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だいぶ前に観たお芝居~演劇企画カタアシイッポ第三回本公演 「-ALCUBIERRE-アルクビエレ」

幸か不幸か今年(2023)は役者としての出番が非常に少なく。
意図的に減らした側面もありますが、声がかからなくなったというのもあります。若干のさみしさはあるけれど、そのおかげでインプットを増やすこともできてますし、インプットをもとにプロセシングする楽しさも味わってますし、舞台/劇場とは違うところでアウトプットを試みることもできていると思ってます。この観劇記録「先日観たお芝居(と勝手に銘打ってます)」も、そのプロセシングとアウトプットのひとつです。

と思ってたんですが、どういうわけか初夏あたりからぱたりと筆が止まってしまい。
思いのほか予定がバタバタと詰まってきたり、合間を縫って僕がきちんと体調を崩したり。
体調はどうにもならないのですが、バタバタに関してはプロセシングとアウトプットにつながってはいたと思います。ただ「先日観たお芝居」シリーズはすっかり停滞してしまいました。「書きたい」と思うのに書く時間が取れないのは、ほかのところで充実しているとはいえもどかしいものです。

上記のような言い訳をしつつ、昨日(2023/10/11)あたりからようやく「書く」気になり始めたので、もう3ヶ月も経ってしまったのですが、ちょっとだけ書いてみようかと思っています。
――今更ですね。一応脚本は読み直しているのですが、とても申し訳ないのだけれどけっこう曖昧な記憶を基に書くことになると思います。もしお読みいただけるなら、それくらい曖昧にご覧いただければ。

観劇当日には、Twitter(当時)にこんなふうにつぶやいていました。

「非常に好きな作り」という感触は、いま脚本を読み返しても変わるところはありません。つぶやきの通り、「宇宙という大きな題材を扱って、でも展開されるのは目の前の誰かとの息遣いのやりとり」という、言うなればすごく贅沢な作り。
で、これをさらに細かく見直していくと、「どんなキャラクターの登場人物が」「どんなことを思いながら」「相手のパーソナリティを探りつつ」「相手と息を=思いを交わしているのか」が、非常に繊細に描かれている。呼吸がほんの僅か乱れても、この息遣いのやり取りは成立しない。自ずと客席も舞台と呼吸を揃えていることに気づく。
一見の観客である僕にとっても、これほどまで舞台に呼吸を支配されるのはむしろ非常な快感であって。その快感が、あくまで初見で、僕にとっては再現性のない一回こっきりのパフォーマンスにこれだけ感じることができたのは、観客として至福の時間でした。
「一見の観客」と敢えて書いたのは、今頃になってですが脚本を読みながら舞台を思い返していると、そのときのパフォーマンスがまざまざと思い返されると同時に、そのときには気づくことのできなかった機微にも触れることができているから、なんですね。

前提となるストーリーや登場人物に一切触れずにここまで書いてしまいました。
「主役」と一般的に呼べる登場人物は、誤解を恐れずにいえば「いない」という気がします。敢えて挙げるなら「向井」「秋山」「古川」「山崎」といった役名を「メイン」と呼ぶことができるのかも知れませんが。でも彼/彼女らにしても、どこかのシーンでは任意の「誰か」を周回する、(このお話のイメージに強引になぞらえるなら)「衛星」「惑星」に相当する、そしてこのことは、上述した4名以外の登場人物すべてにも共通することなのかもしれない、そんな風に思います。
で、後述しますが、その中でも特に「秋山」くんと「向井」くんを中心に既述していくことになると思います。

このお話の素敵なところは、(一定の補足が必要だとは思いますが)「悪いやつ」が一切出てこないところ、だと思います。ここで言う「悪いやつ」とは、「積極的に他者の不幸を願う存在」くらいの意味です。

ラストシーンを基準にすると、断言するのは非常に困難ですが、「ささやかなハッピーエンド」だと僕は解釈しています。でも、そこに至るプロセスをたどると、驚くほど「幸せ」なピースが見当たらない。
――「悪いやつ」が出てこないにもかかわらず。
設定資料からいくつか登場人物の説明を抜粋すると、
・「向井」:内向的
・「秋山」:開放的
・「古川」:宇宙飛行士を夢見ている
・「山崎」:秋山に好意
あくまで乱暴に抜粋しただけなので、これらが登場人物のキャラクターを説明しきれるものではありません。
もちろん(それ以外の登場人物も含めて)どの登場人物も非常に印象に残ってるのですが、僕が「気になった」のは「秋山」くんでした。
ありきたりな表現かも知れませんが、典型的な「いいやつ」で、かつ「脇が甘い」。
脚本からいくつか引用させてください。

-以下引用-
③元婚約者  私ね。私だけじゃなくて、健君と二人で幸せになりたかったの。
秋山     俺幸せだよ。
③元婚約者  いっつもそう言うんだね。
秋山     だってそうだもん。
③元婚約者  ……健君ってさ、なんか……空っぽだね。
-引用以上-

「脇が甘い」と書いたのは、単純に「思慮(「配慮」ではない)が足りない」という部分もあるのですが、それ以上に、彼自身が「ほかの誰かを大事にするあまり、自分を理解できていない/『自分』が存在しない」くらいの意味合いです。
あまり妥当な表現ではないかもしれません・・・。
「秋山」くんは典型的な「いいやつ」だと思うんです。自分より他者優先。このことだけで「いいやつ」の要件をほぼ満たしている。
第1章第1幕での向井くんとの出会いから、秋山くんの「いいやつ」感は満載です。
再びいくつか引用させてください。

ー以下引用ー
秋山 すっげー!
向井 そんなに?
秋山 すげぇよ!てかそんなに知ってる向井君がすげぇよ。
向井 本に書いてただけだよ
秋山 それを読んでるのがすごいんだって。
ー引用以上ー

「宇宙」をことのほか思ってやまない向井くんは、本人曰く、人と話すことが苦手で、たまに勇気を出して誰かに語ってみても「傷つくだけだった」。でも秋山くんは、「僕の話をただ面白そうに聞いて、僕をまっすぐな目で見て」、「めちゃくちゃ面白いじゃん!」と言ってくれた。秋山くん自身はまるっきり理解できていないにもかかわらず。
ここから上記の引用部分に繋がる、向井くんと秋山くんの出会いが導入部分です。内向的な向井くんと開放的な秋山くん、対照的な二人のパーソナリティが相互に影響し合って、そのあと数年以上のふたりの生き方を変えていく。
――「変えていく」こと自体は間違っていないと思います。先述した「ささやかなハッピーエンド」への第一歩として、とても納得のいく展開です。
にもかかわらず――

この第1章第1幕を彩る、そこはかとない寂寥感は何だろう。

本番の舞台を拝見した、少なくともこの第1章第1幕の時点では、向井くんの「内向的」な立ち居振る舞いがそう感じさせたのかと思っていました。でもそう捉えてみると少し違和感がある。

今頃になって脚本を読み返しながらこうして文章にしてみると、ぼんやりと思えてきたことがあります。

二人がまだ「かみ合ってない」んだ。

お互いのパーソナリティを「つかみ切れていない」のではなく、向井くんが秋山くんに「心を開いていない」のでもなく、秋山くんが向井くんに「入り込めていない」のでもなく。

おそらく(少なくとも脚本の構成上)この時点では二人とも無自覚なのでしょうが、「内向的」≒「(何かの目標や夢に向かって)動いていこうとしない」向井くんと、「開放的」≒「軽快なフットワークで動き続けるけれど、その動機はあくまで『誰か』のためで、『自分はどうしたいのか』の答えは持っていない」秋山くんは、本質的に「かみ合う」ことはない。

これも前述の通り、このことは今頃脚本を読み返して初めて言語化できたことです。公演本番を拝見して、何となく寂寥感は感じていた、というより、そのときは違和感くらいにしか思わなかったこと。
もちろんお話が進行するにつれ、それぞれの登場人物とりわけ秋山くんの抱えているものが見えてくるのですが。
で、おそらく、この作品に関する限り。
その「違和感」のようなものは、「何となく」の寂寥感として観客に残ればいい、それが正解だったのかもしれない。
そんな気がしています。
なぜなら。

というところを少し僕なりに掘り下げるなら。
あくまでひとつの見方として、お話のラストは「ささやかなハッピーエンド」で、「かみ合わなかった」向井くんと秋山くんは、宇宙の果てでちゃんと「かみ合えた」。
でも、少なくとも2023年の現在ではこのお話はファンタジーで、「行ってみるまでわからない」。
だから、「向井くんみたいに……なりたかったなあーー……」と、自らの希望を語った秋山くんも、「船が必要だ。」と動き始めた向井くんも、本当に存在するのか決定的には判らない。
「『自分はどうしたいのか』の答えは持っていない」秋山くんと、「(何かの目標や夢に向かって)動いていこうとしない」向井くんが、本当に「かみ合った」のかどうか、実は判然としない。
(だって、現実の世界で、「こんな二人が出会った」からといって「二人がそう簡単に変わる」かどうか、誰にも判らないじゃない。)
それでも、僕という一介の観客の願望として(あるいは作劇のセオリーといえるのかも知れませんが)「かみ合っていてほしい」「かみ合ったに違いない」と思わせてくれた。
それはおそらく、序盤に「かみ合わなさ」を断定的にではなく、十二分に「何となく」匂わせることができたからこそ可能だったのでしょうし、その「何となく」を展開してくれたのは「何でもないかもしれないけれど近くて濃密な息遣い」があればこそ、だと思うのです。相手のことを「全て明確に理解している」という断定が可能なのであれば、もっと至近距離から無遠慮な息遣いを作ることになったでしょう。意識的/無意識的を問わず「かみ合わない」僅かな距離を感じて探っているからこその微かな息遣い。

「かみ合った」=「解り合えた」「心が通じた」と単純化することもおそらくできる作品でしょうし、そのスタンスで観れば、向井くんや秋山くんが変容していく、そのプロセスを追っていくことで違う側面も見えると思います。この二人以外の登場人物の存在感もそちらの方がより感じられた可能性もあります。だからひょっとしたらその方が(観客としては)愉しめるものなのかもしれません。それはそれで正解だと思います。
それでも、誤読かもしれませんが、僕の目に最も印象的だったのは、この二人の存在だった。この二人の息遣いだった。かみ合わない息遣いだった。かみ合わないから見えてくる二人の本質だった。
(結びつけようと思えば、わりと普遍的に誰しもが抱えている「生きづらさ」とか「周囲や現状への疑問」なんかと近づけることもできると思います。その意味ではとても感情移入しやすい。でも何だか、そこに安易に結びつけてしまうのも勿体ないような気もします。仮にささやかでも「ハッピーエンド」を迎えているとはいえ、二人の抱えたものがそれで解消したかどうかは(そもそも実在のハッピーエンドかどうかすら)僕には判らないのですから。で、その「判らない」ところも僕にとっては魅力的でしたから。)

あくまで、「僕の目にはこう映った」という、誤読も含めた記述です。
で、その誤読も含めて、僕にとっては「非常に愉しめた」「好みな作品」だったと結論づけています。

「メインと呼べるのは4名」と書きながら、実質ふたりの記述に終始してしまいました。でもこれも先述の通り、そのふたりを巡ってみんながちゃんと周回してくれていたからこそ見えてきたことで。みんなが息遣いを大事に届けてくれたから見えてきたことで。

おそらく彼/彼女たち(この作品に関わった人たち)が生まれる前からお芝居の世界にいる僕としては、それなりにいろんな作品を拝見してきた、知ってきたという自負だけはあったのですが、大変失礼ながらこの作品や「演劇企画カタアシイッポ」の皆さんを存じ上げず。
こんな素敵な作品を(おそらくこれまでも)世に問うてくれていることを存じ上げず。
自戒と併せて、演劇の世界の広さや奥深さを改めて知らされた思いです。

この作品や「演劇企画カタアシイッポ」を教えてくれたベル 
https://x.com/funkycrazybear?s=20 さんに感謝です。
だからという訳ではなく、彼女の演じたところにも少しだけですが触れておきます。
当日パンフレットには
「土井 ヴィクトリア 麻衣子  ベル」
とクレジットされています。
(まさかとは思うが土井美加さんのことではあるまいな?)
ごくごく簡単に言うと、コメディリリーフです。
簡単とは言いながら、秋山くんと山崎さんを結ぶキューピッドです。大役です。
承前、やはりこの作品は全篇「寂寥感」に覆われています。
だからこそ、ひとときだけとはいえ、ふたりを結びつける瞬間を担うのはコメディリリーフでなければならない。
「驚くほど『幸せ』なピースが見当たらない」このお話の、数少ない「幸せ」のピースを担うキャラクターです。
バカバカしいほどに実体、あるいは足許の感触を感じさせてくれる土井さんでなければならない。

ベルでなければならない。

――贔屓目かもしれませんね。
でも僕の目にはそう映りました。

もうひとつ。
特別にクレジットされてはいませんが、脚本の表記を借りるなら「脇役」としても出演しています。
これも印象に残っているのは、秋山くんや向井くんのクラスメイト(「女子」と表記)。
意識的にではないものの、結果として向井くんや、向井くんの話を聴き「面白い」と思った秋山くんを嘲笑う。
「『悪いやつ』が出てこないにもかかわらず」とは書きましたが、これは正確な記述ではない。ここにひとりいました。「女子」と表記されて、同様に嘲笑を投げかけたのはひとりではないですけど。
意識的でないとはいえ、彼女は「悪いやつ」です。
向井くんと秋山くんの、「かみ合わない」を明確化していたのは「悪いやつ」たる彼女(たち)であろうと思います。彼女(たち)の嘲笑がなければ、ひょっとしたら向井くんと秋山くんはもっと早く「かみ合って」、このお話は「幸せ」のピースに満ちたものになったかもしれない(つまるところ「このお話自体がそもそも存在し得ない」かもしれない)、それくらいのウェイトを占めている。

「幸せ」のピースも、「悪いやつ」も。

鮮やかに描き別ける。

――どうぞ贔屓目だと思ってください。
この作品を教えてくれた「見返り」「贈賄」だと思っていただいても。

だとしても。思われたとしても。
僕にそう思わせるほど素敵なものを魅せてくれる。
そんなベルさんへの敬意として。


例によって少々長くなりました。
併せて、すっかり遅くなりました。もう需要なんてないかもしれませんね。
加えて、記憶の欠落や齟齬や美化がおそらくあるでしょう。
ごめんなさい。
それでも。
いい作品に巡り会えた。
その謝意だけはお伝えしたくて。
ありがとうございます。


2023/10/19 14:54
中村大介

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