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「怖い」「ヤバい」に感じる日本人の弱さ

先日、ライターの和田靜香さん(著書「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。」など)のツイートに、こんなのがあった。

これね、今どき、っていうか、もうここ何年も続いてる状態。しかも近年さらにひどくなってる。

政治の話をする。社会の問題を会話に取り上げる。それに対して自分はこうだと表明する。選挙に行こうと呼びかける。
ごく普通。あたりまえ。これだけ。

だけど物わかりのいい穏やかな日本人にとっては、ただそれだけの行動が
「怖い」「危ない」「ヤバい」
としか感じられなくなっている。

「強い感情」に耐えられない幼稚な国民

日本の投票率が低いとか、国民(特に若者)の政治参加の意識が低いとか、その原因はいろいろ言われてきたけど、根本的な原因は結局この
「政治の話する人とか怖いよね」「社会活動とかヤバくない?」なんていう感覚しか持てない思考回路でしょう。

ていうか、そういう人たちの「怖い」とか「危ない」「ヤバい」って、何をもってそう感じるんだろう。
世の中の出来事に関心を持つこと?
自分と直接関係なさそうなことに肩入れしたり、反発したりすること?
それとも強い調子で、声を上げること?

そのどれもです。
「真剣に物事を考える人」
「自分の意見を表す人、抵抗する人、逆らう人」
「強く、はっきりと表現する人」

そういう「自分の気持ちを外に向ける人」を「怖い」とか「ヤバい」と感じる人って、要はその「向けられた気持ちの勢い」にびっくりして、拒否反応を起こして閉じこもってしまう。
グレタ・トゥーンベリさんがなぜあんなに怒ってるのか、ちゃんと話を聞いて理解すればわかるはずなのに、ただ怒っている、っていうだけで「何かあの子怖いよね」で遠ざかる。

なんてナイーブで、臆病な連中なんだろう。
そもそも、自分の気持ちや尊厳、価値観を守り、社会の一員であることを強く意識するということって、自分が自分であることを大事にするってことなはず。

だからこそ、自分の大事にしているものを、力づくで損なおうとする者に対しては、きっちり抵抗するのが人間としての当然の姿じゃないのだろうか。

「個人の尊厳<周囲の目」が日本を壊した

ハッキリ言って、今の自民・公明の政権与党は、本気で我々の大事なものというか、生活そのものを壊しにかかっているとしか思えない。
そしてそれに対抗するためのツールである、立憲主義、民主主義のルールですらも、自分たちの都合のいい形に捻じ曲げようとしている。

これはもう、声を上げて、抵抗するしかないはずです。
だって壊されるのは、自分たちの生活だよ?将来だよ?

だけどそういう言動すらも「怖い」とか「危ない」としか感じない人たちって、もう人間としての生存本能すら手放してしまってるとしか思えない。

彼らにとって大事なのは、「自分であることを守る」「あるべき社会の姿を求める」ことではない。
彼らがしがみついているのは
「周りから変な人だと思われない」「周囲から浮かない」
ということだけ。
他人からの視線、周りからの評価、世間からのモノサシだけでしか自分であることを保てない。

結局、「自分の気持ちを外に向ける人」を怖れて「怖い」「危ない」と逃げてしまう日本人の弱っちさは、政治参加への障害だけではない。

低賃金、劣悪な労働環境、各種ハラスメント、クレーマー、マイノリティ差別、学校や職場でのイジメ、体育会系気質…。

自分を大事にできず、周りや他人に押さえつけられるがまま、逆らえず、はみ出さず日々を送り、心身を擦り減らしていく…。
そんなの、生きていると言えるのだろうか。

この個人としての弱っちさが、いま日本で起きているたくさんの問題の元凶になってるってことを、いつになったら我々は理解するんだろう。

摩擦を怖がる重篤な「日本病」

そもそも、日本人はなぜそんなに周囲の人や世間を気にするのか。
これはあくまで私見だが、社会における「摩擦」や「衝突」、「対立」に対する考え方が、他の国と日本とであまりにも違いすぎるからとしか言いようがない。

民族や人種、宗教や習慣の違う人々が常に行きかい、みなが違うのが当たり前の世界。
当然誰もが「アンタはそうだけど、自分はこうだから」
と意思表示をしていかなきゃ、そもそも暮らしていけない世界。
摩擦、衝突、対立があるのは大前提で、お互い徹底的にケンカしながら相手を理解したり、妥協したりして社会を作ってきたんだもの。そりゃ政治に関心持つのも無理はない。

で、これが日本となると、もう完全に真逆。
日本人はどこに行っても、見た目はほぼ同じ。
言葉もだいたい同じだし、民族や宗教なんて意識すらしない。

もう良くも悪くも「みんな同じ」な日本では、個人としての主体が違うだなんて、思いもよらない。考えようとすらしない。

「みんな同じ」ような価値観を持ってるはずなんだから、「摩擦」や「衝突」なんて「あるはずがない」のが当然だし、平和で円満な社会のためには、「摩擦」や「衝突」はむしろ「あってはならない」のだ。

もちろんいくら人種的に同質だからって、個人としての考えや価値観が同じなわけはない。同じ日本人同士でも、これだけ社会が分断されてしまっては、「摩擦」も「衝突」も避けようがない。
にもかかわらず「和を重んじる日本人」はその現実から目を背け続ける。

摩擦や衝突や対立を過敏なまでに避け、逃げ続け否定してきた、臆病な現代の日本人。
強く、果敢に自己を主張し、社会に向けて声を上げる人に対する、
「怖い」「ヤバい」「痛い」
などといった冷笑系たちの揶揄なぞ、他者との摩擦や軋轢を怖れて引きこもる弱っちさの正当化でしかない。

イタかろうがヤバかろうが、見るもの見て、言うこと言わなきゃ自分を守れないのが今のこの世界なんじゃない?
周りのバカどもの顔色うかがって口をつぐんでないで、政治や社会の問題から目を逸らすことはできないことにいいかげん気づきましょう。

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