No.11見えにくいモンタージュ
言語構造的な意味での映像の一単位はショットないしカッ
トと呼ばれます。物語的な作品では一つの場面は複数のシ
ョットで構成されるが、ほとんどの人はこれに気づいてい
ません。映像に言語的構造があること自体が知られていな
いため、YOUTUBEなどのアマチュア映像の多くが、リュミエ
ール兄弟の頃と大差ない作品をアップロードしている。つ
まり、100年以上遅れたテクニックを使っているといえます
。
そもそも映像の言語的構造(モンタージュ)は、「自然に
見えること」をモットーに組まれている、人間の認知バイ
アスを利用しているので、気づきにくいと言えます。だか
ら、うまくつながってる作品ほど、モンタージュを意識し
にくいという奇妙な逆転現象が起きてしまうのです。
だから、俳優の演技や、コミカルな脚本、ストーリーなど
が評価の対象となっても、撮影や編集が評価されることは
少ないのです。
そんな状況の中で1988年に松本俊夫が作った映画「ドグラ
・マグラ」は、そうした観客を嘲笑するかのように、モン
タージュによって観客を混乱に導いていきます。実験映画
としてこれほど秀逸な映画を私は知りません。まるでエッ
シャーの騙し絵のようです。
CGも使っていないのに、モンタージュだけで観客を騙して
いく。傑作としかいいようがありません。いかにモンター
ジュが一般市民に馴化されているかを証明するかのような
映画です。ほとんどの観客や評論家は「不思議な映画」く
らいにしか思っていませんが、彼の著作「映像の探求」な
どから鑑みるに、松本俊夫自身は、モンタージュの存在証
明として作ったのだと思います。
一般市民、特に映像作品づくりをする人は、モンタージュ
をもっと意識してほしいと思います。分析の仕方がわかれ
ば、映像の見え方が変わり、世の中のほとんどのプロによ
る映像から、どんどん学んでいくことができるからです。
この話、さっぱりわからない?じゃあ、私の講座を受けて
下さい。
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