|旅の記録|竹富島・石垣島 #1
2024年2月、2泊3日で沖縄県の竹富島と石垣島へ行ってきた。
1日目
関空から約3時間のフライトで、石垣空港に着いた。降りた瞬間、湿気を感じる。気温は20度程度。思ったほど暖かくはない。初日の宿は竹富島でとっているので、まずは竹富島へのフェリーが出ている離島ターミナルへ向かう。空港から路線バスで30分ほどだ。
離島ターミナルに着き、竹富島までの往復切符を買う。買った後で、フェリー運行会社には2社あり、同じ行き先の時刻表が2つあることに気づいた。価格はそれほど変わらないようだ。色々と事情があるのだろうが、時刻表は1つにまとまっているほうが旅行者としてはありがたいのにな…と思った。
この日の最終便、17:30発のフェリーに乗り込み、15分ほどで竹富島に到着した。着く頃には次第に風も出てきて、傘をさすのも難しいほどになっていた。
船着場には宿の方が迎えにきてくださっていた。車に乗せていただき、5分ほど走る。人口300名ほどの島というのはどういう規模なのかあまりイメージがなかったが、車で走ると意外と広いな、と思った。宿の方によると、3つある集落は島の中心部に固まっており、その周りを舗装された道路がぐるりと囲んでいて、その外側には牧場などがある。
宿に着くと、すでに晩御飯を用意してくださっていたので、まずは食事をいただく。この島で採れたというモズクがめちゃくちゃ美味しい。市販のモズクは酸っぱくて苦手という夫も、これは美味しいといって食べていた。例年4~6月に採ったものを、塩漬けにして保存しておき、食べるときに塩を抜いて三杯酢で味をつけるそうだ。
部屋で休み、入浴した後、お茶を飲むために食堂へ。宿のおかみさんがテレビを見ていたので、お茶を飲みながら世間話をする。
言語学者の夫と、言語学専攻出身の私という私たち夫婦は、どうしても言葉についてお話をうかがう流れになる。
――「方言を聞きたいので、方言で話してください」と言うお客さんもよくおられるんです。でも、方言で話してもねえ。通じないし、どっちにしても通訳しなきゃいけないからね。方言は話さなくなってしまう。
方言を話す人も減ってますね。私のおじいさんおばあさんは方言を話したけど、今は観光業の人も多いし、観光業をやるなら共通語で話さないといけない。大人たちが日常的に共通語を話すから、子どもたちは島の言葉を話さなくなってきています。
同じ八重山(地方)の言葉なら、聞いたらわかりますよ。話すことはできないけどね。でも、宮古島のほうの言葉は、聞いても全然わからないですね。あっちのほうは、全然違う言葉です。――
毎年11月頃に行われる種子取祭では、狂言(きょんぎん)や踊りが奉納されるそうだ。その狂言は島の言葉で演じられ、子どもたちにとって土地の言葉を覚える機会になっているらしい。
さて、おかみさんは「方言」という言い方をしたが、日本語(共通語)と八重山の言葉でお互いに通じないなら、それは方言ではなく一つの「言語」というほうが妥当だろう。(なお、言語学においては、言語と方言の境界は曖昧である。)
自分の母語がなくなるかもしれない、というのはどういう感覚なのだろう。言葉がなくなるということは、それにまつわる文化いっさいがなくなってしまう恐れがある。島の言葉を一つの「言語」として大切に守りつづけてほしいと思ってしまうのは、言語学を学んだ者としての勝手な思いでしかないのだろうか。おかみさんの話しぶりは淡々としていた。
島の人びとが観光業に従事することで土地の言葉が失われていく。それを嘆く自分もいる一方で、こうして観光客の一人として訪れている自分がいる。それはどうしようもないことだが、妙な居心地の悪さを感じた。
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