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真夏の鯉のぼり

 これは私がまだ小学生の頃の話しだ。

 夏休みになると私は毎年、母方の祖母の実家に家族全員で帰省していた。

 当時は、コロナなんて厄介なものは当然なかったので

「明日から帰省するね!」
「ああっおいで。待ってるよ。いつまでも泊まっていってね」

 拍子抜けするほどに簡単なアポイントで帰省することが出来た。

 良い時代というか早くそんな時代に戻って欲しい。

 実家に戻ると祖母は、いつも私たちが寝泊まりする広い和室に案内してくれる。
 日はたくさん当たるけど広い縁側があり、窓を全開にすると心地よい風が入ったきてとても涼しく、エアコン入らずだ。
 祖母は、畑で今朝、収穫したばかりのスイカを井戸の水で凍えるほどに冷やしてもてなしてくれた。

 私も妹も喜んで齧り付く。
 スーパーに売っているものとは比べ物にならないくらい甘い。
 私たちは夢中で何切も食べる。
 美味しすぎて種を飲み込んだことにも気づかない。
「種捨てんとへそから芽が出るよ」
 祖母は、"祭"と書かれた古い団扇で仰ぎながら穏やかに笑う。
 父は、都会では味わえない畳の匂いを堪能しながら蝉の鳴き声を聴き、母は、懐かしそうに目を細めて和室を見回し、麦茶を飲んだ。

 穏やかな日本の夏がそこにあった。

 しかし、その夏を彩る景色の中に明らかに異質なモノがあった。

 私は、スイカを頬張りながら縁側を、縁側の向こう側にある綺麗に整えられた庭の中心に立つものを見る。

 それは木を丸ごと一本加工して作られた太く、大きな丸太棒、その上には黒、赤、青、緑、橙の大きな鯉のぼりが悠然と風の中を泳いでいた。
 先端に着いた風車がカラカラカラカラと笑い声みたいな音を立てて回っている。

 私の視線の先に気づいて母が眉を顰めて祖母を見る。
「お母さん、今年も立てたのね」
 母は、呆れたように言う。
「ああっよう泳いどるだろう」
 祖母は、穏やかに笑いながら団扇で扇ぐ。

 真夏の鯉のぼり

 それはもはや祖母の毎年の恒例行事であり、この町の名物となっていた。

 この恒例行事は母が生まれた時には既に行われていたと言う。
 まだ町が村と呼ばれてきた頃、住民が夏祭りの準備をし、畑のイナゴや害虫退治に苦慮し、川遊びや風鈴で涼をとる中、祖母は8月の初めから15日が過ぎるまで鯉のぼりを上げる。

 天にも届くくらいに高く、大きな鯉のぼりを。

 もちろん最初の頃は村のみんなも祖母の親や兄弟も訝しんだんでいたと言う。
 あの出来事があって祖母がおかしくなってしまったのだと本気で心配していた。

 しかし、祖母は決しておかしくなってしまった訳ではなかった。

「あれはね。きゅうりとナスの代わりなのよ」

 祖母は、笑いながら私と妹に言った。

「きゅうり?なす?」
 幼い妹は、首を傾げる。
 しかし、祖母は優しく微笑んで妹の頭を撫でる。
「お盆になるとね。ご先祖さんたちはきゅうりで作った生まれた馬でこっちに戻ってきて、ナスで作った牛に乗って帰っていくのよ」
「うちは鯉のぼりに乗って帰ってくるの?」
 妹は、さらに首を傾げる。
 我が妹ながら可愛い。
「いーや。ご先祖さんたちはちゃんときゅうりの馬に乗ってやってきて、ナスの牛で帰っていくよ」
 確かに先程、母と一緒に仏壇に拝んだ時にはきゅうりの馬とナスの牛が乗っていた。
「じゃあ、誰が帰ってくんの?」
 今度は、私が首を傾げた。
 あの当時、私も母から経緯は聞いていたものの祖母の口から聞くのは初めてだったので興味津々だった。
 祖母は、そっと団扇を畳の上に置いた。
「あれはね。あんたらの爺さんが乗って帰ってくるんだよ」

 私たちの祖父、つまり祖母の夫は戦争で亡くなった。

 祖父の元に赤紙が届いた時、2人は結婚しており、お腹の中に既に母が宿っていたと言う。
 それなのに祖父は何故戦争に行ってしまったのかと言う問いに答えはなんてない。

 強いて言うなら当時がそう言う時代だったから。

 戦争に行くのを拒否するなんて許される時代ではないからだ。

 祖父は、出立の時に祖母に「必ず生きて戻る!」と約束した。訓練所に着いてからも毎月のように手紙が送られてきた。
 内容は、祖母の身体のこと、お腹の子は元気に育っているか?必ず生きて戻る!というものだったそうだ。

しかし、祖父が戻ってくることはなかった。

祖父は、神風特攻隊に選ばれたのだ。

祖父の最後の手紙にはこう書かれていた。

『特攻隊に選ばれた。
    とても名誉なことだ。
    お前たちを、国民を守るため、オレはその礎になる。
    お前を1人にしてしまってすまない。
    お腹の子を大切に、元気な子に育ててくれ。
    お前たちの幸せを空の上から祈っている。

    最後にお願いがある。
    毎年、お盆の日に鯉のぼりを上げてくれないか?
    我が家の蔵にしまってある鯉のぼりだ。
    オレは、きゅうりの馬に乗ってちんたらとお前たちの元に戻りたくない。
 早く戻りたい。
 鯉のぼりだったら天まで届いて直ぐに帰ることが出来るはずだ。
 最後まで迷惑を掛けてすまない。
 オレの最後の我儘だ。
 オレをお前たちの元に行かせてくれ。
 お前たちの幸を空から祈っている』

 手紙が投函されてから3日後、祖父は遠い海の上でその生涯を終えた。

 その夜、私は寝付くことが出来なかった。

 自宅では決して経験のすることの出来ない蚊帳の中で寝れることを楽しみにしていたのに、今はそんな気持ちも湧いてこなかった。

 祖父は、どんな思いで手紙を書いたのだろう?
 祖母は、どんな思いで手紙を読んだのだろう?

 戦争を経験したことのない私にはその思いは一生理解することは出来ないのかもしれない。

 私の隣では妹が静かな寝息を立てて寝ている。
 寝相はひどいが寝顔は可愛い。

 この子を失うなんて私には考えられない。

 母を失うことも父を失うことも、祖母を失うことも考えられない。

 人は誰しもが死ぬ。

 それは避けられない運命だ。

 なら、責めて理不尽な形ではなく、自然な別れをしたい。

 泣いて泣いて泣いて、そして「頑張ったね」「今までありがとう」と笑顔で送り出してあげたい。

 そしてお盆に迎えてあげたい。

 外から鯉のぼりの風車の回ることが聞こえる。
 穏やかに笑っているような音が。

 人の気配がする。

 私は、枕から頭を起こして外を見る。

 鯉のぼりの柱の下に祖母が立っていた。

 藍色の浴衣を清楚に着た祖母はじっと空を、風に乗って泳ぐ5匹の鯉のぼりを見ていた。

 月に照らされて夜空を泳ぐ鯉のぼり。

 それは天女の落とした羽衣のような妖艶な美しさを持ち、雄々しく天を駆ける竜のように力強かった。

 私は、夜空を泳ぐ5匹の鯉のぼりの間に人影が立っているのを見た。

 思わず布団から這い出て身体を起こす。

 目の錯覚かと何度も擦る。が、やはりそこに人影がいる。

 しかし、なぜか怖くなかった。

 むしろどこか懐かしさを感じて胸が締め付けられた。

 祖母もその人影を見つけたのか見上げたままにっこり微笑み、両手を大きく伸ばす。

 人影は、泳ぐ鯉のぼりの間をくぐり抜けてゆっくりと萎んだ風船のように降りてくる。

 祖母は、両手をさらに大きく伸ばす。

 その仕種はまるで愛しい人を抱き上げようとしてきるかのようだった。

 祖母の手と人影の手が触れ合う。

 祖母の笑顔が輝く。

 人影がゆっくりと地面に降り立つ。

 月明かりに照らされてその姿が映し出される。

 それは若い男性だった。

 丸く剃り上げた頭、切長の目、整った鼻梁、薄い唇、細い身体に甲子柄の青い着物を着ている。

 その顔と雰囲気がどこか母に似ていた。

 祖父だ、と私は直感的に感じた。

 祖父が鯉のぼりに乗って戻ってきたのだ、と。

 祖父は、優しく祖母の頬を撫でてその身体をぎゅっと抱きしめた。
 祖母も祖父の胸にそっと顔を沈めた。

 祖父に抱きしめられた祖母の姿が変化していく。

 夜空と同じ色の長い黒髪、白い肌、大きな瞳、熟れた林檎のような赤い唇・・・。

 祖父と変わらない若い乙女へと姿を変えた。

 2人は、抱きしめ合いながら何かを語らいあっていた。

 言葉は聞こえない。

 でも、それで良いのだと思った。

 それは孫の私でも決して聞いてはいけない2人の逢瀬の言葉なのだから。

 そうだと分かってきても私は2人から目を離すことが出来なかった。

 あまりの美しさに涙が頬を伝った。

 一瞬、祖父と目があった気がした。

 祖父がこちらを向いて微笑んだからだ。

 私は、何も答えることが出来ずじっと見ていた。

 祖父は、直ぐに目を祖母に戻して再び抱きしめ、語らい合う。

 気がついたら夜が明けていた。

 祖父の姿は無くなっていた。

 祖母も元の姿に戻っていた。

 祖母は、空を見上げる。

 明けた空に泳ぐ鯉のぼりを見る。

「また来年」

 その声だけが確かに耳に届いた。

 私は、見つからないよう急いで布団の中に隠れた。

 それから40年の年月が流れた。

 昨年、祖母が亡くなった。

 100を間近に迎えての大往生だ。

 病院はおろか介護保険すら利用することもなく最後まで自分の力で逞しく、美しく生きた。

 家族だけでなく町の皆さんにまで惜しまれながら送られた。

 祖母は、最後の最後まで毎年、鯉のぼりを上げ続けた。

 祖母の四十九日法要を終えると母は実家を売りに出す私たちに言った。
 誰も住む人がいない家を持ってもしょうがなきから、と。

 父も、妹も賛成した。

 私だけが反対した。

「なら私が住むわ!」

 私は、自分でもびっくりするくらいの大声で言った。

 母も、父も、妹も驚く。

 そして反対のオンパレード。

 家庭と仕事はどうするんだ⁉︎
 お前が家の責任を負う必要がない!
 都会育ちのお前に田舎暮らしが耐えられる訳がない!

 しかし、私の決心は揺るがなかった。

 幸にして子供たちは独立し、もう私の手を離れていた。
 旦那も在宅ワークが定着してきていたので、余生を田舎で過ごすのも悪くないかと快く了承してくれた。

 そして何よりも祖母のやってきたことを無くしたくなかった。

 そして紆余曲折を経て家を譲り受けてから初めての8月、私は鯉のぼりを立てた。

 祖母が毎年、決して間にを空けることなく立てた鯉のぼりを。

 鯉のぼりは、雲一つない青空を悠然と泳ぐ。

 それを見た村人たちが、
「今年も泳いでるなあ」
「もう見れないと思ってたよ」
 喜びの声を上げて見上げていた。

 私は、手で日除けを作って空を、鯉のぼりを見上げる。

 これからは私が2人を迎え入れる。

 2人の生きてきた頃から、そして離れ離れになってかも過ごしてきた大切なモノを守っていく。

「今年は2人で戻ってきてね!」

 私は、天に届くように叫んだ。

 風車がカラカラと笑い声を上げた。

                   了
#短編小説
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