を買う目的は栄養を摂るのでは無くて、ちょっと変わった食品を食べて気取ってみようって言う感じだった。そして「おいしい」を求めて買った栄養商品は、実際に食べたら「まずかった」と言っていた人が多かった。無気力な人が栄養を摂ることはほとんどされていなかった。実際は無気力を演じて格好を付けていただけで、無気力では無かったし・・・。

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