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|旅の記録|竹富島・石垣島 #1

20代までは海外にばかり目を向けていましたが、コロナ禍をきっかけに国内のことをもっと知りたいと思うようになりました。ここに、旅に出て見聞きしたことや考えたことを記録していきたいと思います。私が興味をもっている分野は土地の言葉や民俗(芸能や祭り、信仰など)、自然、地学など。似たような興味を持っている方に参考になれば幸いです。

 2024年2月、2泊3日で沖縄県の竹富島と石垣島へ行ってきた。

1日目

 関空から約3時間のフライトで、石垣空港に着いた。降りた瞬間、湿気を感じる。気温は20度程度。思ったほど暖かくはない。初日の宿は竹富島でとっているので、まずは竹富島へのフェリーが出ている離島ターミナルへ向かう。空港から路線バスで30分ほどだ。

 離島ターミナルに着き、竹富島までの往復切符を買う。買った後で、フェリー運行会社には2社あり、同じ行き先の時刻表が2つあることに気づいた。価格はそれほど変わらないようだ。色々と事情があるのだろうが、時刻表は1つにまとまっているほうが旅行者としてはありがたいのにな…と思った。

あいにくの雨だった
雨のせいか、フェリーはほぼ貸切状態

 この日の最終便、17:30発のフェリーに乗り込み、15分ほどで竹富島に到着した。着く頃には次第に風も出てきて、傘をさすのも難しいほどになっていた。
 船着場には宿の方が迎えにきてくださっていた。車に乗せていただき、5分ほど走る。人口300名ほどの島というのはどういう規模なのかあまりイメージがなかったが、車で走ると意外と広いな、と思った。宿の方によると、3つある集落は島の中心部に固まっており、その周りを舗装された道路がぐるりと囲んでいて、その外側には牧場などがある。

 宿に着くと、すでに晩御飯を用意してくださっていたので、まずは食事をいただく。この島で採れたというモズクがめちゃくちゃ美味しい。市販のモズクは酸っぱくて苦手という夫も、これは美味しいといって食べていた。例年4~6月に採ったものを、塩漬けにして保存しておき、食べるときに塩を抜いて三杯酢で味をつけるそうだ。

 部屋で休み、入浴した後、お茶を飲むために食堂へ。宿のおかみさんがテレビを見ていたので、お茶を飲みながら世間話をする。
 言語学者の夫と、言語学専攻出身の私という私たち夫婦は、どうしても言葉についてお話をうかがう流れになる。

 ――「方言を聞きたいので、方言で話してください」と言うお客さんもよくおられるんです。でも、方言で話してもねえ。通じないし、どっちにしても通訳しなきゃいけないからね。方言は話さなくなってしまう。
 方言を話す人も減ってますね。私のおじいさんおばあさんは方言を話したけど、今は観光業の人も多いし、観光業をやるなら共通語で話さないといけない。大人たちが日常的に共通語を話すから、子どもたちは島の言葉を話さなくなってきています。

 同じ八重山(地方)の言葉なら、聞いたらわかりますよ。話すことはできないけどね。でも、宮古島のほうの言葉は、聞いても全然わからないですね。あっちのほうは、全然違う言葉です。――

 毎年11月頃に行われる種子取祭では、狂言(きょんぎん)や踊りが奉納されるそうだ。その狂言は島の言葉で演じられ、子どもたちにとって土地の言葉を覚える機会になっているらしい。

 さて、おかみさんは「方言」という言い方をしたが、日本語(共通語)と八重山の言葉でお互いに通じないなら、それは方言ではなく一つの「言語」というほうが妥当だろう。(なお、言語学においては、言語と方言の境界は曖昧である。)
 自分の母語がなくなるかもしれない、というのはどういう感覚なのだろう。言葉がなくなるということは、それにまつわる文化いっさいがなくなってしまう恐れがある。島の言葉を一つの「言語」として大切に守りつづけてほしいと思ってしまうのは、言語学を学んだ者としての勝手な思いでしかないのだろうか。おかみさんの話しぶりは淡々としていた。

日暮れ前の散歩

 島の人びとが観光業に従事することで土地の言葉が失われていく。それを嘆く自分もいる一方で、こうして観光客の一人として訪れている自分がいる。それはどうしようもないことだが、妙な居心地の悪さを感じた。


次回、2日目は竹富島を歩いて回ります。よければ引き続きお付き合いください。少しでも「いいね」と思っていただけたら、ポチっと押していただけると励みになります!(noteは会員登録をしなくても「いいね」を送ることができます)

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