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No.3 アンドレ・バザンの亡霊

映像の言語的構造、すなわちデクパージュ(ショットサイズ)とモンタージュは、決して規則ではありません。映像表現は自由であり、そうでない表現や逆用した表現があってもよいのです。しかし、大方の映像作品はモンタージュに沿っているよ、と私は教えています。なぜなら、人間の視覚的反応とうまく調和し、一般に慣用化された表現だからです。

ところが、ひねくれた人というのはどこにでもいて、映画史上でも有名なのが。批評家のアンドレ・バザン(1918-1958)でしょう。彼はデクパージュで現実が切り取られ、モンタージュで再構成されるのを嫌い、その主張が一風を風靡した時代がありました。ネオ・レアレスムの映画であるとか、ヒッチコックによるノーカット映画「ロープ」など、劇映画であっても現実であろうとする試みがいくつかなされています。「ヌーベルヴァーグ」と呼ばれる運動の中では、ジャン=リュック・ゴダールのように、物語さえ捨てた作品を作った人もいます。

ゴダールの映画は、普通の映画だと思って見ていても、意味がわかりません。わかるように作ってないので当然なのですが、これらを崇める「シネフィル」というマニア層を生みました。ヒッチコックの手法などは、最近日本のCMで応用されたりもしていますが、ほとんどはある種の実験映画、ないしビデオアート的なものです。

こうした「表現の枠を超えようとする人々」を私は否定しませんが、現実的な伝達効果が認められない限り、言いたいことを伝えたい人はヘタに真似しないほうがよいでしょう。

自称「映画通」のおじさんが、「映像はノーカットがいい」などと、映像初心者に酔っ払って語るのはやめてほしいです。私はそういう人々を「アンドレ・バザンの亡霊」と呼んでいます。耳を貸す価値はありません。また「ゴダールが好き」という人は、ただ「一般の人間にはわからないが、自分にはわかる」という優越感(エリート意識)に浸っているか、自分に考える余地があることを好んでいるかです。(2023年7月17日)

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